見出し画像

恋のゆくえ、という曲

(かいせつ)

 「サマーデイズという曲」の続編登場です!
 翔平と貴美子の恋のゆくえは果たしていかに?

(あらすじ)
  フェスから1か月後、伝説的フュージョン・ギタリスト渡辺尚人の誕生パーティで、芹沢翔平は萩原貴美子と再会する。
 パーティを抜け出した二人の恋が再びスタートする。二人の恋は秘密の恋だ。
 貴美子はモデルとしての活動を始めており、コマーシャル撮影でセーシェル諸島にゆくことになった。翔平と現地で合流して、甘い夏の恋の続きを楽しんだ。
 そのときに出来た曲、それは「恋のゆくえ」という曲だった。
 貴美子の兄の妨害で、二人はまた、会うことができなくなってしまう。
 はたして二人の恋のゆくえは。

(ものがたり)

 ドレスアップされた魅力的な女たち、そしてタキシード姿の男たち。
 パーティ会場にはゴージャスな人々が集まっていた。
 僕はまるで映画のスクリーンの中に迷い込んでしまったかのような錯覚の中にいた。

 フュージョン・ギタリストである渡辺尚人の七十歳の誕生パーティに、僕は呼ばれていた。
 伝説のギタリストであり今もなお現役である彼が、僕が所属するフージョン・バンド45RPMの演奏を気に入ってくれていた。そして今日は彼のお気に入りのギタリストたちを特別に招待したパーティだった。
 僕はワクワクしていた。何しろ僕があこがれている有名なギタリストたちがたくさん集まっているのだから。僕も一流ミュージシャンの仲間入りをしたような気分だった。

 渡辺尚人はスタジオ・ミュージシャンだった頃に仲間と組んだロック・バンドでブレークして、まずは海外での人気が爆発した。ロックの本場であるイギリスのロンドンでステージに立ち、ロンドンっこたちを魅了したのだ。その後逆輸入的に日本でもヒットを飛ばし、一躍スターダムにのし上った。
 バンドは数年で解散したが、解散後はソロでギターをメインにしたインストゥルメンタル曲でたくさんのレコードを出している。バンドのメンバーとしてではなく、ソロのギタリストとしての名声も得ることとなったのだ。
 デビュー当時のバンドのメンバーはみな亡くなってしまった。そう、五十年以上もの間ギターを弾いているのだ。こんなにも長い間ギターを弾き続けることが、はたして僕にはできるのだろうか、と僕は思った。

 パーティに参加している人々は、みな僕が知っているギタリストばかりだった。知っているとは言っても、それは僕が一方的に知っているというだけのことで、彼らは誰一人として僕のことなんて知らない。
 彼らは超一流のギタリストだ。僕の知らない夢の世界で、彼らは優雅に生きている。彼らは富と名声を手にした成功者たちだ。それに比べて僕は、何もない存在だ。ここは僕の居場所ではない。そんな居心地の悪さを僕は感じていた。

 僕はこの非現実的な世界の中に、一人の女の姿を見つけていた。
 彼女は群衆の中で、ひと際目立っていた。
 真っ赤なドレスを着た彼女の姿は、その周りをモノクロームの世界にしてしまうほど際立っていた。
 彼女の歩く姿はまるでスローモーションのようにゆるやかに、僕の視界の中を流れて行った。
 彼女の笑顔は、花のようだった。
 そこに真っ赤な薔薇の花が咲いたように、僕には感じられた。

 人込みから抜け出した彼女は、まっすぐに僕の方へと向かってきた。
 僕の脳裏にはあの日の光景がよみがえってきた。
 あの日の逗子マリーナ、フュージョン・フェスの会場。僕はステージに立っていた。
 ステージから見た群衆の中にいた、赤いワンピースの女。
 フラッシュバックするその光景。

「受けるよね?」
 彼女は僕の目の前に立つと、唐突に僕に訊ねた。

 僕はその言葉で、一瞬にして現実の世界へと引き戻されてしまった。
 それはあまりにも現実的で、直接的な言葉だった。
 そしてそれはまるで、僕と彼女がずっと一緒に過ごしていて、ごく普通にいつもの会話をしているかのような口調だった。
 逗子マリーナのフェスからは一か月が経っているのだ。
 時間がジャンプしている。
 何もなかったかのように、時間がジャンプしている。

「何の話?」
 と僕は彼女に問い返した。
 僕は冷静を装って、彼女の口調に合わせていた。
「コマーシャルのタイアップの話」
 と彼女は続けた。
「え?」

 僕は驚いた。どうして彼女がその話を知っているのだ?
 その話はまだ誰も知らないはずだ。

 僕の所属するフュージョン・バンド45RPMは、コマーシャルへの楽曲提供をオファーされている。逗子マリーナでのフェスの演奏の評判が良かったから、プロデューサーの目に留まったのだろう。
 だけどどうしてその話を彼女が知っているのだ?

「楽しみね」
 と彼女は妖艶な笑みを浮かべた。

 彼女の名前は、カルメンでっす!もちろんあだ名に、決まってまっす!

 フラッシュバックする彼女との出会い。
 彼女の名前は萩原貴美子。萩原コンチェルンの社長を兄に持つセレブリティだ。
 僕はこの夏の日、彼女に恋をした。だけども彼女の兄から別れるようにと言われ、金を受け取って別れた。
 僕は逃げた。
 そして夏の恋は終わった、はずだった。

「逃げるわよ」
 と貴美子が僕の耳元でささやいた。
「え?」
 僕が驚いて貴美子を見ていると、貴美子は僕の腕をひっぱった。
 貴美子の視線の先に、黒いスーツを着た男が立っていた。
 ボディガードだ。
 僕らはそのまま人目を避けてパーティ会場を抜け出した。

 駐車場には赤いポルシェがとまっていた。
 貴美子が車のキーを僕に向かって放り投げた。僕はそれをキャッチする。
「あなたが運転してくれるんでしょう?」
 と貴美子が言った。
「ごめん、シャンペンを飲んでしまった」
 と僕は答えた。
「ばかね。何でノンアルにしないのよ!?」
 貴美子は機嫌が悪そうにそう言って、僕の手から車のキーをもぎり取ると運転席に乗り込んだ。僕は助手席に座った。
 貴美子はポルシェをスタートさせた。

 緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ。
 僕はすっかりあの頃に戻ってゆく。
 プレイバック、いやパート2の始まりなのか?

「モデルを始めたの。今度清涼飲料水のコマーシャルに出ることのなったのよ」
 と貴美子はポルシェを運転しながら言った。
「それであなたを推薦したの。南の島をイメージしたギター・サウンドは、あなたが得意なはずだから」
 と貴美子は続けた。

 なるほど、そういうことだったのか、話がうますぎると思った。
 僕らのコマーシャル・ソングの抜擢は、貴美子のおかげだったっていうわけか。
 金の力でどうにでもなるということか。
 自分たちの演奏が認められただなんて、僕らは完全に思いあがっていたっていうわけだ。

「君は怒っていないのか?」
 と僕は貴美子に訊ねた。
「何を?」
 と貴美子は僕に聞き返す。
「僕は君の兄から金を受け取って、君から逃げた」
「そうね」
「僕は最低だ」
「そうね、最低ね。ジャン=ポール・ベルモンドみたい」
「勝手にしやがれ」
「今度ボルサリーノの帽子を買ってあげるわ」
「僕はジゴロか?」
「それもいいんじゃない?」
「僕にはわからないよ。こんな僕を君が追いかけてくることが」
「なんか、スリルがあっていいじゃない? 障害があるほど、恋は燃えるものよ」
 貴美子はうれしそうにほほ笑んだ。

 チープ・スリル。
 ジャニス・ジョップリン。
 彼女の歌う「サマータイム」は、甘くせつなくてけだるい。

 貴美子は人のいないコンクリートが打ちっ放しの廃墟の前に車を止めた。
 そこは僕が以前に彼女を連れてきたことがある僕のお気に入りの場所だった。
 小さな街頭があるだけで、そこは薄暗い。
 昨日降った雨のせいで、地面は濡れ、あちこちに水溜りができていた。その水溜りに光があたり、反射する。そこは、アンドレイ・タルコフスキーの世界だ。

 トランクの中にはテーブルとキャンプ用のチェアーが二つ、ランタン、そしてギターケースが入っていた。
 ギターケース?
 なぜギターケース?

