見出し画像

大丈夫、自分の人生ほど想定外だから


私の守備範囲はとても狭い。

沢山の人に目を向けることが苦手で、数年かけてなんとか人との関係を進めていく、そんな感じだ。

ここ4年ほど、師匠が作ってくれたコミュニティで活動してきたが、やっと今、ありのままの、ワガママでヘタレな自分で向き合えるようになった気がする。

そう考えると、今結婚している夫とは出会って1ヶ月で付き合って、その1年後に4股発覚して、その半年後に結婚してるんだから、ずいぶんと自分のポリシーと異なる進み方をしたものだなぁ。

ふむ。

自分の事ほど見えにくいと言うが、その通りだ。

私の場合、自分の事を低めに見積もる傾向がある。

低めに見積もって、自分ってこういう人間ですから、と宣伝して、痛い目に遭う事、いと多し。

しかも、低めに見積もっておきながら、本音ではちゃうねんちゃうねん、もっとこうやって丁重に扱って欲しいねん、と後出し文句言うから厄介だ。

あんたがそう言ってたやん!と相手にすれば思うよね。

うちの夫とか、そう思ったと思う。

私は今の夫と2度目の結婚だった。
それは言ってたけど、私の人生観なんて伝えてなかった。

そしたら、結婚してから、『え!処女だったんですか?!』と夫は度肝を抜かれていた。

私が自分について理解してもらおうと努めなかった故に、夫からは軽んじられるという始末だったわけだ。

人生を変える、人生をもっと豊かにする、それなら自己理解、それが全て。

そう師匠から言われ続けて来たが、この低く見積もってしまう癖はなかなか抜けない。

ハテ、私は自分自身を低く見積もる事で、どんなメリットを得ようとしているのだろうか?

ここを解き明かしてみよう。

実は、難しい事をさせられたくない、という気持ちが強い。

小学生の時に、実力自己申告制のスイミングスクールに通った時に、25m泳げると自己申告した。

そうしたら、〝25m以上泳げる〟グループに入れられてしまった。

25mギリギリ頑張って泳げるようになりました!という私は25mで力尽きるのに、他の子らはどんどん続けて泳いでいく。

私はひどく傷ついた。

25m泳げるようになって、とても嬉しかったのが、ものすごくちっぽけな事のように思えた。

そうだ。
きっとあれからだ。
自分を低く見積もっておいた方が、傷つかなくて済む。

そうやって、自分を低く見積もって申告するようになったのは。

自分をありのまま認めてあげようって言うけど、私の場合、自分の欠落点、汚点に関しては認めるのは苦手じゃない。

けれども、自分の可能性について自信を持って認めることはひどく苦手だ。

自分なんて、と卑下する事はないが、まあこのくらいが妥当だろう、本当はこれくらいは出来ると思うが失敗したり期待に応えられなかったら傷つくのは自分だしこのくらいで申告しとこう、そんな風にやっている。

そんな私がもう一度冒頭に戻って、夫との関係の進め方を思い出すと、自分ってあんな事も出来るんだな、と感動してしまった。

自分なんてこのくらいだろう、と思っていたのに、わずか1年半で人生を大どんでん返ししたのだ。

相変わらず私は自分の事を低く見積もる事がやっぱり好きだし、その方が傷つかないから安心だと思っている。

けれども夫と一緒にいると、夫との出会いから結婚までの、自分の底力を思い出せてくれる。

自分という人間が、自分が思うよりも随分とエネルギッシュで、わけわからんくらいの爆発力がある事を思い出させてくれる。

夫はそのために私のそばに居てくれるのだ。

お前そんなもんじゃねーだろ!と常に私に突きつけ続けてくれる。

それが私にとっての夫なのだ。

え、すごい好き。

自分の人生はこんなもんだろう、なんて思うもんじゃないね。

大丈夫、自分の人生ほど想定外に面白くなるもんだから。



いいなと思ったら応援しよう!