わたしと伊邪那岐命
さて、公演まで残り1か月となりました。
11月2回目の稽古の日。
与えられた役と自分たちとの対話も深まり、みなそれぞれこの与えられた役が自分にとってどんな役だったのかを考えてきたように思います。
私自身は、はじめからイザナギノミコトという役に対して、「なんて台詞の長い役なの!?」という感じで、とにかく台詞を覚えること、そこに言語造形でどのように演劇をしていくか、ということにのみに必死でやってきました。
他の参加者の中には、その役柄と深く向き合うが故に苦しみ、過去の自分の生き方、考え方に新しい気づきとともに乗り越えている人、
また、自分にない質の役を与えたれて、その意味と試行錯誤している人、そんな姿を近くで見てきました。
では、私はどうなのだろう?と。
イザナギに似ているところがあるわけでもないし、演じる上で難しさはあるけれど、苦しさはないなあと思いました。
しかし、今回の練習で、ようやく私とイザナギが出会った意味を少しかんじるような体験をしました。
それは、イザナギが黄泉の国から戻り、禊祓いをする場面のときです。
この日めずらしく、鬱々とした気分を抱えたまま練習に向かっていた私は、こんな気分で言語造形をすると、良い練習ができないのではないかと思っていました。
そして練習が、禊祓いのくだりに来て、諏訪先生に導かれながら演じていたときです。
私の発することばとともに、私の心の穢れもさーっと清められていくのを感じたのです。とても不思議なのですが。
海の潮に、浅瀬から入り、その水にそそがれていくごとに、雨が止み雲間から太陽の光が差し、青空がさーっと広がっていくような、、。清々しい気持ち。
そして、この禊祓いのとき、イザナギの穢れを洗い清めたとき、産まれたのが
太陽の神 天照大御神。
月の神 月読尊。
海の神 武速須佐之男命。
ここにきて、日本ってすごい、、と思うんです。穢れを忌み嫌うのではなく、祓い清めることで神を産むことができるのだと。
自分の中に穢れた心が巣食ったとしても、自分自身の力で清め祓い、今よりもっと新しい人になれる。
とても希望に満ちた民族なのではないかと思ったのです。
この古事記の傳へは、地、水、火、風、そして光 といった自然の要素がいたるところに散りばめられています。
私が演じるイザナギとイザナミの場面は、特に火と水の要素が強く現れているなと思いました。
イザナミが火の神を生み、死んだとき、イザナギは涙の雨を降らせます。
黄泉の国のイザナミの燃えるような火の心は、よもつ醜女や雷神を引きつれてイザナギを追います。
その怨念の火を消すかのように、イザナギは大海原に向かい、禊祓いをします。
もしかすると、この物語そのものが、言語造形自体が、 また私たちが創ってきたこの公演へのそのものが、それぞれの禊祓いなのかもしれません。
そして、この物語を見てくださるお客さまにも、禊の体験をともに感じていただけたら、この上なく嬉しいと思います。
さて、本番は、そんな要素も含めてお楽しみいただけたら嬉しいです。
読んでくださりありがとうございました。
文:momo
⭐️ことばの泉 2019年公演⭐️
「古事記の傳へ」(ふることぶみのつたへ)
2019年12月22日(日) 12時半会場 13時開演
場所 和歌浦アートキューブ http://wakanouraartcube.web.fc2.com
一般前売り:1500円 一般当日:2000円 高校生1000円 小・中学生以下無料
お問い合わせは ことばの泉 kotobanoizumi.engeki@gmail.com まで
親子えんげき塾 ことばの泉 ホームページhttps://peraichi.com/landing_pages/view/kotobanoizumi