 僕はそのことに少しばかり疑問に思ったが、とりあえずはそれらを運び、車の前に設置した。
 僕らはキャンプ用のチェアーに座り、テーブルの上のランタンをつけた。
 
「ギターを弾いてよ」
 と貴美子が言った。
 僕のために用意したのか? と思いながら僕はうなづいた。
 貴美子はギターケースからギターを取り出した。
 それは、赤いボディのテレキャスターだった。

「妹の形見」
 と貴美子が言った。
「妹がいたのか?」
 という僕の問いかけに、貴美子は「うん」とだけ答えた。

 僕はギターのチューニングをして、アンプにつないだ。
 それは、思い入れのあるギターのようだった。
 僕はその大切なギターを丁寧に取り扱い、音色を奏でた。

 僕はあのメロデイを弾いた。
 「サマーデイズ」という曲。

 それは、僕と貴美子の恋のメロデイだ。

 僕らのバンド45RPMは、スタジオでレコーディングをしていた。
 コマーシャル用の新曲を作るのだ。

「萩原貴美子って、かわいいよね。この子のイメージで曲かけったって、知らんがな」
 とドラムの亮介が言った。
 亮介は手に持っていた雑誌をテーブルの上に放りなげた。
 貴美子の笑顔が、雑誌の中から僕を見ていた。

「コマーシャルの撮影はセーシェル諸島だってよ。南の島だよ、南の島。憧れのセーシェル諸島だよ。行ったことないし、ぜんぜんイメージできないし。青い海、青い空、波しぶきに向かってビキニ姿でおっぱいゆっさゆっさせて走るんだろう、どうせ」
 と亮介は続けた。
 十分に想像できていると思うが、、。
「ああ、行ってみたいなあ、憧れのセーシェル諸島」
 と亮介はぼやいた。

「ともかくさ、「サマーデイズ」みたいな感じでやってみよう」
 と言って僕はギターのメロディをなんとなく弾いてみた。
 なんとなくドラムス、ベース、キーボードがそれに合わせる。
 だけどもそれはなんとなくでしかなかった。
 なんだかしっくりとこない。
 なんとなくはなんとなくでしかなかった。

 なんだか実感がないのだ。
 この曲がテレビのコマーシャルで流れる、と思うとそれなりのプレッシャーがあったし、いつもなら気楽に曲を作っているのだが、そうもいかない。
 なによりセーシェル諸島だとか現実ばなれした世界をイメージなんてできない。
 コンプレックスのようなものが先走ってしまって、邪魔をするのだ。
 貧乏性の表れか、、。

 アドリブで演奏を続けてみたが、そこそこ良くても何かインパクトが足りないような気がして、結局のところそれが正解とは思えなかった。
 「サマーデイズ」のときは貴美子とシークレットビーチで楽しんでいたときの気持ちがそのままメロディになったからできたのだけれど、やっぱり今の僕にはそれは難しかった。

「翔平さあ、また恋をしてこいよ。恋をしていないと、お前はだめだ。相手が誰だか知らないけど」
 と亮介が言った。
 恋の相手は貴美子だ。このコマーシャルのメインキャストだ。
 それを亮介は知らない。

 キーボードの佐和子が僕を見た。
 佐和子も知らない、僕の恋の相手を。

 なんだかしっくりとこないうちに時間が無駄に過ぎてゆき、僕らは諦めて帰途についた。
 気持ちは暗かった。
 僕らは霧の中にいるようだった。
 ゴールが見えない。本当に僕たちはゴールにたどり着けるのだろうか?

 帰り際、僕はスタジオのオーナーに呼び止められた。
「なんだか感じのいい男がこれを翔平に渡してくれって言ってあずかったんだけど」
 とオーナーが言った。
 感じのいい男? と疑問に思いながら僕はオーナーから封筒を受け取った。
 だけども封筒と言ったらあの男を思い出す。
 「封筒を受け取るのは得意なんだろう?」と僕に言った男がいた。僕はその言葉を思い出す。
 間違いない、きっとその男だ。

 僕はアパートに戻って封筒を開けた。
 封筒にはQRコードを印刷したカードと携帯電話用のSIMカードが入っていた。
 僕がQRコードをスマホでスキャンすると、スマホの画面にURLが表示され、僕はそれをタップした。
 スマホからは動画が流れ出した。
 画面には貴美子が映っている。

「こんにちは、翔平さん。直接連絡をするとバレちゃうから、たーくんに頼んであなたに封筒を渡してもらいました。この動画はあなただけが観られるように特別なアドレスにアップロードしています。
 さて、ここでサプラ~イズ♪
 あなたをセーシェル諸島にご招待します!
 まずは同封したSIMカードを使って回線を開通させてくださいね。このSIMカードは友達の優子の名義で契約しているから、足がつかないと思うから安心してね。
 だけど私の携帯電話の記録はリークする可能性があるので、直接のコンタクトはなるべく避けて、たーくんを通して連絡するようにしたいと思うの。たーくんにはこのミッションを行うIMFのメンバーとして活動してもらいます。
 それでは検討を祈ります。なおこの動画はSIMカードの開通を確認したら消去します。じゃあね~♪」

 何だこれは?
 IMF?
 ミッション・インポッシブル?

 とにかく僕は封筒に同封されていたSIMカードを開通させることにした。
 僕はとにかく明るい翔平だ。
 安心してください、はいていますよ。

 僕は間違えて使うことが無いように、以前使用していて使わなくなったスマートフォンにSIMカードを装着して開通させることにした。
 スマートフォンは初期化してまっさらにしてから使用することにした。僕自身のプライベートなものは入れず、女の子が使っていてもおかしくないように気を使うことにした。
 さあ、ミッションのスタートだ。

 僕は貴美子の幼馴染であるクルーザーの男にチケットやホテルの手配をしてもらった。
 幸いパスポートは持っていたのですぐに手配ができた。セーシェル諸島はビザがいらないから、すぐに出発ができる。撮影の日程が迫っているので、僕は急いで支度をした。
 国際免許証を取らなければならない。現地でのミッションに必要だ。だけどもそれもすぐに取得ができた。
 チケットはeチケットだからメールで届くし、スマホでチェックインや出国手続きなども可能だ。便利な世の中になったものだと僕は思った。
 そして僕は飛行機に乗った。
 そして僕は途方にはくれなかった。大澤誉志幸じゃないからね。

 セーシェル諸島への直行便は無いため、ドーハで乗り継ぎをする。
 ドーハだ。ドーハの悲劇だ。でも僕に悲劇は起こらない。

 合計で20時間くらいの長旅だった。
 遠い、遠い、遠い。なにしろ憧れのセーシェル諸島だ。
 僕はマヘ島の空港に着くと、スマホの翻訳機能を使いながら、何とかホテルのチェックインをした。

 ほどなくして僕のスマホのメッセンジャーにメッセージが届いた。
「今、ここで撮影しているよ~♪」
 というメッセージだった。
 ビキニ姿の貴美子の写真と地図情報が添付されていた。
「いいなあ~♪ 気持ちだけ、すぐに飛んでいくよ~♪」
 と僕は貴美子の友達の優子を装って返信した。
 気持ちだけ、とはフェイクであって、僕は着いたから今から行くよ、という暗号だ。

 僕はタクシーに乗り込んで、運転手にスマホの地図を見せた。
 僕には行く先がどこだかわからないけれど、運転手はそれがわかったようなので、僕は安心して運転手に任せた。
 窓の外には南の島の景色が流れてゆく。
 ああ、僕は憧れのセーシェル諸島に来ている。

 僕は撮影現場へと到着した。
 それは人の少ないビーチだった。撮影用に借り切っているのだろう。ビーチには撮影クルーしかいなかった。
 僕は遠くからバレないように撮影の様子を眺めた。
 それは映画のスクリーンの中の世界のようだった。
 いや、これはテレビのコマーシャルだ。
 僕は今、コマーシャルを見ている。

 だけども撮影はうまく行っているようには見えなかった。
 監督らしい男が頭を掻きむしっている。
 こんな開放的な空間で、何を悩む必要があるのだと僕は疑問に思った。
 美しい海、美しい空、そして美しい貴美子、ただそれを撮るだけだっていうのに。
 こんなイージーな仕事に、悩むことなんてない。
 心を解放すればいいだけだ。
 だけどもそれはクリエイターとしてのこたわりなのだろう。
 僕には何が問題なのか知る由もなかった。

