見出し画像

告白

 彼女は僕に向かって手を振っていた。満面の笑顔で。
 僕は電車の通路を歩きながら手を振る彼女のところまで歩いた。

「ここが健太の席」
 と彼女は彼女が座っている隣の席を指さした。
「僕の席は君が座っている席だよね。そこは君の席」
 と僕は答えた。
「ばれたか」
 と言って彼女はベロをペロっと出してから隣の席に座り直した。
 僕は空席になった僕の席に座った。

 地元の団体旅行で、僕らは単線の貸し切り電車に乗ることになった。
 あらかじめ座る席が決められていたのだけど、僕は時間に遅れて電車に飛び乗ったので、自分の席がわからずにきょろきょろとしながら電車の車内を歩いていたのだ。
 知り合いが僕を呼び止めて僕の座席を教えてくれた。そのあと彼女と目が合って、彼女が僕に手を振ったのだ。

 彼女は自分が飲んでいたペットボトルの水を僕の方に向けて、「飲む?」と訊ねた。
「持ってるから」
 と僕は断って、リュックサックの中からペットボトルを取り出して飲んだ。
「あっそ」
 と言って彼女の機嫌が悪くなった。

 僕の席は窓際だった。僕は外の景色を眺めた。
 流れる景色はとても美しかった。
「きれいだね」
 と僕はつぶやいた。
「それ、こっち向いて言うセリフじゃないの?」
 と彼女は言った。
 僕は彼女の方に顔を向けた。彼女がほっぺたをいっぱいに膨らませて僕を見ていた。
 僕はおもわず笑ってしまった。
「笑わないでよ」
 と言って彼女が僕の胸を叩いた。

「告白するよ」
 と僕は言った。
「何?」
 と彼女はびっくりした顔をした。
「実はね、1か月前にこの旅行の話を聞いた夜に、夢を見たんだ。それが今とまったく同じだったんだ。だから思わず笑っちゃったんだよ」
「嘘ばっかり」
 と言って彼女はむくれたままだ。
「本当だよ。それがとても印象的だったから、僕は小説を書こうと思ったんだ」
「あなたってそんなに嘘つきだったっけ?」
 と彼女はまだ疑った様子だ。
「証拠がある」
「証拠?」

 僕はスマホをポケットから取り出して、書きかけの小説を彼女のメッセンジャーに送った。
 彼女のスマホがピロンと音を立てた。
 彼女も鞄からスマホを取り出した。

「それ、その小説。書きかけだけど」
 僕は乱暴にそう言い放った。
 彼女は黙ってスマホに届いた文章を読み始めた。


 彼女とは幼なじみだった。
 僕は東京の大学に進学して地元を離れた。それから彼女にはしばらく会っていなかった。
 1か月前にこの旅行の連絡があって、僕はその夜にあの夢を見た。そして僕は小説を書こうと思ったのだ。

 彼女のことはずっと好きだった。だけど僕は地味だし彼女と付き合うだなんてとても無理だと諦めていた。
 東京に旅立って、僕は都会の絵具に染まるはずだった。彼女のことなんか忘れて東京で彼女を作るつもりだった。
 だけど相変わらずモテないし、彼女のことが好きなままだった。
 そんな気持ちを小説に書いた。
 あ、こんなことしたら僕の気持ちがバレバレじゃないか。それに僕は気がついて、しまったと思った。

 彼女は書きかけの小説を読み終えると僕を見た。
「それ、フィクションだから」
 と僕は言った。誤解されないように。いや、誤解じゃないけど。
「で?」
「で?」
「続きはどうなるの?」
「続き?」
「気になるんだけど、続きが」
「ああ、まだ決めていないんだ」

 小説はちょうど、さっきのシーンで終わっていた。
 彼女が僕に手を振って、席を変えて、僕が彼女のペットボトルの水を断って、景色をみて「きれいだ」と言って、彼女がほっぺたを膨らませる。

「告白、するんだよね?」
「え? しないよ」
「何で?」
「いや、だってこれは小説の話だから」
「しなさいよ」
「何でだよ?」
「告白しないと小説としておもしろくないじゃない」
 あ、小説の話か、と僕は思った。僕は現実の話かと勘違いをしていた。

「ここまでは夢でみたことを書いただけだから、わからないよ」
 と僕は答えた。
「じゃあさ、やってみない?」
「何を?」
「シミュレーション。私が考えてあげる」
「いいよ、そんなの」
「ダメダメ、小説の続きが知りたいんだから」

 彼女は僕の手を握った。
「あなたが私の手を握って、電車のドアのところまで呼び出すの」
 と彼女は目を輝かせて言った。
「君が僕の手を握っているんじゃないか」
「細かいことはいいのよ。さあ、立って」

 彼女に言われるがまま、僕らは手をつないで電車のドアのところまで行った。
 彼女がドアにもたれかかって、僕はその前に立った。
「さあ、告白して」
 と彼女は言う。
「だからできないって」
 僕は答えた。

「じゃあ、ここで電車ががたんと揺れて、あなたがよろけてドアに手をつくの」
「そんな少女漫画みたいな、、」
 僕はそこに立ち尽くした。
「電車揺れないし」
 と僕が言うと、彼女が僕の足を蹴った。僕はよろけてドアに手をついた。
 僕と彼女の顔が接近して、見つめあった。

「あなたのことが好き。ずっと好きだった」
 と彼女が言った。
「あ、私が告白しちゃったじゃない!」
 と彼女は顔を赤らめた。
「もうもうもう、もういっか。とにかく答えを教えて」
 と言って彼女は目をつぶった。
 僕は彼女の顔を見つめる。そのぷるんとした唇に吸い込まれるかのように、僕は彼女の唇に唇を重ねた。


 本当のことを言うと、僕の頭の中にあった小説の続きは、結局告白ができずに二人は別れて、別々の道を生きる、というものだった。

 ああ、告白して良かった。


おわり。


いいなと思ったら応援しよう!

甘野充
言葉だけでは伝わりません。 コメントはチップとともに。 「謎解きはディナーの後に、みたいに言うな!」