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教養として知っておきたい「編集」の基本②:仕事のどこに「編集」をつかう?

この記事は、さまざまな「モノやコトの編集」にたずさわるなかで見えてきた編集の基本的な考えかたを紹介する『教養として知っておきたい「編集」の基本』のシリーズです。

■ 組み合わせると、なぜ「意味」が変わるのか

「編集」とは、組み合わせによって価値や意味を引き出すこと。そのことを以前の記事では、つぎのような2組の写真をつかって説明しました。


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なにか手を加えたわけでもないのに、横にならべるものを変えるだけで、左側の写真の意味がちがってしまう(ひとつめの組み合わせは「プライベート」、2つめの組み合わせは「恵まれた人たち」というニュアンス)。こうやって、組み合わせのなかで価値や意味を引き出すのが「編集という営み」の基本形です。

でも、なぜ「ならべる」だけで意味が引き出されてくるのでしょうか。

じつはここには、人間がもっているある意識のはたらきが作用しています。
それは「共通性をさがす」こと。

モノがならんでいるのを見ると、その共通項をさがすクセのようなものが人間にはあります。たとえば、街で60歳くらいの男性と若い女性が親しそうに食事しているのを見かけたら、つい「仕事仲間かな? 家族かな? それとも……」と関係性に思いをはせる。あるいは、夕飯の食卓にチャーハンとシューマイがならんでいたら、「きょうは中華だね」なんていってしまう……。そうやって、無意識のうちに「ならびの理由」=共通性を見つけようとします(ただし、この共通項は、通常、「なんとなく」の無意識レベルで把握されるもので、言語化がされないことがほとんどです)。

そして、共通性を把握したら、今度はそれをベースにした「ちがい」に意識が向かいます。

いまの男女の話でいえば、「仕事仲間」という共通性を意識すれば、2人から「上司と部下」という意味が引き出され、「家族」という共通性を意識すれば「父と娘」という意味が引き出される。要するに、「どこが同じか」がわかるから、「どうちがうか」がわかってくるわけです。

これと同じ意識のはたらきが、先ほどの写真を見たときにも起こっています。

たとえば、2つめの組み合わせでは、2枚の写真を見たときに、(無意識のレベルで)まず把握される共通性は「日常」や「人生」です。

その「日常」や「人生」において、2枚の写真は「どうちがうか」。
そういう意識の動きのなかで、左の写真からは「恵まれている」、右の写真からは「困窮している」という意味が引き出されてくるわけです(そして、左の人たちに対して、ちょっとネガティブな印象をもったりします)。

■ 編集のカギは「コンテクスト」にある

いまお話ししたような意識のはたらきは、ちょっとちがった写真のならべかたをしてみても実感できます。


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え? ピンとこない? 

……それが正解です(笑)。

この2枚は、「すぐには共通性を感じとりにくい」組み合わせです。そうなると、急にそれぞれの写真に明確な意味づけをしづらくなりますよね。「どこが同じか」がわからないから、「どうちがうか」もわからないわけです。

さて。このことから、なにがいえるでしょうか。

それは「編集」のカギをにぎっているのは「共通性」を読み取る力だ、ということ。

世の中にはなにかをならべたり、組み合わせたりしたものは数多くあります。でも、それらがすべて「編集されたもの」とはいえない。「編集」されたものなのか、そうでないのかのちがいは、その組み合わせをつくるなかで「共通性」が意識されたかどうかによります。

そして、この「共通性」こそが「コンテクスト」と呼ばれるものです。
最近はビジネスの世界でも「コンテクストを変えて、モノのとらえかたを変える」などといわれることがありますが、それも「関連づけて(組み合わせて)考える対象」を変えて「別の共通性」を読み取ろうとしているということ。