 僕はしばらく撮影を眺めてから、タクシーでホテルに戻った。
 すっかりと目の保養になった。
 僕の頭の中には、貴美子の美しい姿がしっかりと目に焼き付いた。

 僕はホテルでくつろいだ。
 長旅で疲れている。

 夜、貴美子が僕の泊っているホテルに車でやって来た。
 撮影クルーにばれないように、貴美子のホテルから離れたところのホテルに僕は泊っている。
 セーシェル諸島は国際免許証で運転ができるから、貴美子はレンタカーを借りていたのだ。

「監督がちょっと気に入らないことがあるみたいで、明日は撮影が一旦中止になってオフになったの。だからら明日は一緒にデートを楽しみましょう」
 と貴美子がうれしそうに言った。
 撮影が中止になることはうれしいことではないはずだけど、僕らにとってはうれしいことだった。
 貴美子は気持ちを切り替えて、僕とのバケーションを楽しもうとしていた。

 僕らはワインを飲んで、再会を祝った。
「今日はノンアルじゃないから」
 と貴美子が言った。
「うん、今日は思いっきり酔っぱらおう」
 と僕は答えた。貴美子はほほ笑んだ。

「どう、曲のイメージができた?」
 と貴美子が僕の顔を見た。
 僕は昼間見たコマーシャルの撮影風景を思い出した。
「うん、撮影の様子を見ていてコマーシャルのイメージはなんとなくわかったよ。だけどそれに合う曲のイメージはまだできない。それにはもっと貴美子のことやこのセーシェル諸島のことを知らないとダメだ」

「じゃあまず、私のことをもっと知らなくっちゃね」
 と貴美子が言った。
「そうだね」
 と僕は答えた。

 貴美子はいきなりTシャツの裾をまくり上げて、Tシャツを脱いだ。
 ブラジャーをつけていない貴美子の裸の胸が露出し、僕の目の前におっぱいがぽろんと現れた。
 南の島のムードに流されて、開放的な気分になっている。
 僕もはやる気持ちでTシャツを脱いだ。

 貴美子が僕に抱き着いて、僕らは唇を重ねた。
 僕らは激しくお互いを求めあった。
 今まで会えなくて我慢している気持ちが解放された。

 貴美子が僕の短パンとブリーフを一気にずりおろし、ショートパンツとショーツをせわしなく脱ぎ去り、僕らは体を密着させた。

 僕らは初めて裸で抱き合った。
 僕らは生まれて初めて、何物にも邪魔されることなく、お互いの愛を確かめ合うことができる瞬間を迎えることができたのだ。
 ここには僕らの恋を邪魔するものはいない。

 僕らは生まれたままの姿で、体をからめ、つながった。
 僕は貴美子の中にいる。
 貴美子は僕の中にいる。
 僕らはとてつもない快楽の中にいる。
 貴美子は僕のものだ。
 貴美子は僕だけのものだ。

 僕たちは自由だ。鳥のように。
 ここは僕と貴美子のふたりだけの世界だ。
 なにものも僕らの世界を変えることはできない。
 なにものも僕らの世界を変えることはできない。
 僕らだけの世界がここにあるのだ。

 僕らは激しくお互いを求めあった。
 激しい快楽の中にいた。
 夏の恋が燃え上がった。

 僕らはその夜、どろどろに溶けてひとつになった。

 ベッドに寝そべりながら、僕らは窓の外を眺めていた。
 エクスタシーの余韻に、僕らは浸っていた。
 僕らは裸で抱き合っていた。

 窓からは月明りがさして、部屋の中を照らしていた。
 夜空には満月が浮かんでいた。
 まんまるの黄色い月が、僕らを照らしていた。

「はちみつみたいに甘い月」
 と貴美子が言った。
「ハニー・ムーンだね」
 と僕は答えた。

「これが私たちのハネムーンみたいね」
 と言って貴美子は笑った。

 次の日、僕と貴美子はセーシェルの休日を楽しんだ。
 僕も国際免許証を取っていたから、僕が運転をして、島を見て回った。
 
 ビーチで泳いだ。
 貴美子はコマーシャル撮影で使っている水着を身に着けていた。
 僕にはまるで、テレビの画面から彼女が飛び出して来たかのような錯覚を起こした。
 僕は真夏のピンナップガールと夢のような時間を過ごしている。
 うれしくて、たのしくて、僕は恋をしている。
 僕の頭の中には、いつしかギターのメロディが流れていた。
 海辺ではしゃぐ貴美子。貴美子の笑顔。それらに僕のメロデイが流れていた。
 それはコマーシャルの世界だった。
 ああ、僕の目の前で、リアルにコマーシャルがライブで中継されている。
 これは、最高のバケーションだ。

 ドライブして、うみがめを見て、シュノーケリングで魚を眺めた。
 僕はもう、何もかもを忘れて、このバケーションを楽しんだ。
 それは夢のような楽しい時間だった。

 貴美子がフィルム・カメラで写真を撮った。
 貴美子の誕生日に父親から送られた一眼レフのフィルム・カメラだ。
 あの夏の日と同じだ。
 天然色のアナログな映像が、コダックのリバーサル・フィルムに記録される。

 アナログのフィルムは簡単にコピーができない。デジタルにはない色彩でトロピカルな映像が天然色のように再現できる。コダックのリバーサル・フィルムの映像は美しい。
 その美しい世界を今、僕らはリアルに生きている。
 僕らは恋をしている。
 僕らはリアルに恋をしている。

 これが僕らのミッションだ。
 決して知られてはならない秘密のミッション。
 僕らのミッションは、愛し合うことなのだ。

 夕方ホテルに帰り、僕らは食事をして、シャワーを浴びた。
 僕らはテラスでくつろいだ。
 夕日が沈むサンセット・ビーチ。
 僕らは充実した時間を過ごしている。

 僕らはワインを飲む。
 心地よい覚醒の中にいる。

「曲ができたよ」
 と僕は言った。
 貴美子は僕の言葉に目を輝かせた。
「聴かせて」
 と貴美子はうれしそうにほほ笑んだ。

 僕はギターをギター・ケースからとり出して、アンプにつないだ。
 チューニングをして、メロディを弾く。
 貴美子はスマホを僕に向けて撮影をする。
 あのときと同じだ。
 僕が伊豆の別荘で弾いた、「伊豆甘夏納豆り」。
 いや違う、「サマーデイズ」という曲。

 今僕は、波の音をバックに新しい曲を弾いている。
 「恋のゆくえ」という曲。

 それは僕と貴美子の恋のゆくえをイメージした曲だ。
 「サマーデイズ」とはまた違った、甘いメロディーができた。

 夜中に僕は電話で起こされた。
 その電話の相手は亮介だった。

「おまえ今どこいんだよ!?」
 亮介は電話に出るなり怒鳴った。
 僕はびっくりしてスマホを落としそうになった。僕は電話で怒られた。

「コマーシャル制作会社から連絡があって、曲がないとイメージができないって監督が言うから撮影が止まっているんだそうだ。まったく、俺たちだってセーシェル諸島にいるわけじゃないんだからイメージなんてできないっていうの!」
 あ、僕、今いるけど、とは言えない。
「ともかく早く曲を作れって督促がかかってるんだよ」
 ああ、そうか。撮影が中止になったのは僕のせいだったのだ。
 卵が先か、鶏が先か。僕らは映像のイメージが無いと曲が作れない、彼らは曲が無いと映像が作れない。
「どうすんだよ? 今、スタジオにいるんだけど、今からすぐ来いよ」
 と亮介が言った。
「いや、今すぐには行けない」
 そりゃあ無理だよ、いくらなんでも。
「何でだよ!」
 亮介は半狂乱になった。
 そりゃあそうだ。これは僕らにとってのビックチャンスだ。これを逃すわけにはいかない。
 だけども無理なものは無理だ。物理的に無理だ。

「曲は出来た」
 と僕は言った。
「え?」
「メールでデモ・ビデオを送るからそれを使ってデモ・テープを作ってくれないか? ともかく今すぐそこに行くことはできない」
 僕はそう提案した。
「おまえ、何言ってんだよ!」
 亮介はぶちぎれていた。
 
