デトロイト美術館ジャパンギャラリー
デトロイト美術館(DIA)に2017年11月4日オープンしたジャパンギャラリー、それまでは、館内のほとんど通路のような場所に、7点ほどの展示物しか無かった日本美術展示スペースが大きく生まれ変わったものである。2013年11月18日のデトロイト市の破産宣告で、その存続と所蔵作品の行き先が注目されたデトロイト美術館。グランドバーゲンという救済措置で、GM、フォード、トヨタなどの企業や財界、一般からの多くの支援を受け存続し、現在はデトロイト市の管轄から離れて運営がなされている。日本コミュニティーからは、このグランドバーゲンに、JBSD会員企業を中心に個人からの寄付も加えての約320万ドルという多大な贈与がなされたが、その内25%(80万ドル)をDIA所蔵の日本美術品を公開し、日本への理解と親善を深めてもらうためのジャパギャラリーの開設資金に充てるという規約が締結されていた。故にジャパンギャラリーの実現は、日本コミュニティとデトロイト市の絆が形になったスペースと言えよう。その開設及びオープニングイベントのジャパン・カルチャーデーにJBSD内のグループの一員として計画の段階からボランティアとして携わった立場からの思い入れと共に、ジャパンギャラリーについてご紹介したいと思う。
ジャパンギャラリーの始まり
2014年3月9日から6月1日までDIAにて開催された、日本の武士の時代における美術の展覧会、Samurai Beyond the Sword展の終了後、9月の時点でDIAのAuxiliary Groupsで私の属するFriends of Asian Arts & Cultureのボードミーティングにおいて当時のアジア部門担当学芸員よりアジアンギャラリーの開館を予定していると聞いた。その後、グランドバーゲンでの取り決め、そして更なるJBSDからの後押しもあり、ジャパンギャラリーの開設が他のアジアの部門に先立って進められる事となった。2015年にDIAでは、コミュニティーコンサルタント、フォーカスグループという名で、幅広い層の異なる視点を持つ人々で構成されたグループを作り、コミュニティーの声を取り入れる、Education and Community Involvementの考えをもって展示作品の選択に取り組み始めた。同時期にDIAを支援するJBSDの内部チームとして、JT(ジャパンチーム)が組織され、開設イベント、ジャパン・カルチャーデーを計画と実行に取り組んだ。
ジャパンギャラリーのコンセプト
Big Ideaである ” Stillness & Movement: Art from Japan“ 静と動-日本美術ー日本の現代美術と古典美術のコンビネーション。サブテーマとして日本の伝統的な空間と動作の再現を設定されており、5つのセクション(能、床の間、茶の湯、絵画、仏教)で構成されている。
展示作品
「銀鯰尾の兜」(作者不明)地を揺るがす力のある生物と言われるナマズ、貝の形状の立物(兜につける飾り金物)は、硬い殻で自分の身を守るなど、縁起を担ぐような立物のが付いた兜を昔の武将は保身の願いから甲人に作らせた。「形象兜」「形兜(なりかぶと)」とも呼ばれる。 鉢の上に和紙や皮革、動物の毛などで装飾を施したものと、鉢の形状自体を加工して作ったものがある。 動植物・器物・地形・神仏などあらゆるものをモチーフにし、当時の武士の気性を反映した奇抜なデザインが多い。江戸時代に入ると工芸技術の向上により、更に多様な装飾性の強い兜が作られるようになった。
今野朋子(1989-) 「クリーチャー」1600年代の兜と対比するのは、現代作家の作品。練り込み技法などで様々な磁土と顔料で色土を作り、それを混ぜ合わせて作ったパーツを、花びらや花芯状に重ね、想像上の生物のような形のオブジェを作って表現する作品。その時に感じたこと、気になるもの、心の中にあるものを手掛けているという。
【能】 日本の観世九皐会(かんぜきゅうこうかい)の協力を得て制作された概説用の短編ビデオが映し出される。ビデオは同ギャラリー向けのオリジナルで、DIAのコレクションに似た能面がビデオの中で使われている。
【 茶室 】
Interactive tea tableという、デジタルでテーブルに向って座し、スクリーンに映し出される師匠のナレーションに従って、3Dプリンターで作られたレプリカ茶碗を手にとって、茶道のお点前を体験する。
【仏教寺院】
松雲元慶(しょううんげんけい、1648-1710) 「羅漢像」 (木製、漆、1691-1700ごろの作成)松雲元慶が江戸の町を托鉢して集めた浄財をもとに、十数年の歳月をかけて彫りあげた500体以上の羅漢像のうちの一体であり、現在は305体が現存し納められている、東京・天恩山五百羅漢寺の羅漢像の写真がジャパンギャラリーの羅漢像の横に並んでいる。
