なぜ自前で7.4億もするサッカーグラウンドを作ろうと決断したのか。
こんにちは。株式会社Amazing Sports Lab Japanの代表でもあり、奈良からJリーグを目指すサッカークラブである奈良クラブの代表でもある、濵田満(戸籍上は濵です)と申します。2月9日(水)にこれまでの人生でたぶん最初で最後となる大きな投資を行うことを発表しました。
とち狂ったレベルの額の借金をし、全額個人で連帯保証人となりサッカーグラウンドを建設する。一体なぜここまでリスクを背負うのか、また勝算は本当にあるんだろうかと疑問を持たれている人も結構多いのではないかと思います。記者会見では時間もあまりなく、説明もかなり割愛しているので、じっくり書けるnoteで説明できればなと思います。
突然ですが、みなさんは人生を懸けてでもやりたいことってありますか。
実は、人生を懸けてでもやりたいことが見つかる人って結構幸せな人なんじゃないかと思います。というのも本当に人生を懸けるほどの価値って、ある日突然に「これに人生懸けたい!」って思えるものがでてくるのではなく、物心ついたとき(つく前からもか)からしてきたあらゆる経験の中で、何に興味を抱き、どういう価値観を持ち、それを踏まえてどういう行動をしたのかという、自分という人間についての自己分析があり、それでもわからないことが多い中で、仕事だったり、人との出会いだったり、旅行だったり、結婚だったり、離婚だったり、病気だったり、身近な人の死だったり、子供の誕生だったり、嬉しいことや悲しいことなどをたくさん経験していき、自分の人生に対する価値観ってのが芽生えてきた結果、明確に「人生懸けてやりたい」っていう想いがあふれ出てくるものだからだと思います。
そんな「人生懸けてやりたい」っていう感情がでてきた僕は結構な幸せものなのですが、なぜそういう感情がでてきたのか、ちょっと長いですが、僕のこれまでの人生で培ってきた価値観を知ってもらえたら嬉しいなと思うのでしばし付き合ってください。
僕は、奈良で育ち、小学校、中学校、高校でもほとんど遊ぶことなく、ずーっとサッカーをやってました。そんなにうまいわけでも、トレセンに入ってたわけでもないんですが、他のことに目もくれず、サッカーが好きでテレビのサッカー番組は全番組(今みたいに多くない)ビデオにとってみてたような子供でした。奈良からほとんどでることなく、サッカーだけしてた学生時代でしたが、ワールドカップなど、海外のサッカーをずっと見てたことと、高校2年のときにオーストラリアの選抜チームが奈良に来たときに交流したことがきっかけでなんとなくサッカーは世界のスポーツという価値観ができあがり、大学は関西外大のスペイン語学科に入りました。
で、サッカーは世界のスポーツという価値観で生きてたので、スペイン留学って話になるんですが、21歳で帰国後、今度は大学でチリ人の先生から南米の政治、経済などについて学ぶにつれて、国際協力を仕事として、発展途上国の社会課題の解決の仕事をやりたいなと思いはじめたのです。そして24歳のとき、実際にベネズエラで働くことになって南米暮らしがはじまるわけですが、実際に国際協力の最前線で活躍したいとは思ってはいるものの、いくつかの疑問(本当に発展途上国のためになっているのか、自国じゃなく、他国のために尽くせるのかなど) を自分の中で答えをみつけられず、自分の行動はそこまで伴いませんでした。
結果的に27歳で、ワールドカップでの盛り上がりから欧州サッカー人気に火がついたサッカー業界で、サッカーグッズの販売を全国で展開する会社に入りました。ただ、入社後9ヵ月で会社が民事再生法の適用を受けたため、個人で事業提案をFCバルセロナに行い、ソシオ受付代理店契約締結したのをきっかけに、サッカー事業の会社を作ることになりました。
とはいえ、当時は人生懸けてやりたい!というよりは食べていくことが目標でした。そんな中、2007年にバルサアカデミーを現地バルセロナで見学した際に、地域に完全に溶け込み、誰にとってもかけがえのない場所になっている、サッカーというスポーツが作る世界観に感動しただけではなく、言葉に表せない羨ましさを感じました。
以下、ある選手のお父さんがアップしてくれてた文章がまさに僕が作りたい世界なので、抜粋させてもらいます。
そこで、日本にも「地域コミュニティーとともにサッカーがある日常」(僕はサッカーを文化にすると呼んでます)を根付かせたいと思い、そのためには世界で通じる選手を育成し、日本をサッカー大国にしたいと活動してきました。ただ、実際には「世界に通じる選手の育成」の方が先行し、なかなか「地域コミュニティーとともにサッカーがある日常」という部分を実現できずにいました。そんな中、2019年に山梨県の小淵沢町という人口6000人にも満たない町で、10年以上使われていなかった企業の保養所を見つけたため、その保養所の所有者であるS&D多摩ホールディングスに直談判し、中学生向けの寮生アカデミーとして活用できるよう、修繕をしていただいた上で、アメージングアカデミーというサッカークラブを立ち上げました。子供たちは地元の中学校に通い、地域の活動にも参加するなど、地域とのかかわりの中で活動しています。
一方、奈良クラブとのかかわりは、2008年に当時の奈良クラブサポーターの一人からの紹介で、理事長であった矢部と知り合い、別の場所(しかも地元)で、同じ理想を共有していた奈良クラブの支援をさせてもらうということになり、当時から奈良にサッカーグラウンドを作りたいと相談を受けていました。僕自身は当時は外部の人間だったため、拠点を作るということについては積極的に関わったわけではないですが、2020年2月に縁あって奈良クラブの社長に就任するとなったときに、「世界に通じる選手の育成」、「地域コミュニティーとともにサッカーがある日常」、「自分が生まれ育った町」、そして「社会課題の解決」という自分が大切にしたいと思っているキーワードすべてに取り組めるクラブの拠点を作るために人生を懸けることに全くのためらいはありませんでした。
とはいえ、ただやりたいという気持ちだけでやれるプロジェクトではなく、当然ある程度の計算がたつからリスクをはれるわけですので、奈良クラブの未来も含めて書ける範囲で次回書いてみたいと思います。