 僕はそんな亮介の様子を無視して電話を切り、貴美子に撮ってもらったビデオをメールで送った。
 しばらくして亮介からメッセンジャーで「いいね」マークが送られてきた。

 朝起きて、また今日も貴美子とのバケーションを楽しめるものと思っていた。
 だけども貴美子の携帯電話に連絡が入り、撮影が再開されるとのことだった。

 なるほど、あの曲でレコーディングをしてOKが出たということなのか。

 僕はクルーザーの男に帰りのチケットを取ってもらい、日本に帰った。
 とりあえず急場はしのいだが、ちゃんとレコーディングをしなければならない。

 日本に帰ると、僕は皆が集まっているスタジオに来た。
 バンドのメンバーは僕の晴れ晴れとした表情をじろじろと見た。
 僕はまだ夢の中にいるようなふわふわした気分だった。

「ごめん。曲を作るのに充電が必要だったんだ」
 と僕は謝った。
「いったいどこで充電してきたんだ? 充電満タンっていう表情をしてるけど」
 と亮介が皮肉を言った。
「まあいいけど。良い曲ができたから。アレンジもだいだい出来上がっているから、すぐにレコーディングを開始しよう」
 と亮介は続けた。

 僕はギターを弾き、メンバーはそれに合わせて演奏をした。
 僕は一瞬にしてセーシェル諸島の夢の世界にトリップした。
 青い海、青い空、ビキニ姿の貴美子、その光景が僕の目の前に広がった。
 僕はがむしゃらにギターを弾いた。
 僕は貴美子を抱いている。僕はギターを抱いている。
 僕は貴美子の中にいる。
 

 僕のメロディにドラムによる力強いビート、ベースによる重低音、キーボードによる透き通ったサウンドが加わり、この曲の世界が広がった。
 やっぱり僕の信頼できるバンド・メンバーだ。抜群に格好いいサウンドになっている。
 僕の気持ちは更に高揚した。僕は快感の渦に巻き込まれた。
 今までに無い最高の音楽が、今この瞬間に出来上がろうとしていた。

 トロピカルで爽やかで、開放的なサウンド。
 海と空と貴美子のイメージにぴったりだ。
 これは僕たちの最高傑作だ。

「おまえ、やっぱり天才だな」
 と亮介が言った。
 みんな興奮している。
「いや、みんなのおかげだよ。僕のイメージがここまで広がるなんて、思いもしなかった。みんな、すごいよ」
 と僕は答えた。
「まるでセーシェル諸島にいるみたいだったよ。行ったことないけど。これはコマーシャルのイメージにぴったりだ。最高だー!」
 亮介はそう言って僕に抱き着いた。
 ベースの次利、キーボードの佐和子も僕に抱き着いた。
 みんなで抱き合った。

 アパートへの帰り道、佐和子が追いかけてきて僕の肩を叩いた。
「恋のおかげね」
 と佐和子が僕の耳元でささやいた。
「え?」
 佐和子は意味深な表情をして僕にほほ笑んでいた。

 コマーシャルが放映され、貴美子は世の中の注目を浴びるようになった。
 バラエティ番組への出演、グラビア撮影、雑誌の取材。
 貴美子は忙しく働き、僕らが会うチャンスはまるで無かった。
 僕はそうした貴美子の姿を、メディアやSNSで見守るしかなかった。
 だんだん貴美子の存在が、別世界の人であるかのように感じていた。

 僕らのバンド45RPMは、以前と変わらず週末にはライブ・ハウス「マリブ」で演奏をしていた。
 僕らは僕らでコマーシャルの影響があって、それなりの人気が出ていた。
 ライブはいつも盛況で、僕らは充実したミュージック・ライフを送っていた。
 

 ライブの帰り、僕は佐和子に呼び止められた。
「コーヒーでも飲みませんか?」
 と佐和子が言った。
「オーケイ」
 と僕は答えた。

 僕らはいつものように自動販売機で缶コーヒーを買って、公園のベンチに座った。
 売れるようになってお金があっても、僕らのスタイルは変わらない。

「明日、テーマパークでデートをしませんか?」
 と佐和子は唐突に言った。
「デート?」
 僕は目を丸くして佐和子を見た。
 
「私とじゃないですよ。会えなくて寂しいんでしょう?」
 と言って佐和子は僕の顔を覗き込んだ。
 僕は佐和子が何を言っているのか、一瞬分からなかった。
 佐和子は妖艶な笑顔で僕を見ている。
「私もIMFのメンバーになったのよ」
 と佐和子は言った。

 
 いつからか、佐和子は貴美子やクルーザーの男と連絡を取っており、僕らの関係をすっかり知っているようだった。
 思い返すと、そんな匂わせが今までに何度かあったような気がする。
 そして佐和子はIMFのメンバーになり、僕らの恋のミッションに協力をしてくれるらしい。

 ミッションの内容は、こうだった。
 僕と佐和子は恋人同士を装ってテーマパークに行く。
 貴美子とクルーザーの男が同じテーマパークに行く。
 そして僕とクルーザーの男が入れ替わり、それぞれにデートを楽しむ、ということだ。

「私たち、付き合っているのよ」
 と佐和子が言った。
「え?」

 佐和子がクルーザーの男と付き合っている?
 佐和子がクルーザーの男と付き合っている?
 いったいいつから?
 いったいどうして?

 僕が知らないところで、いろいろなことが起きている。
 僕の知らない水面下で、いろいろなことが起きている。
 これは愛の水面下?

 佐和子の発言は驚きばかりだ。
 佐和子の発言はサプライズばかりだ。
 佐和子はそうして僕が驚く様子を楽しんでいるかのようだった。

「彼がクルージングに誘ってくれたんだけど、それがすっごく楽しくて。彼、やさしいし、すぐに好きになっちゃった」
 と佐和子は照れながら笑った。

 クルージングが楽しいんじゃなくて、好きな人といることが楽しいんだよ、と僕は心の中でつぶやいた。

 僕は佐和子のアパートに車で向かえにゆき、テーマパークへと向かった。
 佐和子はなぜだかうれしそうだった。

「夢が叶った」
 と佐和子が言った。
「夢?」
 と僕は聞き返した。
 僕は何のことがだかわからずに、佐和子の次の言葉を待った。
「翔平さんとドライブ」
「え?」
 佐和子は怪しげな笑顔を僕に向けている。

 何か勘違いをしていないか?
 これは佐和子とのドライブが目的じゃない。

「これが本当のデートだったら良かったのにね、と昔の私に言いたいの。昔の私が願っていた夢、それが今日やっと叶ったのよ。だけどそれは現実じゃない。それは映像だけのもの。偽りの世界。タイムトンネルから覗いた幻の世界みたい。現実だけど現実じゃない。それは二次元の世界で奥行きがないのよ。だけどそれで構わない。昔の私は今はいない。今ここにいるのは、今の私だから」
 佐和子は満足そうにそうつぶやいた。
 僕は流れる景色を眺めている。青い空、白い雲。今日は快晴だ。

「ちょっと、何言っているかわからない」
 と僕は言った。
 佐和子は不満そうにほほを膨らませた。

 テーマパークは遊園地と違って大人が楽しめるデートスポットだと思う。
 そのテーマパークには映画をテーマにしたアトラクションがいくつもあり、遊園地のようにただそのアトラクションを楽しむだけのものではなくて、エモーショナルなプラスアルファがある。
 魅力的なのはその街並みだ。色々な名作映画の街並みが再現されていて、映画の中の世界に飛びこんだような気分になれる。

 僕と佐和子はテーマパークのゲートをくぐり、夢の世界へと入っていった。
 佐和子が僕の腕に腕をからめた。
 僕の顔を見る。
「楽しいね、デート」
 と佐和子がうれしそうに言った。
 やっぱり何か勘違いをしている。

「これはミッションだよね?」
 と僕は佐和子に確認をした。
「そうよ。敵をだますにはまず自分から」
 と佐和子は勝ち誇ったように胸をはって言った。
「まずは自分がその気にならないとね。これが恋愛リアリティショーよ。リアルが大事なの! 私たちはこのミッションを完璧にこなさなければならないのよ。だから徹底的にリアルさを追求するのよ!
 それにこれは昔の私へのご褒美だから。だってあの日の私が夢見たことが、今ここで実現しているのよ。なんてすばらしい体験なの!? あー、生きててよかったー!」
 と佐和子は続けた。
 やっぱり勘違いをしている。

 僕らは待ち合わせの時間まで、アトラクションで時間を過ごすことにした。
 僕は時間つぶしのつもりだったが、佐和子はどうやらそうではないみたいだ。
 佐和子はとても楽しそうだ。