酒井抱一(1761-1828)「松に雪図」
尾形光琳の作品から琳派を学んだ絵師。譜代大名・酒井雅楽頭家に武家の次男坊として生まれた。文芸を重んじる酒井家の家風を受け、若き日より俳諧や書画をたしなみ、二十代で狂歌や浮世絵などの江戸の市井文化にも手を染めた抱一は、三十七歳で出家、宗達、光琳が京都で築いた琳派様式に傾倒し、江戸後期らしい新たな好みや洗練度を加えた、今日「江戸琳派」と呼ばれる新様式を確立。それぞれの季節がすっきりと描かれている。“典雅の華“と謳われる作風。 「雪月花」のうちから「松に雪図」が展示されている。「月に群青」「桜花」がDIAに所蔵されている。
尾形光琳(1658-1716)「水牛に萩蒔絵螺鈿硯箱」
日本の国宝「風神雷神図屏風」や「紅白梅図屏風」「燕子花図屏風」などの名作を描き、装飾性に富む「琳派」の画風を生み出した江戸中期の画家。呉服屋に生まれたこと、放蕩三昧の時に良い品を見る機会に恵まれたことから、絵画のほか染め物や工芸のデザインなどの知識も豊富だったと言われている。光琳は当初、狩野派に入門するも、その後は独学で修行。手本としたのは、光琳より80年ほど前に活躍した俵屋宗達の作品だったという。
鈴木其一(1795-1858) 「葦に群鶴図屏風」
江戸時代後期の絵師。江戸琳派の祖・酒井抱一の弟子で2017年には、琳派を超えた異才として日本でも朝顔図屏風(メトロポリタン美術館蔵)が公開された。琳派の代表格である尾形光琳らの華麗な画風をもとにしながら、強烈な色彩や鋭い描写をジャパンギャラリーで見ることができる。
「小箱入り折本」 山本梅逸、山本竹雲、田能村竹伝、岡田半江の合作
山本梅逸(1783‐1856):江戸後期の南画家。尾張生れ。同郷の中林竹洞とともに上洛、花鳥・山水画に画名をあげた。特に着色の花鳥画を得意とした。詩歌・煎茶・鑑識にも長じた。晩年尾張に戻り藩の御用絵師となる。 山本竹雲(1826-1894)岡山県に生まれた篆刻家・画家・茶人。 細川林谷に師事し篆刻・画を学んだ。 漢学を篠崎小竹に学ぶ。
煎茶に通じ、茶器の鑑定にも定評があった。
田能村竹伝 (1777-1835):江戸後期の南画家。豊後竹田の岡藩藩医の家に生まれる。儒学を志し藩校の頭取にまでなったが、藩政改革の建白書を無視され、1813年辞職。以後文人生活に専念した。画は南画様式に忠実で品格高いが、構成力はやや弱く小品に優品が多い。
岡田半江 (1782-1846) 父に絵を学び、父と同じく津藩大坂蔵屋敷に仕えたが、左遷されて京邸に移り致仕。以後書画三昧の生活に入り、頼山陽や篠崎小竹らの文人墨客らと交流。
辻与次郎(生没年不詳)安土桃山時代の釜師、鋳物師。千利休の釜師となり、利休の好みの丸釜・阿弥陀堂釜・尻張釜・雲竜釜・四方釜など鋳造し、また、炉に掛けるための釜の羽を意図的に打落して古作の釜のような古びた味わいをだす羽落(はおち)や、鋳上がった釜を再び火中に入れて高温で赤くなるまで焼いて釜肌をしめる焼抜(やきぬき)を考案したとされている。当代随一の釜師として天下一の称号を名乗る事を豊臣秀吉から許された。
鎌田幸二(1948-)「曜変油滴天目茶碗」
鎌田氏は天目に長年一貫して取り組んでいる、日本の天目の第一人者ともいえる作家。天目茶碗とは、天目釉と呼ばれる鉄釉をかけて焼かれた陶器製の茶碗のこと。そして、曜変とは、陶磁器を焼く際の予期しない色の変化すなわち窯変を指し、その星のような紋様・美しさから、「星の瞬き」を意味する「曜」の字が当てられるようになった。漆黒の器で内側には星の様にもみえる大小の散らばり、斑文の周囲は藍や青で、角度によって虹色に光彩が輝き、「器の中に宇宙が見える」とも評される。日本では室町時代から唐物の天目茶碗の最高峰として位置付けられている 。油滴天目とは、黒釉 地に油滴に似た銀色または金白色の斑文 (はんもん) が表れたもの。天目を英語では、rabbit’s hair glazeという。
【FAACメンバーシップ】 DIAのメンバーシップ(年会費:65㌦)に加えて、DIA内各ギャラリーの支援組織の一つである、Friends of Asian Arts & Cultures(年会費:50㌦)会員へも、DIAもしくはウェブサイトから申し込みできる。入会されて文化のパトロンとなってみられてはいかがだろう。会費は新しい所蔵品の購入、講演会の開催等に役立てられる(税控除有り)。メンバー特典は、DIAでの展覧会、講演会、イベントのご案内、常設展と特別展への無料入場、ギフトショップ&カフェでの10%割引などがある。メンバーだから、お休みの日や平日時間のある時に、DIAへ出かけてちょっとゆったりとした良い時間を過ごそうか・・・というのはいかがだろう。
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