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Tokyoでの夏休み〜続き

その年の7月、結局は語学研修も兼ねて南仏に行くことになったのだが、渡仏するギリギリの6月末まで、今は無き銀座のプ○ンタンで短期バイトをしていてかなり忙しかった。

…はずなのだが、ピノさんとMヨシさんとは確か2度程会っていたし、ランゲージ・エクスチェンジで知り合ったパリ出身の男子にもパスカルさんの相談をしていた思い出がある(カタカナばかりだな…)

フリーのジャーナリストで同い年のロマン君とは、タワレコに置いてあった外国人向けフリーペーパーの語学交換ページでその前の年に知り合った。

ロマンとは同い歳だし、語学交換フレンドとしてウマがあったが、互いに語学レベルが初級過ぎて何となく疎遠になっていた。

しかし、私が在日フランス人の心の拠り所、日仏学院にパスカルさんとのメール交換の為通うようになると、図書館に頻繁にやって来る彼と再度交流するようになった。

半年の間に、私も彼も語彙が増えてコミュニケーションが取り易くなっていた。

パリでの事の顛末を正直に話すと、アバンチュールだ、距離がある関係は上手く行きっこないよと、お花畑だった私は頭ごなしにたしなめられた…

アバンチュールと言われた悔しさか、反対され益々感情に火が着き、ついには南仏まで行くことが決定すると、
「僕はどうなっても知らないよ」と眉をひそめられた。

そしてピノさん達がTokyoの休暇を謳歌していたほぼ同時期、電話をかけてきたロマンが、パリジェンヌに会いたくないか?と聞いてきた。

「Oui Oui!もちろん会いたい!」

ロマンのパリの女ともだちがやはり夏休みで、日本を探索しようとやって来ていた。

ラフォーレ原宿向かいに有ったGAPの前で待っていると、ロマンが金髪ショートヘアの女の子と、小柄で黒髪ボーイッシュな女の子を連れて現れた。

金髪の女の子キャロルが、パリでロマンのご近所さんだったそうで、その日は原宿で回転寿司を、渋谷の居酒屋では日本酒を一緒に味わった。

ゲームセンターでプリクラを撮ろうと言ったら、「えっ!写真を撮るの?ちょっと待って!」とリップグロスを慌てて取りだしたのがパリジェンヌと言う感じで微笑ましかった。

私が翌月フランスに再訪することを話すと、
「じゃあ、あなたのフランス語のクラス(夏季講座)が終わったらパリで会いましょ。良かったら私のアパルトマンも使ってね!」
と、またしても気前のいい招待を受け、冷酒のせいかクラクラと目眩がした。。。

この辺りでフランス人と日本人の、招待に関する考え方の違いに早々と気付いておけばよかった。。。

でも、キャロルのおかげで後々かなり救われたのだ。

紹介してくれたロマンのおかげである。

ありがとう(本当の名は)ロラン。

ピノさんと東京で最後に会ったのは、東横線の祐天寺だったか学芸大学駅だったか…。

サケ(日本酒)が呑みたい、と言われ、彼の滞在していた日本人宅の最寄りの地域をぶらついた後、駅前の大学生が騒がしかった居酒屋に落ち着くと、南仏に向け最後のレクチャー、アドバイスを受けた。

invitation(招待)なんだから、リラックスして過ごして構わない。家賃も要らない。でも外食する時や、一緒に買物に行った時は時々支払えよ、等々。

「mitsuyoはフランスに住みたいんだな。オレとは逆だ。オレは日本に住みたい(泣)皮肉なもんだな…」
「モンペリエで上手くやれよ。グッドラック」

ああ、本当にほんとうに上手くやれたら良かったのに…

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