 僕らが来た場所は、僕と佐和子がいつか観に行った映画の世界を再現したものだった。
 僕らは映画を観て、そのあと、セックスをした。
 それが最初で最後のセックスだった。
 僕らは恋をしていた。
 それが、突然終わった。
 勇次の死によって。

 僕はそんなことを思い出していて、僕の気持ちはジャンプした。
 あの日、僕は佐和子とセックスをして、そして今、僕はここにいる。
 その間の時間が失われ、僕は佐和子に恋をしている自分になっていた。
 僕の時間がジャンプした。

 僕は佐和子を抱き寄せて、キスをしようとした。
 佐和子は慌てて僕を突き放した。
「何、何、何!? だめ、だめ、だめ!」
 と言って佐和子は僕をみつめた。
「リアリティの追求じゃなかったのか?」
 と僕は思わず言い訳をした。

「それはだめよ。私たちは役者じゃないんだから、そこまでの演技はできないから」
 と言って佐和子は哀しそうな表情をして僕を見た。
「演技じゃない」
 と言って僕は佐和子を見つめた。
 僕はもうすっかり佐和子に恋する自分になっていた。
 何も見えなくなっていた。僕には佐和子しか見えなくなっていた。

 佐和子は目に涙を浮かべて僕の顔を見た。
「そんなこと、言わないでよ」
 そう言う佐和子の瞳から涙がこぼれた。
「そんなこと、言わないでよ」
 と佐和子は繰り返した。
 次から次へと涙があふれてきた。

「あなたの恋の相手は、私じゃない」

 決められた時間、決められた場所に僕らはゆく。
 そしてそこで僕らのパートナーが入れ替わる。
 ここからが本番だ。
 ミッション・スタートだ。
 僕はスイッチを切り替える。

 映画のワンシーンのように、僕らは誰にも気づかれることなく、入れ替わるのだ。
 カメラを意識する。
 映画の撮影では無いので、カメラは回っていない。
 だけども僕はわざとらしく演技をするのだ。
 僕は映画の中の主人公だ。
 何だかそれが楽しい。

 貴美子にボディガードはついていなかった。
 クルーザーの男は貴美子の幼馴染だから、特にマークはされていなかったということだろう。

「つけられていないか?」
 と僕は貴美子に訊ねた。
「だいじょうぶ」
 と貴美子は答えた。

 まるで映画のワンシーンのようだ。
 こんな秘密の恋も、何だか楽しい。

 貴美子は大きなサングラスに黒いワンピースを着ていた。
 まるでオードリー・ヘップバーンのようだった。

「私も最近は有名人だから、ボディガードの監視だけじゃなくて、一般の人にも気づかれないようにしないといけないから」
 と貴美子は言った。
「でもちょっと変装がわざとらしくないか? これじゃあかえって目立つんじゃないか?」
 と僕は貴美子に疑問を投げかけた。
「だいじょうぶよ。ここは映画の世界。コスプレはぜんぜん普通だから。さあ、行きましょう」
 と言って貴美子は僕の手を引っ張った。

 貴美子に連れて行かれた場所は、「ティファニー・カフェ」だった。
 それは映画「ティファニーで朝食を」で登場したティファニー宝石店の建物を模倣したもので、店内はカフェになっていた。

「ティファニーは宝石店だから朝食なんて食べられないのよ。小説の中ではそれが比喩的に使われていたんだけど、映画の中のシーンではオードリー・ヘップバーンがどこかで買ってきたパンを紙袋から取り出して、本当に食べるのよ。丁寧にカップのコーヒーまで持ってきているの。そして宝石を眺めながら、朝食を食べるのよ」
「うなぎ屋の前でうなぎの蒲焼の匂いをおかずに持参してきた白飯を食べるみたいに?」
 貴美子は呆れた表情をしながらも「そうね」と言って流した。

「でもここはカフェになっているから朝食が食べれるの。ティファニーで朝食をしたいっていう夢が叶うの」
 と貴美子が言った。
 僕は何か違うような気がする、と思いながらも貴美子に連れられて店内に入った。

 僕らは店内の席に座った。
 そして僕は驚く。
 店内の客はみなオードリーヘップバーンのコスプレばかりだった。
 ああ、これだったらぜんぜん目立たない。
 って言うか、ウォーリーを探せ?
 
「ね、目立たないでしょ? みんな考えることは一緒なのよ」
 と言って貴美子はどや顔をした。
「なるほどね」
 僕はぐうのねも出ない。
「さあ、ティファニーで朝食を」
 と言って貴美子はメニューを眺めた。

 僕らはティファニーで朝食を済ませると、アトラクションを楽しんだ。
 昔観た懐かしい映画や最近のヒット映画。ジェットコースターのような乗り物に乗ったり、ショーを観たり、船に乗ったり、それらはとても楽しくてたまらなかった。
 僕らは夢のような一日を過ごした。

 僕は恋をしている。
 これは秘密の恋だ。
 誰にも知られてはならない。
 IMFのメンバー以外は。
 

 僕らはたっぶりとデートを楽しんで、テーマパークのエントランスまで来た。
「帰りたくない。ずっと一緒にいたい」
 と貴美子が言った。
 僕も同じ気持ちだ。
 この夢のゲートをくぐったら、僕らは現実の世界に戻るのだ。
 現実の世界では、僕らは簡単には会うことができない。

 僕は貴美子を抱きしめ、キスをした。
 僕らは別れを惜しむように激しいキスをした。
 お互いに強く抱きあい、激しく舌と舌をからめた。

 僕らはすっかり油断をしていた。
 僕らにはまわりがまるで見えていなかった。
 僕らは僕らだけの世界にいた。

 そして、フラッシュが光った。

 僕らの目の前が、一瞬真っ白になった。
 そのフラッシュの閃光は、とてもまぶしかった。
 それはまるで映画のワンシーンのようだった。

 週刊誌に撮られた。
 そう悟るまでにはあまり時間はかからなかった。
 僕らは一気に現実の世界に引き戻された。
 目の前が真っ暗になった。

 油断をしていた。
 やってはならないミスを僕らはおかしてしまった。
 完全に緊張の糸が切れていた。

 写真を撮った人物はその場を走って逃げた。
 追っても無駄だ。
 僕らにはもうどうにもできない。

 僕らが落胆していると、そこに佐和子とクルーザーの男が現れた。
 僕は写真を撮られたことを彼らに告げた。
 ミッション失敗。
 それは僕のミスだ。

 今更だけれど僕らはまた入れ替わり、僕は佐和子と車に乗って帰途についた。

「仕方がないわよ。恋する気持ちは止められないから」
 と佐和子が言った。
 僕は沈んだ気持ちで夜の高速道路を車で走らせた。
 街の明かりが僕の視界の中を流れてゆく。

「気休めにしかならないけど、これ食べて」
 と言って、佐和子はテーマパークで買ったお菓子を僕の口の中に放り込んだ。
「投げやりになっちゃだめよ。やり投げはいいけど」
 と佐和子が言った。
 カステラがおいしかった。

 その写真が週刊誌に載ることは無かった。
 たぶん貴美子の兄が金で手を回したのだろう。 
 そのかわり、僕らの関係が貴美子の兄にばれた。
 その方がどれほど恐ろしいことなのか、僕は思い知ることになる。

十一

 いつものようにライブハウスでの演奏を終えて帰る帰り道だった。
 僕が通りを歩いていると、突然に物陰から現れた男に腕をつかまれた。
 黒丸のサングラスをしたその男の力は強く、僕は強引に路地裏に連れていかれ、こめかみに拳銃をつきつけられた。
 あまりの出来事に、僕は言葉を失った。
 
「この拳銃はなあ、マグナム44と言って世界で最も強力な拳銃だ」
 と男は言った。ダーティハリーか?

 映画なら知っている。これは映画「ダーティハリー」の中でクリント・イーストウッドが演じるハリー・キャラハンが使っていた拳銃であって、そのハリー・キャラハンが言ったセリフだ。しかも山田康夫の吹き替え版のセリフをそのままパクっていて、口調まで真似ている。

 だけど松田優作のような風貌をしてダーティハリーなのか、と僕は疑問に思う。
 節操が無いな。
 そんな現実離れした男の存在が、僕にはまるでリアルに感じられなかった。

「どうせ偽物なんだろう? 日本での拳銃の所持は違法だ」
 と僕は男に問いかけた。
「どうやら状況がわかっていないようだな。俺はプロの殺し屋だ。法律なんて関係ない」
 と男は言った。
 今度は低い声を出して松田優作の口調を真似ている。
 無節操で映画かぶれ。
 ますますリアリティがない。

「最も危険が、危ないよ」
 と男は言った。
 ああ、もうやっちゃっているよ。
 これは松田優作の映画の中のセリフだ。
 そのまんまだよ。そのまんま。そのまんま東だよ。
 こいつはいったい何なんだ?

