パスカルさん
流れで日曜日の午後デートする羽目になった私とパスカルさんは、店から離れてない場所に停めてあった彼の車で移動することになった。
188cmの身長に不似合いな深緑色のミニクーパーだった。
まるで大人がゴーカートに乗り込むように身を屈めてシートに座ると、1日この小娘の相手をすると覚悟を決めたのか、こちらを見てニッコリと笑った。
私は全く日本語の分からないフランス男性と2人きりという状況に戸惑いつつも(私が彼を選んだから仕方ないのだが)こうなったら下手くそなフランス語でもう乗り切るしか無いと腹を括った。
(とにかく三箇所!エッフェル塔/観覧車/バトー・ムーシュの三箇所に連れて行ってくれた後、N子さんのアパルトマンに送ってくれさえすればいい!)
左岸に渡り、数日間出歩いたサンジェルマンの通り沿いのスペースに車を停め、最初に近くの教会に入った。
多分入ったのは位置的にサンジェルマン・デプレ教会。静かなこじんまりした教会内では午後の日曜礼拝の真っ最中。キャンドルを灯した薄暗がりの中で厳かに信者が賛美歌を歌っていた気がする。
パスカルさんはこちらを見てニッコリ笑ったが、私はカトリックの教義が分からないので、暗闇でボソボソ祈りを唱える信者達が少々不気味でもあった。
15分くらいミサを眺めたあと「tu t'ennuies(退屈してるね)」と、明るい戸外に連れ出されるとベタにセーヌ河岸に降りてテクテクと散歩した。
風が強くて髪がバサバサ顔に掛かるので手で振り払っていると、パスカルさんが私の前髪を直そうと覗き込み、素早くサッとキスをしてきた。
「le kiss volé!(盗まれたキス!)」と言って笑っている。フランス人の展開の速さに戸惑った。
当時の私は、日本でも何となくの出会いは有ったものの、将来に繋がるようなピンと来るものは無く、運命の相手を探すのに焦りが出ていた時期でもあった。
(この流れはもしかすると…)
コンコルド広場の観覧車に乗った際も、同乗したキャビンの向かいに日本人の新婚風カップルが居たにも拘わらず、蜜月度合いはこちらの方が俄然高くなっており…(気まずくさせてすみませんでした…)
エッフェル塔の上階で風に吹き飛ばされそうな時も、強風の中でドラマティックなキスをして完全にパリの恋人達になりきりムードとなった。
観光用のバトー・ムーシュの時間に間に合わなかったので、船をクラブ・レストランに改造したバトファーとやらに連れて行って貰ったが、クラブも隣接のバーも騒がしく、下手なフランス語で大声で話すのがシンドくて、結局すぐに下船してしまった。
月明かりの下、船着き場でパスカルさんが長身を折り屈め、私がうんと背伸びしてキスをした。
パスカルさんの巻き毛越しに満月がくっきり空に浮かんでたのを覚えている。
そう、月がまん丸だったのだ。あの夜は…。
1月の夜のパリはもちろん寒い。
昼間の軽装備のままで、高揚する気持ちと裏腹に身体が冷え切っていた。
パスカルさんのコートに入れてもらい、電信柱に張り付いたセミのような姿で、静まり帰った日曜日の街中を彷徨った。
フェンシング道場の前を通った時に、子供の時にフェンシングをやってたけど、身体が大きくなっちゃって辞めたんだ。とパスカルさん。
Ah-bon? 私もJapaneseフェンシングやってたけど、そのせいでチビなのよ。
???日本のフェンシングって小さくなるの?
もう深夜を回っていた。
パスカルさんが自分のアパルトマンでコーヒーを飲まないか?と言う。
Non、帰ります。
コーヒーくらい飲んで行きなよ。
Non、Mヨシさんが知ったら大変。
なんでだ?君はMヨシサンが好きなのか?
Non、彼はバイ・セクシャルだし(さっき言ってた)
君もバイ・セクシャルなのか?
Mais non!私は男性が好き。
僕も女の子が好きだよ!じゃあちょうどいい!(笑)
…くたびれ果ててついに観念した。真夜中のパリでこの人に送って貰わないと貸部屋に帰れない。
じゃあ、Just un café.コーヒー1杯だけよ。
パスカルはニッと笑った。
送って貰う帰りの車の中で、パスカルはニコニコしながら「C'est amusant(楽しいね)」
と言ったが、私はすっかりやらかしてしまった気分で、彼にも自分にもプンプン腹を立てていた。
このまま旅の恥はかき捨て、という訳に行かない。
「アナタのアドレスをちょうだい」
パスカルはメールアドレスを書いたメモを私にくれた。私の方はまだフランス語でやり取りできるメアドが無かった。(スマホの無い時代です…)
「大丈夫。日本からメールが来たらすぐ分かる。見つけるよ」
アパルトマンの建物には入ったが、個人宅のドアが開かず、じたばたしていたらN子さんの妹さんがパジャマ姿で開けにきてくれた。
(旅行客が迷惑かけてすみません…)
部屋の窓から通り側を見下ろすと、腕組みをして車にもたれ掛かったパスカルさんが、私の部屋の電気が着くのを待っててくれた。
私が窓から手を振ると、大きな手のひらからフッとキスを飛ばし、ニッコリ笑うと車に乗り込んだ。
真っ暗な明け方の街を走り去って行くミニクーパー。私は複雑な想いで見送ってからベッドに入った。
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