『さようなら』で祝福を
人生で一番嫌いな言葉は『さようなら』だ。
私にとってさようならの言葉は、悲しみと寂しさの象徴のようなものだった。
だから、さようならっていう言葉を見るだけで涙が出てきた。
そんな私が、今日初めて心から相手を思い、心からの祝福を込めて『さようなら』を伝えられた。
今日私は、人生で一番嫌いだった言葉で、どん底の人生を変えてくれた恩人を祝福した。
こんな日が来るとは、24時間前まで想像もしなかった。
だって24時間前は、恩人が遠くに行ってしまうのをなんとか引き留めようとして、必死になっていた。
面白い話とかしたら、恩人は名残惜しくなって、またすぐ会えるように足跡を遺してくれるんじゃないか、なんて考えていた。
でも、恩人はそんな事では一切揺るがないわけだ。
もう私に伝えたい事は十分に伝えたからって、もう私は大丈夫だからって、ひとつも名残惜しそうな顔もせずにどこか遠くに去っていった。
あっぱれだ。
これ以上ないくらい、見事な別れだった。
そんな恩人に対して、私は別れの際までひたすら何度も『ありがとうございました』って伝え続けた。
それしか言えないロボットみたいにずっと言っていた。
そのまま恩人と別れて、自宅に帰った。
〝なーんだ、別れなんて大したことないわ!〟
そう思って、お風呂に入ってさっさと寝た。
夜中の3時。
目が覚めた。
目が覚めて、私はどうしても伝えなくちゃいけない事をまだ伝えられていない事に気づいた。
どうしてもそれを伝えなくちゃいけない。
なぜか夜中の3時にそう思った。
そこから3時間かけてたった一言を伝えるために筆を動かし続けた。
実際にはスマホに打ち込んだんだけど。
そうやって3時間かけて作った文章の最後に、私は当然のように『さようなら』と打ち込んだ。
それ以外、伝えたい言葉はないってくらいにすんなりと出てきた人生で一番嫌いな言葉を、恩人の旅立ちの日に送った。
だって、私が人生で一番嫌いな言葉こそ、恩人の旅立ちにもっとも相応しいと思ったからだ。
『またどこかで会いましょう!』
そう言って終わる事が私には出来なかった。
私が自分の足で立ち、自分の力で前に進めるように導いてくれた恩人へ、私は伝えなくてはならなかった。
あなたがいなくてももう大丈夫だから、と伝えなくてはならなかった。
そう伝える事が、恩人への最大級の賛辞だと思ったからだ。
だから、私は人生で一番嫌いな言葉を恩人への最後の言葉に選んだ。
こうして人生で一番嫌いな言葉が、人生で一番の恩人を祝福する言葉になった。
私にとって、ただ悲しみや寂しさを表すだけの言葉だった『さようなら』という言葉が、誰かへの言祝ぎとなる事を初めて理解できた瞬間だった。
同時に私が新しい自分に生まれ変わった瞬間だった。
それに呼応してくれたのかどうか。
恩人は最後の最後に、たった一言だけ残してくれた。
『さようなら』
私にもそうやって祝福の言葉を与えてくれた。
24時間前までの私ならその言葉を受け入れられなかった。
でももう私は生まれ変わったのだ。
私はもう知っている。
『さようなら』で祝福を。