「コンテクストを意識する」とは「編集的に考える」ということなのです。

■ 編集の「2つの効用」

こうした原理をふまえたうえで、「編集=組み合わせによって価値や意味を引き出すこと」を、日常にどんなふうに生かすことができるでしょうか。

そのことを考えるうえで、まず知っておきたいのは、編集には大きく分けて2つの方向の効用があるということです。

ひとつは、価値や意味の「発見」や「解釈」。
もうひとつは、価値や意味の「伝達」。

いわば、「インプット」と「アウトプット」の効用です。

「インプットの編集」は、モノとモノと組み合わせと向きあったり、じぶんで組み合わせをつくったりするなかで、そこにある価値や意味を読み取る営み。データや情報を分析したり、モノの魅力を発見したりといったものがそうですが、要するに、価値や意味の引き出しをおこなうわけで、やはり「コンテクスト」の読み取り(関係性の発見といったほうがわかりやすいかもしれません)がカギをにぎります。

そして、「コンテクスト」はひとつではありません。先ほどの「60歳くらいの男性と若い女性」の組み合わせでも、外から見てわかる範囲だけでも「人間」とか、「グレーの服同士」とか、「髪が短め」とか、いろんな共通性があったりします。

そのなかでどれを採用するのか。読み取り方がユニークであれば、ユニークな解釈が生まれることになりますから、そこがいわゆるセンスの部分です。

いっぽうの「アウトプットの編集」は、まさに出版などのメディアに関する仕事がそうですが、あるモノのなかに存在する価値や意味を、組み合わせのなかで引き出して伝える営みです。モノとモノを組み合わせて人に見せ、価値や意味への理解をうながすわけで、「コンテクスト」は解釈してもらうための手がかりとなります。そこを受け手にうまく感じとってもらえないと、先ほどの「草原の木」の組み合わせのように「伝わらない」ものになってしまう。

だから、「アプトプットの編集」では、「一般的な“ふつうの人”の感覚」を把握できていることが、編集をする人に求められます(といっても、ありきたりなコンテクストではつまらないわけで、受け手に読み取ってもらえるギリギリの組み合わせをつくることが、今度はセンスとして問われます)。

■ 仕事における「4つの編集のつかいみち」

では、この「インプット」と「アウトプット」の編集はどんなことに生かされる、もしくは生かされているでしょうか。とくに仕事にかかわるところでいえば、おもなものは、つぎの4つだとぼくは考えています。

1.情報の整理
2.コミュニケーションの管理
3.コンテンツづくり
4.価値の異化

1の「情報の整理」は、先ほどもお話しした「インプットにおける編集」にかかわるもの。

雑多な情報群を整理するためには、ものさしとしての基準や意味(=共通性/コンテクスト)が必要であり、それはひとつの情報をほかの情報との組み合わせのなかでとらえることによって発見されます。

アンケート調査の結果分析も、ヒアリングによる経営者へのアドバイス(経営者の思考の整理)もそこは同じ。その情報群に埋蔵されている共通項/コンテクストをどう発見するか。あるいは、具体的なモノをどう抽象化していくか(抽象化も複数のモノの関係性のなかでの共通性の発見がベースにあります。そうでない抽象化は単なる決めつけになりがち)。そこでは組み合わせで物事をとらえる「編集的な視点」が力を発揮します。

2の「コミュニケーションの管理」は、先ほどお話ししたもうひとつのほう、「アウトプットの編集」にかかわるものです。

社内で共有する文書はもちろん、広報や宣伝、プロモーションで用いるさまざまな発信物もそうですが、文章であれ、映像であれ、きちんと伝えるべきことが受け手に伝わるためには、それを構成している言葉やビジュアルといった要素が、適切な組み合わせをなしている必要があります(詳しくは『教養として知っておきたい「編集」の基本①』をご参考ください)。

まさに出版の編集者が原稿を読みながらやっていることを思い浮かべてもらえるといいのですが、そこがうまく実現されているかを吟味して、調整していくために必要なのは、やはり「編集的な視点」です。

