ビリー
結局パスカルのアパートに戻ることになった私は、何事もなかったかのように月曜日は語学学校に行った。学生寮を勧めた校長先生に寮には入らないことを報告すると、猛反対されるかと思ったが(決めるのはアナタだから)とアッサリしたものだった。
中級クラスには日本人の女の子が二人いた。
地方の大学に留学中のK子ちゃんと、英語がペラペラ、小柄でしっかり者のAYAさん。
AYAさんは英語が話せるので、同じ寮の英語圏の生徒たちとストレス無く交流していた。
(AYAさんが使い捨て2week用のコンタクトを度数が近いと譲ってくれたおかげで助かった…)
K子ちゃんは、寒い地方のP大学に籍を置いていて、夏休みの間だけ南仏の語学クラスを受けにやって来ていた秀才だが、休み時間はいつもバルコニーに出てタバコをスパスパ吸うバンカラ女子だった。
学生寮にいる彼女は、私の珍妙な居候生活に興味を持ったようだった。
「ヘェーアパルトマンかぁ〜!いいなぁー
…で、その大家さん(パスカルのこと)カッコいい?セクシー?」
「…わ、私にとっては💦」
ひゅー♪と口笛を吹かれたが、余計なことを言わなければよかったと後で後悔した。
まだパリの想い出を引きずり、心の整理がついていなかったのだ…。
午後の予定を聞かれ、ビリー君、ガエルたちと海に行くことになっていたので、K子ちゃんも誘うと二つ返事で「行く!!!」となった。
ビリー君の車と、クリストフの運転する車2台で近くのビーチへ。
皆んなでビーチに寝そべってお喋りしながら、またもせっせとブロンゼ(肌を焼く笑)
月曜の午後、ガエルは学校が夏休みだし、クリストフはパスカルの同僚だから融通が利くとして、ビリー君その他数人は平日の午後ヒマなのか…?
訊くと、彼らは皆ショマーズ、つまり失業中。
失業手当を貰い、のらりくらりその日暮らしの生活を楽しんでいるのだった。
(ビリー君はたまに広場でギターを弾いて小銭も稼いでいた)
地方の自治体によって異なるようだが、当時の南仏の失業手当はかなり手厚く、下手に働いて税金を取られるよりよっぽどいい!とのことだった…。(高給取りほど納税額が大変なので、著名人など近隣国に住民票を移したりしているし…)
ビリー君はガエルの小学校の幼なじみらしく、テラスに集まる面々と仲が良かったが、彼のエキゾチックな容姿とそれに不似合いなビリーというアングロ・サクソン的な名前にどうも違和感があった。
南仏には、地中海を渡ってやって来た北アフリカ系の移民が多い。
フランスはアルジェリアやモロッコ、チュニジアなどのマグレブ三国を植民地化していた償いに、多数の移民を労働力として受け入れた。
多分ビリー君も北アフリカからやってきた移民の2世、または3世で、本名も本当はイスラム系の名前なのだと思う(流行りでアメリカ風の名前を付けることもあるようだが…)
まあ、彼から見たらアジア人の私も勿論エキゾチックに見える訳で…清々しくも積極的に、あちこちのビーチやカフェ、バーなんかにも連れて行ってくれた。
(K子ちゃんも大抵一緒だったけど)
ビリー君の運転する車で何処かへ行った帰り道のこと。
当時、サッカーワールドカップで国民的ヒーローとなったジダンが映ったエビアンのポスターが街中そこかしこに貼られていた。
彼がアルジェリア系移民2世と云うのは、日本のTVでも散々話題にされていたので勿論私も知っていた。
マグレブ出身の人物をスラングでbeurまたはアラブ、と言う。
そんな口語ばかり覚えようとしていた私は、うっかりビリー君の前で口走ってしまった。
「ねぇ、ジダンはアラブよね?」と…
ビリー君は少し間を置いてから「Oui」と答えると、パスカルのアパートに送り届けるまで黙りこくって車を運転した。
今も頭を掻きむしりたくなる失言の一つだ。
まるで黒人に向かってブラックまたはノアールと呼んでしまったかのような居た堪れ無さ。
アラビア風の顔立ちで、ビリーなんて通名?を使っていた彼の気持ちを考えると、穴が有ったら入りたい申し訳無さでいっぱいになった。
ビリー、こんな世の中だけど、どうか今も幸せに南仏でノンシャランと暮らしていますように。
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