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こどもの世界
こびとのおうちのお話会「こどもの世界」を終えて。
この日、この時、このお話会をすることができて、本当によかった。
集まったのは、まだ小さなこどもさんを抱えるお母さんたち。
兄弟姉妹ももちろんいるお母さんたち。
日々、お母さんたちは、こどもたちをどうやって健やかに育てていこうか試行錯誤しながら、そして、たくさんの家事に追われながら、めまぐるしく過ぎていく子育て期を自分なりに一生懸命奮闘しています。
わたしもその一人です。
「こどもの世界」は、そのむかし、お母さんである自分自身も見ていた世界。もう忘れ去ってしまって入るけれど、間違いなく見ていた世界。
この日、後藤さんのお話によって、再びそこに立ち現れてきた世界は、まぎれもなく、懐かしくあたたかく、私たちが意識すればいつでもそこに帰っていける幸せな世界でした。
眠りへの移行も実演してくれて、ライアーの静かな音色が響く中、おだやかな声に導かれて眠りにつくこどもたちは、なんてここちよく眠りの世界に誘われるのでしょう。
実際に来てくれていた小さな男の子は、後藤さんのお昼寝への移行の実演の中で、静かに眠っていきました。
こどもたちは、大きく開かれた感覚の中で、全てが新鮮で、興味津々で、楽しくて、輝いていて、信頼している。
なんて素敵な世界を生きているのだろう。
その世界を思い出すだけで、こどもへの関わり方が変わってきます。
子育ては、決して与えるばかりのものではないのです。と後藤さん。
お母さんとこどもが、お互いに与え合っている。それは、目に見えるものではない、なにか。
少し、いつもより「自分の境界を伸ばして、こどもに触れてみる」そう「意識」することで、こどもがほっこりする。頰に赤みがさす。
少し意識された、お母さんの行為の向こうに、こどもたちは何を感じ、何を与えてくれるのでしょうか。
私たち、親と子の根源は与え合い、分かち合うもの、響き合うものだということ。いや、人の根源はきっとそうなのです。競い合い、奪い合うことではなく。
お母さんという存在、人間教育は本当にそこから始まっている。
子育てをしながら、子どもといることで、お母さんも自分自身の愛やエゴに気づかされ、成り変わっていく。
そんなところまで思いを馳せます。
いつもいつも、そんな意識でいられはしないけれど、
この日帰って行ったお母さんたちは、きっと、お家でこどもたちのまつげの長さや、つむじをかわいいなあといつもよりじっとながめたり、ゆっくりと子どもたちを抱きしめたのではないかなと思います。
まだまだ、質問もしたかったりでしたが、時間が足りず。。。
第2回も企画します! 乞うご期待!!
ぜひお話会に足を運んでみてくださいね。
以下は、参加者の感想です。
「こどもの世界」
ステキなお話に、何度も泣きそうになりながら聴き入ってしまいました。
「意識」や、母の眼差しの話など、興味深い内容で、本を読んで知るのではなく、直接聞くことで深く入ってくるものがありました。
定期的な開催があると本当に嬉しいです。
可能であれば、次回、兄弟喧嘩についてのお話、今ここに立ち戻る方法など、お聞きしたいです。
他の方のお話で出ていましたが、我が家も長女と三女の喧嘩が激しく、出掛けるともなると、狭い車中、3分あれば大泣きしています。
不正を許せない長女、まだ幼稚園児で周りのことを推し量れず自分の気持ちが一番の三女、互いに怒りのポイントは違うのですが、触発しあってしまうようです。
賑やかやなー。。と平常心で眺めるようにしているのですが、こちらも我慢がならなかったり、対応に困ることがしばしばあります。
お菓子もご馳走さまでした。本当に美味しかったです。
楽しい時間、ありがとうございました!!!
「子どもの見る世界」
小学校1年生になった娘が 過ごしてきた幼少期、そしてこれからの彼女が生きていく未来・人生に想いをめぐらせながら後藤先生のお話を聞いていました 。
これはシュタイナー教育を受けたから、公立の学校に行ったからとか そんなお話ではなく 、私たち人間が 光の世界から この地上に降りてきたという 私たちの全ての真実につながるお話です。
時間軸や空間 いろんなこの地上の生活への観念がまだまだない子どもたちの世界 。
それは私の体の細胞ひとつひとつにも刻まれ 、思い出した 時間軸がない感覚 、空間やお金への認識や 執着がなくなること、 どんどん子どものように戻っていく自分の感覚を通し 、
子どもと私の この地上での魂の時間が交差していく私たち(笑)
魂として、人になっていく娘
人として魂に戻っていく 私
そんな私たちはなんだか最近は絶妙なコンビ
一応地球人を40年以上もやってると 記録の中にたくさんの地球での生き方の記録が入っています。良くも悪くも・・・
でもそんなことはまだまだわからない娘の行動に戸惑いながらも
母として人として いちいち立ち上がってくる記憶は、本当に邪魔なもので
字は綺麗に書かないと 絵も歌も丈夫な方がいい とか
宿題やったん?
普通に聞いている私に
「なんでやらなあかんの?」と娘・・・
必死に自分のやりたい遊びを繰り広げている
ん???? 「なんでやろな〜?』
そもそも「綺麗」とか、ちゃんとってなんだろう???
わっはっはっはっは
目の前で目をか輝かせて遊びに夢中な娘の姿、
意欲を大切にしたい
周りの大人たちが 自分の幼少期の記録・記憶の再生を乗り越え
目の前の子どもが今、何を欲しているのか?を その子の『今』を一緒に感じたり生きること
大人が私を超え 『私たち』をして生きること
そんなことの大切さを また今日も思い出させてもらえたお話会でした。
文:momo