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鷗に翼~マリノス「ファミリー」考~

低迷するたび巻き起こる「プロは結果が全て」「ファミリーだから支えるべき」「結果が出なければ批判は当然」「都合のいいときだけファミリーか」などと繰り広げられるマリノスファミリー論。
ここで、ワタシなりの「マリノスファミリー」を整理してみました。

なお前半は朝ドラ「虎に翼」を見てないひとを完全に蚊帳の外としています。「わかる。俺にはわかる」という方以外は、目次を見て適度に飛ばしていただけると…。笑


「虎に翼」は、イイ!

2024年上半期、わたしの心を捕らえて離さなかったのはマリノス……は、まあ、いつものことなので、それ以外では間違いなくNHK連続テレビ小説(いわゆる朝ドラ)「虎に翼」です。
コミカルな要素は交えつつ、真剣に真摯に、憲法を軸として多様性や平等・公平…いや、人間の尊厳を描いた、素晴らしい作品でした。原爆裁判の回や尊属殺重罰規定違憲裁判などは特に、涙なくして見られない、心が震えるエピソードでした…🥺

居心地の悪い朝ドラの家族観

描き方がよいと感じたのは、家族観も、です。
朝ドラあるあるだと「ダメな父親がほんとうにダメダメで主人公も家族も周囲も振り回されて苦労しまくるんだけど、なんか憎めなくて許されちゃう。だって家族だもん!」みたいな家族讃歌があって。最近だと、主人公が仕事に心血を注ぎまくって家族がないがしろ、というのもありますね(寅ちゃんもその傾向はアリでした!新潟行く前とか)
まあ、朝くらい家族の清々しさを、ということなのかもしれませんけれど…ちょっと待ってほしい。
そこまで迷惑かけられて「家族サイコー!」と思わなきゃいけないのか。さんざん家族をないがしろにしておいて「それでも家族って素晴らしいわね」って世の中そんな家族ばっかりのはずがないだろ!(我が家だよ!)
そう思わないのはおかしい、みたいな空気感、なんなのよ!

本作「虎に翼」の家族観

そこで「虎に翼」。この作品は、そのあたりの匙加減がいい。その方が、イイ!
寅ちゃんのお父さん・直言さんは、(朝ドラあるあるに比べたら全然マトモで素敵な父親ですがそれでも)夫・優三さんの死を半年近く隠して寅ちゃんを傷つけたことを、無条件で許されてはいない。寅ちゃんの兄の嫁であるところの寅ちゃんの親友・花江ちゃんも、寅ちゃんに対し、怒っていい許さなくていいと言います。

花江「私ね、やっぱりお義父さんがやったことはとんでもなくひどいと思う。優しくする必要なんてない。怒ってもいい、罵倒してもいい。寅ちゃんはきちんと伝えるべきよ」
花江「寅ちゃん、許したくなかったら許す必要ないのよ」

第9週「男は度胸、女は愛嬌?」(第43回)


怒って、怒って、言いたいことはっきりしっかり言って、許せないことは許さないけど、その上で家族として好きなのよ。嫌だ、を飲み込まない。
何もかも我慢して無償の愛を注ぐ、なんてことはしなくてもいい。きちんと話して、想いを伝えて、溝を埋めていく。

でも、家族といえど埋められない溝もある。
よねさんや梅子さん、はたまた尊属殺重罰規定違憲裁判における加害者である美位子さんは、家族の嫌なところ・苦しめられたことを以て家族を捨て、「家族は無条件で大切にしなければならない」の呪縛を断ち切っている。それでもいい。
また、寅ちゃんと航一さんのように、永遠の愛を誓わず「家族のようなもの」から始めたっていい。
もちろん、花江ちゃんのように「家族を支えて、家族が幸せにしているのを見るのが私の幸せ」であってもいい。

花江「私の一番の幸せは、こう、ほっと一息ついた時に楽しそうに笑うみんなを眺めることなのに」

第13週「女房は掃きだめから拾え? 」(第65回)


(ほんとうは轟さんとか山田轟法律事務所with梅子さんとかにも言及したいが、きりがないので割愛💦)

多様な家族のありようを描く本作品の家族観を敢えて一言でまとめると「家族観は多様でいい、という家族観」でしょうか。ちょっとメタな表現ですけれど。

わたしのマリノスファミリー観

ケンカはやめてー わたしのために争わないでー

特定の「家族構造」「家族観」に縛られなくていい。だって価値観は人それぞれだから。これが「虎に翼」が示してくれたもの。
そんな家族観から、マリノスを見てみると…
「マリノスファミリー」という言葉で誰かの行動に制限をかけようとする人。
行動に制限をかけられることで「マリノスファミリー」という言葉に拒否反応を持つ人。
はて。
誰が言ったかマリノスファミリー(註:アンジェだな)、構成するサポーターみなさん各々が持つ家族観によってマリノスファミリー観も揺らぎ、いいときには結束の源となり、わるいときはそれゆえ争いのもととなる。
でもね。
その戦い、何か意味ありますか。
だって、そう。
家族観、ファミリーというものの捉え方は、きっと本来は定義やルールがないものなのだもの。自由なんだもの。
寅ちゃんみたいに、理解し合おうともがくことは大切なんだけれどもさ!