「僕を殺すのか?」
 と僕は訊ねた。
 僕の言葉に男はふふっと笑った。
「いや、今は殺しはしない。ただ、また萩原貴美子に近づいたら、命の保証はない。これは警告だ」
 そう言って男は拳銃を僕の目の前で降った。

「萩原に雇われたのか?」
 と僕は訊ねた。
「さあね」
 男は答える必要が無いとばかりに言葉を濁した。

「君が本物の殺し屋だって、どうやって証明するんだ? その拳銃だって本物かどうかわからない」
 そう言って僕は男を挑発してみた。どうやら今回は警告だけのようだから、殺されることはなさそうだ。
 男はまたふふっと笑った。
「このあと、一人殺すことになっている。俺についてくるか? 俺が人を殺すところを見せてやる」
「いや、それは嫌だ」
 と僕は断った。殺人現場になんて行きたくない。

「じゃあどうやって俺が本物の殺し屋だって証明する? 痛い目に合わないとわからないか?」
 と今度は男が僕を挑発した。
 僕は黙っていた。下手なことを言うと何をされるかわからない。
 すると男はいきなり僕の腹を殴った。僕は苦痛でうずくまった。

「まあ、いいだろう」
 男はそう言ってスマホを取り出してその画面を僕に見せた。
「この男は知っているだろう?」
 男に見せられたスマホに映っていたのは、最近ヤクザ映画を監督した映画監督だった。
 そう言えば最近、この監督の映画がリアルすぎると話題になっていた。
「殺すのはこの男だ。こいつは知りすぎた」

 翌日のニュースで僕はその映画監督が死んだことを知った。
 自殺との報道だったが、その死はあまりにも不自然だった。
 猟銃自殺だなんて、普通はあり得ない。
 あの映画監督はヤクザの内情をリアルに描きすぎたために殺されたのだ。
 知りすぎた男。
 こんな闇の世界が本当にあったのだ、と僕は思った。

 あいつは本物の殺し屋だ。
 本当に殺しやがった。
 僕は恐怖で身が震えた。
 それはとてもリアルな現実に思えた。

 僕はまた逃げた。
 僕は貴美子が用意してくれたSIMカードが入ったスマホの電源を切った。
 もう貴美子からの連絡は受けられないし、僕も貴美子に連絡をしない。

 僕はまた、ただの僕に戻ったのだ。

十二

 僕は忘れることにした。貴美子のことを。
 夏も終わろうとしている。
 僕の恋も、僕の夏も終わったのだ。
 僕の貴美子との恋は終わったのだ。
 僕はそう自分に言い聞かせた。

 僕には他に何か打ち込むものが必要だと思った。
 貴美子がいないさみしさを忘れられるような何か没頭できるものだ。
 45RPMのバンド活動もいいのだが、やぱり今までの延長線上で代わり映えがしない。

 そんなとき、僕にとって思いもしないオファーが僕のもとに届いた。
 フュージョン・ギタリストである渡辺尚人からコンサート・ツアーのサポート・メンバーとして参加して欲しいとのことだった。
 バンドのメンバーも僕のことを気遣ってくれて賛成してくれた。
 僕は喜んでそのオファーを引き受けた。
 バンドのメンバーには悪いが、僕は渡辺尚人のコンサート・ツアーに同行することになった。

 渡辺尚人のコンサート・ツアーは刺激的だった。
 ギタリストとして僕は渡辺尚人の足元にも及ばないが、彼のギタープレイをまじかで見て、刺激を受けた。
 彼からたくさんのギターテクニックを教わった。
 コンサートが回を重ねるごとに、僕が弾くパートを増やしてもらい、彼とのギターの掛け合いやソロパートを弾かせてもらうことができた。
 そしてそのコンサートの中で僕の曲「サマーデイズ」と「恋のゆくえ」の演奏をした。僕のギターに渡辺尚人のギターが絡んでくる。
 最高に気持ちがいい最高の時間を僕は過ごしていた。

 貴美子は歌手活動を始めていた。
 貴美子のデビューアルバムが発売され、曲はヒットした。
 今人気のアーティストの楽曲提供を受けていたから、ヒットして当然なところがあった。
 金の力だ。チャンスも取り巻きの豪華さも、金で手に入る。
 それでも貴美子の素質があってこそだ。
 貴美子の歌声は透き通るようでいて、心に響いた。

 一年前の僕には何の後ろ盾も無かった。
 僕はやっとのことでつかんだチャンスを、勇次の死で失った。
 金の無かった僕は、金持ちを恨めしく思っていた。
 だけども僕は貴美子と出会い、恋の力で復活した。
 だけどそれだけじゃない。結局のところ貴美子の金の力で手に入れたコマーシャルの楽曲提供で、今の名声を得ているのだ。

 僕は欲深いのだ。
 だから命を狙われるのだ。
 僕は踏み込んではいけない世界に踏み込もうとしていたのだ。
 そこは禁断の世界なのだ。
 それは、僕とは違う世界なのだ。

 今の僕にできることは、ただ貴美子の歌う歌声を聴くことだけだ。
 僕は貴美子の歌声に、心が癒されている。
 僕は夢の中で、貴美子に会う。
 僕は夢の中で、貴美子を想う。

 
十三

 僕のスマートフォンのメッセンジャーにURLが送られてきた。
 それはクルーザーの男からだった。

 僕はそのURLをタップする。
 動画がスタートした。
 スマホの画面には貴美子が映っている。

「翔平さん、あなたに会いたい」
 貴美子はまっすぐに僕の方を見ていた。
 実際にはカメラのレンズを見ているのだが、その貴美子の瞳はそれを突き抜けて僕のところまで届いていた。
 貴美子は寂しそうな表情をして、目は涙で潤んでいた。

「兄が殺し屋を雇うだなんて、私にはとても信じられません。だけどもそれが兄です。それが私の兄なんです。私は兄に逆らえません。そしてあなたに死んで欲しくない。
 渡辺尚人さんのコンサート、好評のようですね。
 「サマーデイズ」や「恋のゆくえ」の演奏もしていると聞いて、私も聴きに行きたいという気持ちでいっぱいです。
 ですがそれも許されません。
 前にもまして私の監視は厳しくなって、今の私はあなたの命に危険が及ぶことはしたくありません」

 貴美子は一呼吸置くと、ギタースタンドにかけられていた赤いテレキャスターを手に取った。
「このギター、覚えているでしょう? 最近私、ギターを弾いているのよ」
 貴美子はそう言って赤いテレキャスターを肩からかけた。
「これは、妹の加奈子のギター」
 貴美子はギターをぽろんと鳴らした。

「加奈子の話をするね。
 加奈子は私の一つ下で、高校生の時にロック・バンドをやっていたの。
 親には反対されていたけれど、それが彼女にとっての反抗だったのよね。
 私は良い子を振舞っていたから、そんな彼女がうらやましかった。
 自由でいいなあ、って思っていた。

 でもね、彼女はいつしかドラッグをやるようになっていったの。
 彼女の弾くギターがありきたりで面白味がないっていう酷評を受けていて、それに悩んでいたのよね。
 もっともっと独創的で刺激的な表現をしたい、誰にもできないギタープレイがしたい。そうした焦りといら立ちの中にいたの。
 私はそれに気がついてあげられなかった。
 彼女がやりたいことをやりたいようにやって、まるで鳥のように空を飛んでいるように見えていたのよ。
 
 そして加奈子はドラッグのオーバードーズで死んだの。
 彼女のギターはね、甘くてとても美しいメロディを奏でていたの。
 決して酷評されるようなギタープレイじゃなかった。
 私は何より加奈子が奏でるギターのメロディが好きだった。

 あなたのギターの音色を聴いて、私は彼女を思い出したし、あなたのことが好きになった。
 加奈子に会いたい。
 あなたに会いたい。
 どうしてみんな、私の元からいなくなってしまうの?」

