パスカルのパパとママ
日本を立ってから20時間くらい…いや、自宅からだと丸一日くらい経った気もする。
彼の仕事場を兼ねた広いアパルトマンを見せて貰ったあと、暑さに時差ぼけ、移動の疲れでボーッとしていた私は、コンタクトレンズを外し、充てがわれた広い部屋で仮眠を取らせて貰った。
2、3時間眠っただろうか。
フランス語で言い争いするような声が聞こえてきて目が覚めた。
パスカルが準備してくれた私の部屋は、日本間的にすると12、3畳ぐらいはあったと思われる。
L字型に部屋が並んだアパルトマンの突き当たり、キッチンとダイニングから、屋根の無い吹き抜けスペースを渡った離れの部屋だった。
大きな窓とバルコニーが有って、部屋の片隅の扉を開けるとバスルームらしき設えもあったが、リフォームが中途な古い建物で、便座やバスタブも外されたままだった…。
「ごめん、まだ引っ越して来たばかりで準備が出来て無いんだよ。浴室とトイレはあっちにある方を(本棟)使って構わないから」
部屋の電気も通じてなかった!
従って、日が登るまでは本を読んだり、宿題なんかも全てキッチンでする羽目になるのだが…
その代わり、いかにもクラシックな造りの引出し付きキャビネットと、どこから持って来たのか、大きな扉付きタンスをせっせと組み立ててくれた。(あんな大きな箪笥を素人が組み立て直してる事にも驚いた)
ただシーツを敷いただけの、だだっ広いマットレスからムックリ起き上がった私は、ボサボサ髪を結び直してから眼鏡をかけ、話し声のする部屋までそろそろと歩いて行った。
開いたドア越しに床に座ったパスカルが誰かと話してるのが見える。
恐る恐る離れから出てきた私に気が付くと、おいで、と彼が手招きをした。
かろうじて椅子と机が置かれたリビング擬きの部屋に入って行く、すると驚いた顔で私を見つめるミドルエイジのカップルがいた。
誰だろう、自己紹介しなきゃ、、、と寝ぼけた頭で基本的挨拶フレーズを絞り出した。
「Bonjour, c'est mitsuyo.Je viens du Japon(こんにちは、mitsuyoです。日本から来ました)」
握手…したか覚えてないが、金髪で小太りの女性が澄ました顔で「フランソワーズよ」と言い、ちょっとダンディな男性の方が「moi,Papa de Pascal(私はパスカルのパパだよ)」と言った。
…え!?
びっくりしてパスカルの方を見ると笑って頷いた。「僕の両親だよ」
言われてみれば、フランソワーズの丸顔に眼鏡越しの大きな目としっかりした眉毛がパスカルによく似ている。
自分の息子がパリから引き揚げて来て、友達とオフィス兼ねた広いアパルトマンを借り、さらに日本なんて極東から、1か月も女の子が滞在すると聞き、慌てて様子を見に来たのだった。
よく聞き取れなかったが、オフィス用のパソコンを彼らに工面して貰ったらしく、何でそんなに金が掛かるんだ?みたいな話をしていた気がする…。
隣の部屋に新しいパソコン(当時最新のおにぎり型スケルトンのe-Mac)が2台と、使ってない部屋に古いパソコンやキーボード類が何台か転がっていた。
二人は今夜モンペリエ市内に泊まるらしく、フランソワーズ・ママンがホテルの部屋を電話で予約していた。
パスカルがふざけてやたらと私にウィンクするので、二人でフフフと笑い合ってた様を、パパが男親らしく寛大かつ冷静に見つめていたシーンが思い出される…。
外は明るいけれど、夕食の時間になりつつあった。
今夜は皆で食事に行こう、と中世の街並みの中、パスカル行きつけのテラスレストランまでテクテク数分歩いて移動した。
それから何度となく利用することになるテラスに着くと、パスカルの大学時代の友達で今後共同経営者となるオリビエが同じテーブルにやって来た。
少し離れたテーブルには彼らの仲間たちもいて、見慣れないアジア人を興味深げに見つめていたが、眼鏡にしていたおかげで辺りがよく見えておらず、ぼぉっとしていたのは幸いだった。
…というが時差ぼけもあり、自分の置かれているシチュエーションを本当に自覚出来ていなかった気がする。余りにもぼんやりキョトンとしていた。
フランソワーズママが私に幾つか質問してきたが、すぐには理解出来ず、何度かパスカルが助け船を出した。
ママが訝しげに「あなた、ところで英語は話せるの?」と聞いてきた。
自慢では無いが、英検3級程度で高校から放置しているレベルだった。
「Non, moins que francais...(いえ、フランス語よりダメです…」
すると、鬼の首を取ったように(大袈裟かしら…)大きな声で彼女は言った。
「オーララ!パスカル!あなた1ヶ月もこの子とどうやって過ごすつもり?」
パスカルは気まずそうに俯いてしまった…。
パパは黙っていた。
オリビエは二人と面識があるらしく、気まずい空気を払拭すべく、やたらと陽気にペラペラと喋っていた。
パスカルママはジャポンは〜とか、ジャポネーズは〜とか、日本について話し始めたが、ネガティブな内容と云うのがキツい物言いと表情で察することが出来た。私がそこに居ないかのように蕩々と日本やアジアについて難癖をつけ続けた。
しばらくすると、陽気なオリビエでさえも
「彼女の前でそういう話はやめた方がいい」
と、ママを制した。
やはり日本について悪口を言っていたのだ…。
「あら、大丈夫よ!この子フランス語分からないんだから」
さすがに我慢出来なくなって口を開いた。
「Je peux comprendre un peu…」
(私、少しは理解できます…)
「Ah-bon!」(あら、そう!)
その後も彼女は、私の方を見ないまま止まること無く話し続けた…
帰り道、モンペリエの雰囲気のある中世の街並みを歩きながら、少し決まり悪そうにママが私に話しかけた。いや、独り言だったかも知れない。
「この街は、あちこちに噴水があってきれいね」
一応「Oui」と答えたと思う。
いや、返事をする気になれなかった気もする。流石の私も気持ちのいい夕べではなかった。
広場の地下の駐車場に行く彼らと途中で別れ、言葉少なくなったパスカルと二人アパルトマンに戻ると、自室に戻りぐったりと眠りに着いた。
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