ぼくのかんがえたさいきょうのマリノスファミリー

わたしの家族観です。
わたしは、マリノス関係者みんながマリノスファミリーなのは、自分の家族観から、とても好きなのです。
家族って、みんながまったく同じこと考えてまったく同じ方向を向いて完全に一致団結、なんかしなくていいと思っています。価値観が多少違ってもいい、緩やかに同じような方向を向いて、できる範囲で緩やかに力を合わせる。それでいいんじゃないかしら。

そして、まったく同じでなくていいからこそ、家族だからって/家族だからこそ、すべての結果を支持する、なんてこともしなくていい。
批判してもいい。怒ってもいい。
でも、批判の根底には愛…というと曖昧ですね、ファミリーの構成員である個人の尊重、存在承認が絶対になくてはならないもの。
(「愛ゆえに」と尊厳を踏みにじってボロクソに言うの、それ家族相手だと虐待かDVですから
サッカークラブが補強する選手を選ぶのと同様、選手だってどこのチームを選んでもいい。そんな中で、マリノスに来てくれたこと。マリノスにいてくれること。
梅子さんが笹竹で言われたように、ただそこにいてくれること、ファミリーでいてくれることへの感謝と愛を持つことこそが、選手のみなさんをはじめとするファミリーに対しては必要なんじゃないかなと考えています🙂(批判するとかしないとかは、その上でのことだよねー)

梅子「ごめんなさいね。ここのところお店にいてもなーんの役にも立たないで」
道男「何言ってんだよ。梅子さんはあんこの味見してくれるだけでいいんだよ」
大五郎「うん。そこにいてくれるだけでいい」

第26週「虎に翼」(第129回)

マリサポって、大きな方向性でいえば皆、マリノスに強くて魅力的なクラブになってほしいはず。
とするとですね、そう思えるマリノスファミリーは「せかいさいきょう」ですよ、きっと。
揺るがないから。ブレないから。
だって、大きな方向性が一緒だったら、細かなことは違っていたって同じファミリーだって、胸を張って言えるんだもの。
怒ってもいい。許さなくてもいい。愛の形が異なっていてもいい。でも、大きな流れでは同じような方向に歩んでいけばいい。共に歩む仲間を見つめて、言いたいことは言って、言いたいことを言われて、対話を重ねて溝を埋めていきながら、また共に歩んでいけばいい。

敢えて苦言を

だから、選手・コーチングスタッフ・フロントスタッフ・パートナー企業のみなさんがチームにいてくれること、ファミリーでいてくれることへの感謝が欠落して、選手に向かって「○○要らねえ」などと言ってしまう人は…
その選手を家族から追い出すのではなく、自分の思いどおりにならない「居心地の悪い家族」から自分が抜けていいんだよ、マリノスファミリーに縛られず、どこへでも行くがよいよ…と思ってしまうこともある😌

でも、それもきっと違うんだろうな。
その人だって、表現技法や心情吐露の手法は稚拙かもしれないけれど、マリノスのことは好きなんだよな。語彙というか、嫌だよ悔しいよという気持ちの適切な表現、心の内側を言語化する力が強い感情に追いついていないだけなんだろうな。そういう人とも語り合ってわかりあうのが、多岐川さんの言うところの「愛」なのかもなあ。
だからといって、それらは許される言葉ではないし、許したくなければ許さなくていいと思うけれど…。
なので、発芽玄米の言葉で自省してもらえればいいなと切に願います。

小橋「そんでお前が想像している通り、その苦しさはずっと続くし、お前はこの先の人生、ずっと出来るやつらと比べられ続ける」
小橋「でもその苛立ちを向ける時、お前、弱そうな相手を選んでないか?」

第22週「女房に惚れてお家繁盛? 」(第107回)

余談または結論

ここまでの家族観の話題とは多少ズレますが…
家族の構成も多様だと思うので、
箱推し、個サポ、応援、旗振り、撮影、子連れ、戦術部、現地皆勤、DAZN組、海外組、遠くから念を送るオカルト派、
みんなみんなみーんなマリサポ、マリノスファミリーでいい。
ここまで書いてきたこと全部意味なくなっちゃうけど…なんだかんだ言って、マリノスが好きな世界中の人間または生きとし生ける者すべて、マリノスファミリーで、イイ! みんなに鴎の翼が生えればいい! 繋いだ手羽は離さないよー。

「俺たちは誰が何と言おうと家族だ!なあ山田!」
山田「知るかあほ」

第26週「虎に翼」(第129回)

その方が、イイ!

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