 貴美子は泣いていた。
 そしてビデオは終了した。

十四

 僕は動画サイトで検索して貴美子の妹のバンドを探した。
 彼女はプロで活動していたわけでは無いので、スマホで撮影された練習風景だとか、ライブを撮影したものだとかがアップされていた。
 粗削りで激しい、魂の叫びのようなロックだった。
 家が裕福で恵まれているのにもかかわらず、それを拒絶し、何かを求めている姿が映し出されていた。
 今の環境をぶち壊し、新しい何かを求めて束縛からの解放を歌っていた。

 ショート動画はさらに過激な内容だった。
 明らかに薬をやってラりっている様子や、手当たり次第に物を壊す姿。
 たぶんもっとたくさんの動画が上がっていたのだろうが、そのほとんどが過激すぎるがために削除されたものと思われる。

 映像にはいつも彼女が愛した赤いテレキャスターが映っていた。
 そのギターは彼女そのものだ。
 彼女の輝きも、凶器も、何もかもを、そのテレキャスターは受け止めているかのようだった。

 動画を観ている中で、僕は明らかに他の動画とは違ったものを見つけた。
 それはいつもの破壊的で狂ったような姿とは全く異なるものだった。

 赤いテレキャスターをかかえて、彼女はカメラの前に立っていた。
「お姉ちゃん、大好きだよ。
 今日は、お姉ちゃんのために歌うね。
 これが最後の私の歌だから、ちゃんと聴いてね」
 そう言って彼女はギターを弾き始めた。

 彼女はギターを弾き、歌を歌った。
 その歌は、鳥のように自由になりたい、という曲だった。
 他の彼女の曲とは違い、メロディアスで、しっとりと歌いあげていた。

 後でネットで調べていたところ、この動画を撮ったあとに彼女はオーバードーズで亡くなったとのことだった。

十五

 渡辺尚人のコンサート・ツアーに同行して全国を旅するのは楽しかった。
 バンドのメンバーとも仲良くなれたし、その土地土地でのおいしい食べ物も楽しめた。
 酒を飲んだり遊んだり、陽気で愉快な仲間と過ごす時間は、僕にとっての救いだった。
 だけどもそれも終わりが訪れる。
 楽しかったコンサート・ツアーが終わって、僕はいつものバンド活動に戻ることになった。

 久しぶりのホームだ。僕は躍る気持ちでライブハウス「マリブ」へと向かった。
 いつものメンバーがいつものように僕を迎えいれてくれる。
 僕はそんな温かい光景を思い浮かべていた。 

「翔平、これはいったいどういうことなんだよ?」
 と亮介が不機嫌そうな表情をして僕の顔を見るなり僕に問いかけた。
 僕は何のことかわからずに困惑した。
 何だか僕が思っていた雰囲気とは違っていた。

 亮介の手には週刊誌が握られていた。
 亮介はその週刊誌をふらふらと目の前で降った後に、テーブルの上に乱暴に放り投げた。
 僕はその週刊誌を手に取ってぱらぱらぱらとめくってみた。
 そして僕はあるページを見て固まった。そこには僕と貴美子の姿が映っていたのだ。

 それはグラビア・ページで、僕と貴美子の姿が色鮮やかなカラー写真で掲載されていた。
 セーシェル諸島だ。セーシェル諸島で僕らが撮った写真だ。
 カメラの前でうれしそうにほほ笑む僕と貴美子の姿。
 ああ、思い出すだけでうれしくなる。楽しかった時間がよみがえる。
 それはコダックのリバーサルフィルムで撮った写真だ。貴美子が誕生日に父親に買ってもらったカメラで撮った写真だ。それはとても色が鮮やかでとてもきれいだった。
 恋をして輝いている僕らがそこには映っていた。

「萩原貴美子、セーシェル諸島でギタリストと密会!」
 とそのグラビアページには見出しがついていた。

「なんだよ、なんだよ、なんだよ。どうりであんな曲ができるはずだ。おかしいと思ったんだよ。そりゃそうだよな。そりゃそうだ。充電、充電って、セーシェル諸島じゃないか。セーシェル諸島かよ。いったことねえよ、セーシェル諸島。憧れのセーシェル諸島かよ。まったくいいご身分なこった。パンナコッタ。こちとら日本でせこせこお前の曲ができるのを待って悶々としていたっていうのにな。あー、あー、あー、やってらんねえ!」
 亮介は悪態をついた。

 だけど、どうしてこの写真がリークしたのだ?
 このことは僕と貴美子しか知らないはずだ。
 ふたりだけの秘密のはずだ。
 それなのにどうしてこの写真がリークしたのだ?
 週刊誌にリークなどするはずなんてない。そんなはずがない。
 僕はそんな気持ちで週刊誌のグラビアを眺めた。

 亮介は不機嫌だったが、ライブが始まると別人になった。
 なんのかんの言って僕らはミュージシャンだ。
 演奏が始まれば他のことなんて何も考えられない。
 僕らはただ演奏するだけだ。
 僕は久しぶりにご機嫌な演奏を楽しんだ。

十六

 日曜日、僕はクルーザーの男に誘われてクルージングをすることになった。
 佐和子も一緒だ。今回はミッションではない。

 あの日から、僕にも尾行がつくようになった。
 これ以上僕と貴美子が接近しないようにするためだ。
 何かおかしな行動をすれば、すぐに殺し屋がやってくるだろう。
 こんな危険な状況で貴美子に近づくことはできない。

 僕は佐和子を車に乗せて、伊豆に向かった。
 佐和子はとても楽しそうだった。また何か勘違いをしているように僕には思えた。

「翔平さんと二度目のドライブね」
 と佐和子はにこにこしながら言った。
「君はあの男と付き合っているんだろう?」
 と僕は疑いの眼で佐和子を見た。
「付き合ってますよう~」
 と佐和子はとぼけた表情をして僕に答える。
「でも翔平さんが好き」
 と続けた。
「何だよ、それ」
「だって好きなんだもん。いいじゃない。私の勝手なんだから。別腹なんだから」
 と言って佐和子はおなかをぽんぽんと叩いた。
「勝手な理屈だな」
 と僕は呆れる。
「ふふふ」

 僕らは伊豆のマリーナに到着した。
 クルーザーの男のクルーザーで僕らは沖に出た。

 僕を尾行してきたと思われる男たちは沖までは追ってこなかった。
 たぶん貴美子にも尾行がついているから、僕らがここで会うことは無いだろうと安心してるのだと思う。

 僕は貴美子とクルージングをしたときのことを思い出す。
 青い海、青い空、そして貴美子。爽やかに吹き抜けてゆく潮風。
 太陽がいっぱいだった。
 ここに貴美子はいない。いるのは佐和子だ。
 心の中にぽっかりと穴が開いている。
 

「ここは盗聴されていないし、自由に話ができる。それに、海の上は気持ちがいいだろう?」
 とクルーザーの男は言った。
「うん、気持ちがいい!」
 と佐和子が叫んだ。
 お前に言っているんじゃない、という表情をして男が佐和子を見た。

「あの週刊誌の記事は僕が書かせたんだよ。少しでも君と貴美子の関係を近づけたかったんだ。
 セーシェル諸島で会っていた、という事実だけを伝えることで風穴を開けようと思ったんだ。
 記事では君と貴美子の関係までには踏み込んでいないし、ファンも好意的に受け止めてくれるんじゃないかな。
 貴美子の兄貴に対しては少しばかり刺激的だったかもしれないけれど、君と貴美子が会わないということはかえって不自然な感じが世間では漂っていると思う。
 仲がいいことは事実だし、それが恋愛関係かどうかは推測でしかないからね。
 あとは必要以上に近づかないいことだけどね」
 と男は言った。
「それは無理かもね~。恋する気持ちは止められないからね~」
 と佐和子がちゃちゃを入れた。
 僕とクルーザーの男はそれを無視した。

「そうだ、あのキスの写真を手に入れたけど、記念にいるか?」
 と言ってクルーザーの男はその写真を僕に手渡した。
 僕はその写真を眺める。

 僕と貴美子がキスをしている、その光景が写真には映し出されていた。
 それは僕がどこかの週刊誌で見たスクープ写真のようだった。
 僕らにとってはロマンチックだった出来事が、リアルな現実として、そこには映し出されていた。

「なかなかに刺激的な写真だろう? こんなのが週刊誌に載ったら、貴美子の兄貴は半狂乱になって君のことを本気で殺してしまったかもしれないね」
 と言ってクルーザーの男は笑った。
 笑いごとじゃない。僕には笑えない。

「だけどこれからどうする?」
 と僕はクルーザーの男に訊ねた。
「それを考えるために今日ここに集まったんじゃないか」
 と男は平然と答えた。
 まさかのノープランか!

