私のニューノーマル
今日は蒸し暑かった。マスクしてると気持ち悪い。なんとなくまだ全国で感染症の燻りが残っている感じ。先が見えないというのはこんなにも不安なんだなと日々思っている。
私は田舎に住んでいるので、元々身近に”密”な場所は無い。人がそれほどいないからだ。それでもこの2ヶ月は、食料品と日用品以外の買い物には行ってないし、ママ友や同僚とのランチや飲み会もしていない。マスクは毎日着用するし、手洗いの後に消毒するというのがもはや習慣になった。困ったというより残念だったのは、行く予定だった松田聖子のコンサートが延期になったことくらいで、その他のことは慣れてしまうとそんなに我慢をしているという感じはしていない。
「早く元の生活に戻りたい」
「いつになったらコロナ以前のような生活に戻れるのか」
今期待されているのは、元の生活に戻ることなのか?いや、そうではなく、より良いものに進化させることではないだろうか。
卒業シーズンを迎えるアメリカの若者に向けて、オバマ前大統領は言った。
「これまでのやり方はこうだったと説教する人はもういない。これからの世界は君達が作る。」
そういえば、お笑い芸人のNON STYLEがコントで、「娘さんを僕に下さい」をリモートでやる、というネタをやっていた。父親役は「リモートで親に挨拶するとは、なんて失礼な奴だ」と怒っていたが‥。あれ、もしかすると将来的にはアリかも‥?
私は難しいことはわからない。リモートワークなるものとも無縁であったし、新しいことにも鈍感、カタカナ用語も何のことだかさっぱりだ。それでも、長期間家にひき籠らざるを得ない生活はぐうたら出来て楽チン、ではなく精神的にも肉体的にも辛いと感じた。同じ状況ではないにしろ、今は皆が何かしらの不安や不便を感じているのだろうと、人の辛さにほんの少し心を寄せることができた気がしたのだ。
これからの外食はテーブルではなくカウンターで横一列になって食べることになるのかなぁ、とその様子を思い浮かべてみたり、横一列だったら一緒に行くのはせいぜい3人までじゃないと話が聞こえないだろうなぁなんて思ったり。映画やコンサートで隣の席に誰も座らないのなら1人で行く人が増えるのかなぁとかもね。
私に関係するニューノーマルはせいぜいそんなところだ。
それだって慣れてしまえばどうってことない。そのうちニューノーマルのニューがとれて、ノーマル(日常)になるだけだ。
最後に小噺を。
AさんとBさんがマスクを着用してお喋り中、Bさんがクシャミを催した。
「ヘックション!」気持ち良く思いっきりクシャミをしたBさん。しかしBさんはクシャミの瞬間、マスクを鼻と口からずらしてクシャミをした。それを見ていたAさんは、「せっかくマスクをしてるのに、なんでわざわざずらしたの?」するとBさんは、こう答えた。
「だって、マスクが汚れるじゃん!」(実話です)
お後がよろしいようで‥