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なぜ、セカストが楽しかったのか
以前、娘が長期の休みに「やることがないー」などと言っていたので、ハリーポッターの全巻を買ってみた。(ベストセラーの古本は安い)
が、全く読まれていない。私も読んでみたが、1巻の最初の方で脱落してしまった。これから面白くなってくるところだったはず。(どうしてもカタカナの名前が苦手で世界史の人物を覚えられなかった)今とのろリビングに全巻がキレイに並んでいる。まぁ、そのうち読む時も来るだろう。娘も私も。
人から与えられたものだから読まなかったのか、そもそもなんか怖そうだから読まなかったのかわからないが、もしかしたら、ハリーポッターしかなかったから読まなかったのかもしれない。ハリーポッターと合わせて、浦島太郎とか日本の物語を渡せば、どっちかを読み始めたのかも。選択できる状態が良いと言われているし。
ただ、一方で、世の中、「自分で選ぶ」「自分で決める」「自己責任」「どうしたいか聞く」など当人の主体性を求める風潮がつよくて、それはそれでいいんだけど、何でもかんでも決めてたらくたびれちゃいません?
食事も、冷蔵庫にある食材でつくるほうが簡単だったりするんだよなぁ。材料から買ってないという言い訳がオレの気持ちを楽にさせる。あと、服なんか、今日着る服誰か決めてくれーと思ったりする。自分では選ばないような服も着れるチャンスになるし。
先日、地元にあるセカンドストリート行く機会があって、古着をみてみたんだけど、古着って面白いなぁと思った。様々なジャンルの服が並んでて、買うとなったら決めて買うんだけど、服のジャンル(例えばユニクロとかスーツとかスポーツウェアとか)を選んでるわけではないので、普段自分では検討しないような服が並んでて楽しかった。呂布カルマみたいな服を買いたくなる衝動を一旦沈めて退店した。
フィルターバブルな現代。スマホには自分の興味や関心ごとしか表示されないこんな世の中において、セカストの古着って、そこから解放された瞬間だったんだろう。セカストって、たぶん自分自身のセカンドストリートって話だぜ。
似たような衝動なのか、カーナビの地図を見ずに、普段使わない道で目的地を目指して運転することがある。先日もミスタードーナツに行こうと、今まで使ったことのない裏道に勇猛果敢に突入していったら、かなり狭い道になってて、あーこれはいけないや、、、バックでと引き返そうと思ったら、後ろに軽自動車がいて、こちらに睨みを効かせている、お前早くどけよみたいな雰囲気で。詰んだ。俺たちのセカンドストリートは行き止まりってこともある。(その後なんとか回避)