「まあ、いいか。君たちはデートを楽しめばいいよ」
 と僕は言った。
 僕はおまけだ。酒の肴だ。勝手にしてくれ。
 勝手にデートを楽しんでくれ。

「え? 何?」
 と男が僕に問い返した。目を丸くしている。
「君たちは付き合っているんだろう?」
 と言って僕はクルーザーの男を見て、それから佐和子に視線を移した。
「付き合ってないけど」
 とクルーザーの男は言った。
 え?
 佐和子はベロをだして僕を見た。
 だましたのか。

 僕らは何も考えずにただただクルージングを楽しんだ。
 青い海、青い空。
 海は広いな、大きいな。
 僕らは解放された気持ちの中で、心を解き放った。
 太陽がいっぱいだ。

「そのうちに風向きが変わるよ」
 とクルーザーの男は言った。

十七

 貴美子のコンサート・ツアーが決まった。
 このコンサート・ツアーで貴美子は日本全国を回る。
 バンドのメンバーは有名なスタジオ・ミュージシャンが揃っており、演奏だけでも聴きごたえのあるものだ。
 いやいや、メインは貴美子だ。
 いくら金の力を使ってここまで来たとしても、そこに貴美子の魅力が無ければヒットなんてしない。
 貴美子の透き通るような歌声、そして心に響くビブラート。それは誰もを魅了するものなのだ。

 ライブの様子や日々のできごとなど、僕は貴美子のSNSを追っていた。
 インスタやユーチューブなど、貴美子の情報はありふれるほど豊富に得ることができた。
 僕はまるで貴美子と一緒にいるかのような気持ちで、リアルタイムで貴美子と触れ合っていた。
 寂しくなんてない。貴美子と僕はいつも一緒だ。

 いや、それは強がりだ。

十八

 最終日の貴美子のコンサート・チケットをクルーザーの男が取ってくれた。
 僕はクルーザーの男と佐和子と一緒に貴美子のライブを観に行った。
 彼女は僕を見つけてくれるだろうか、僕がステージから客席にいる彼女を見つけたように。

 開園時間が近づき、コンサート会場の照明が落とされて暗くなった。
 ライブが始まる。その興奮に、どきどきする。

 演奏が始まると同時にステージの照明が明るくなった。
 貴美子がステージに登場し、勢いよくジャンプした。
 歓声が沸き上がった。

 力強く貴美子が歌う。
 アップテンポでエキサイティングな演奏がそれを引き立てる。

 貴美子のステージは最高に興奮するものだった。
 僕も我を忘れて貴美子の魅力に魅了された。

 ともかくギターが良い。
 それは渡辺尚人のバースディ・パーティにも参加していた一流のギタリストだ。
 最高にエキサイティングなギタープレイをするが、そのルックスもいかしている。
 ドラム、ベース、キーボードも素晴らしい。

 そんな興奮のうちにライブは終わった。
 僕らは拍手をした。みなが拍手をした。
 コンサート会場は拍手の渦で包まれた。
 拍手は止まらなかった。

 拍手はいつしかアンコールへと変わる。
「アンコール! アンコール! アンコール! アンコール!」
 会場内がアンコールの声で埋まった。

 そしてついに貴美子がステージに戻ってきた。
 歓声が沸き上がる。
 
「どうもありがとう! どうもありがとう!」
 そう叫んで貴美子は観衆に向けて手を振った。
 みなが興奮し、声援を送った。

「今回のツアーは私にとって初めてのツアーで、緊張もしたけど、とっても楽しかったです。みんなも楽しんでくれたー!?」
 貴美子が叫ぶ。会場に歓声が沸いた。

 そして貴美子の表情は真剣なものになった。
 そんな貴美子の様子を見て、会場は静かになった。
 一呼吸おいて貴美子が話し出す。
 貴美子の声のトーンはトーンダウンしていた。

「私が歌を歌おうと思ったのは、妹の影響があります。妹はロックをやっていましたが、ずいぶん前に亡くなりました。妹の歌は、妹のギターは、今も私の心に響いています。
 そして私はコマーシャルに出演したときに、その曲と出会いました。
 それはとても素敵なメロディで、私の心を一瞬にして魅了してしまいました。そして私はその曲に、歌詞をつけて歌いたいって思ったんです。
 それが、私が歌を歌い始めた理由です。
 その曲をデビュー曲としてリリースしたかったのですが、残念ながら、それは叶いませんでした。
 でもその曲が、私にとって特別で、とっても大切な曲なんです。その曲は、私の原点なんです。これからその歌を歌います。
 みんな聴いてくれるー!?」
 貴美子が叫び、歓声が沸いた。

 貴美子はギター・スタンドに立てかけられたギターを手に取った。
 それは、赤いテレキャスターだった。
 貴美子がギターを弾くのか、と観客はさらに沸いた。

「これが、妹のギター。そしてこれを弾いて欲しい人がいます。それはこの曲を作った人。芹沢翔平さんです!」
 貴美子がそう叫んだ。
 会場に拍手が沸き起こった。
 僕はびっくりして、戸惑った。

「翔平! ここにいるよね!? これを弾いてくれるわよね!?」
 貴美子はそう叫び、赤いテレキャスターを手に持って、それを高く持ち上げた。
 会場はどよめき、貴美子は会場を見まわしている。

 僕は困惑し、逃げ出してしまいそうな気持ちになった。
 会場はざわつき、やがて翔平コールが響き渡った。

 翔平! 翔平! 翔平! 翔平! 翔平!
 あああああ。
 翔平! 翔平! 翔平! 翔平! 翔平!
 あああああ。
 止まらない。翔平コールは止まらない。
 翔平! 翔平! 翔平! 翔平! 翔平!
 あああああー。

「いまーす! ここにいまーす!」
 佐和子がそう言って僕の手をつかんで高くもち上げた。
 まわりの人たちが僕に注目した。

「あ、芹沢翔平だ!」
 今まで気づかれずにいたのに、僕は一気に周りの人たちの注目を浴びた。
 もう逃げられない。

 佐和子が僕の手をつかんで、ステージへと引っ張て行く。僕はそれに逆らうこともできずにステージへ向かった。
 そしてステージの前で僕をステージにあげると、佐和子は席に戻ろうとしたが、貴美子が佐和子の手をつかんで、佐和子をステージの上へと引っ張り上げた。

「紹介します。ギタリストの芹沢翔平さんでーす!」
 と言って貴美子が僕を紹介した。会場から拍手がおこり、僕は頭を下げた。
「そしてフュージョン・バンド「45RPM」のキーボード、榑沼佐和子さん!」
 佐和子も照れながら丁寧に頭を下げた。
 貴美子のバンドのキーボード・プレイヤーが佐和子に手招きをした。佐和子はそれにうなづいて、キーボードのポジションへと向かった。

 僕は貴美子から赤いテレキャスターを受け取り、ストラップを肩からかけた。
 貴美子が僕にほほ笑む。

「翔平! 愛してるよー!」
 と貴美子が会場に向かって叫んだ。
「世界中に言いたいの! 翔平を愛してるー!」
 そう叫ぶと貴美子は僕のほほにキスをした。会場から声援が飛んだ。
 僕は照れながらギターのグリップを握った。

 ドラムがステッキでカウントする。
 そして、演奏が始まる。

 僕のあの曲が、貴美子と同じステージで演奏される。
 貴美子がいる。貴美子がそばにいる。
 あんなに遠い存在だった貴美子が今、僕のそばでほほ笑んでいる。それは夢のようだ。僕は夢の中にいる。
 僕はギターのイントロを弾く。貴美子がマイクに向かう。

 貴美子が歌い、僕はそれを追いかけるかのようにギターを弾く。歌とギターの競演。僕らはお互いがお互いを求めあっている。
 歌に反応してギターを奏で、ギターに反応して歌が絡む。僕らは唇を交わすように、体を交わすように、歌とギターで絡み合う。
 僕らは僕らだけの世界にいる。

 セーシェル諸島で過ごした時間がフラッシュバックする。はちみつのように甘い色をしたお月さま。僕らのハニームーン。
 観衆の前で、僕らは愛を表現している。

 貴美子が歌い、僕がギターを奏でる。
 

 恋のゆくえ、という曲。

おわり。


 

もしも僕の小説が気に入ってくれたのなら、サポートをお願いします。 更なる創作へのエネルギーとさせていただきます。