そして3の「コンテンツづくり」。これは2の「コミュニケーションの管理」に近いところもありますが、実際にはずっとクリエイティブです。

そもそもコンテンツとは、ひとことでいえば「“メッセージ”を“表現”したもの」。なにか伝えたいことがあって、それを文章やビジュアルなどのさまざまな要素をつかって伝えているものです。この「表現」の部分に「組み合わせによる価値や意味の引き出し」が用いられています。

「コンテンツづくり」が、2の「コミュニケーションの管理」と決定的にちがうのは、その組み合わせるモノをじぶんで見つくろって、じぶんで組み合わせをつくるところ(知識をもっていればコンテンツをつくれるわけではない理由のひとつは、ここにあります)。そして、その組み合わせのコンテクストとしてメッセージが受け手に伝わり、それをきちんと感じてもらえたときにはじめて深い理解や納得、共感をもたらすことができます。

■ コンテクストが「個々の要素」を輝かせる

少しだけ具体的に考えてみましょう。
シンプルなところで、たとえば、5人の講師を招いて社内で講演会を開く、とします。

この場合、メッセージとなるのは「テーマ」の部分。仮に「創造性」を学ぶ必要があるとして、それは商品開発などの「ビジネス的な創造性」なのか、広告やデザインなどの「コミュニケーション分野の創造性」なのか、もっと「普遍的な創造性」なのか……。そこをしっかりと決めたうえで、それが引き出されてくるような組み合わせを、表現の部分である「5回の講演」の人選や演題によってつくっていくわけです。

テーマが「コミュニケーション分野の創造性」なら、

 ・デザイナー
 ・コピーライター
 ・雑誌編集者
 ・お笑い芸人
 ・小説家

のような5人の講師がならべば、めざすメッセージを感じてもらえます(あえて演題は省略していますが、演題を含めるともっと精度が上がります)。

では、メッセージが「普遍的な創造性」だとどうでしょうか。
人数が少ないと、なかなか難しいのですが……、

 ・デザイナー
 ・映画監督
 ・連続起業家
 ・脳科学者
 ・料理研究家

のような5人の講師であれば、それなりに表現できそうです。

こうした組み合わせをつくることで、受け手はそこにある「メッセージ=コンテクスト」を感じとります。そこで「どこが同じか」がわかるから、それぞれの「どこがちがうか」が際立つ。その結果、個々の講演内容を額面どおりに味わうだけでなく、そこにより深い意味や価値を読み取ることができるようになるわけです。


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もちろん、いまここで示した“人選”はあくまで一例にすぎません。もっと手がたく、メッセージに沿った人選をすることもできますし、逆にもっと「ギリギリ伝わるかどうか」みたいなところで人選することもできます。それに肩書きや職種だけでなく、「だれ」に来てもらうかも、もちろん大切です。
でも、ネームバリューのある人が来たとしても、コンテクストが維持できなければ、メッセージを感じてもらうことは難しくなるわけで、そのあたりのさじ加減が、編集者の腕の見せどころです。

(ちなみに、近い例でいえば、ぼくが以前「クリエイティビティ」をテーマにした研修プログラムを大手広告会社のために企画したときには、プロダクトデザイナーや編集者とともに「世界的なバーテンダー」を講師のひとりに招きました。コンテクストの維持を考えるとかなりギリギリの人選ですが、でも、それがうまくいけば、意外性があるぶん、かえってメッセージをつよく意識してもらうことができます。実際にそのときは、ほかの講師の人選とも相まって、いい反響を得ることができました)。

程度や作法のちがいはありますが、基本的に多くのコンテンツは、伝えたいメッセージを、こんなふうになんらかのモノや情報を「表現(組み合わせ)」することでつくられます。しつこいようですが、カギをにぎるのは、組み合わせによってコンテクスト(メッセージ)がきちんと受け手に伝わること。そこには、編集的なアタマのつかい方がクリエイティブに生かされているのです。

そして、いまのビジネスの世界で、もっとも「編集」に期待されているのが、4の「価値の異化」です。それは……と、つづけたいところですが、ちょっと記事が長くなりすぎました。「価値の異化」については、日をあらためて、別の記事として書いてみようと思います。






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