One and Only
わたしが出会ったとき、彼女はすでに遠い外国へ行っていた。
たくさんの奇跡と思い出を残して。
彼女が卒業して、3年も経った、2018年の出来事。
鞘師里保。
元モーニング娘。の9期メンバーであり、
2011年に加入してから卒業する2015年まで、エースでセンターを務めていた。
といっても、タイムリーな活躍はほとんど知らない。
ただ、2014年あたりから、メディアで何度も「新生モーニング娘。」という言葉を聞いたことは覚えているし、彼女にハマる前からも、モーニング娘。の恋愛ハンターは良い曲だと思っていて、カラオケで歌っていた。
某音楽番組に数年ぶりに出ると聞いたときは、興味があって何度か観たことがある。わたしが知っているモーニング娘。は、いわゆる”黄金期”で、懐かしさもあった。披露していたのは、わがまま気のまま愛のジョークだったと思う。
あの頃出会っていれば、わたしは鞘師をもっと好きになれていたんだろうか。
あれから時は流れ、ハロプロ20周年として、関ジャムという番組が特集を組んでいた。松岡茉優さん中心に、ゲスト陣がモーニング娘。やハロプロの歴史を語っていた。
モーニング娘。の歴史を変えた人物。
最後のひとりとして紹介されたのが鞘師だった。
かすかな記憶が蘇る。
わがまま気のまま愛のジョークで、センターに立ち、のびやかに歌う姿。
恋愛ハンターのMVで、2番を中心に歌っていた姿。
わたしはなぜか、当時の彼女を覚えていた。
驚いたのは、どうやら鞘師里保はすでにモーニング娘。を卒業していたこと、そして、加入当時から、ダンスがプロフェッショナルだったことだ。
紹介VTRのなかで、幼い少女がしなやかに踊る。頭からつま先までキレイにのびる形。髪さえ踊らせているようにみえた。
つんく♂さんが、「鞘師は最高到達点」と評した女の子。
どんなひとか興味を持ったわたしは、動画サイトで、検索をはじめる。
そこに溢れていた鞘師は、希望のかたまりだった。
普段はあどけない可愛らしい姿をたくさん観せてくれるのに、ステージ上に立つ彼女は、顔が変わり、のびやかに踊る、強さと儚さがあった。
さらに鞘師はダンスだけでなく、歌声まで凄かった。
リズムも、声質も、わたしのこころにダイレクトに響き、そしてどこか切なくさせた。松岡茉優さんが言っていた鞘師の「憂い」が、直接胸に響いてくる。
もっと驚いたのは、普段はとてもかわいいのに、パフォーマンスに対する姿勢がとてもかっこよかった。
自分の立場を全うしながら、まわりを見渡し、つねに全力。わたしよりも大分年下なのに、使う言葉ははるかに大人だった。
彼女のパフォーマンスと人柄を知り、わたしはいつの間にか泣いていた。
誰かのダンスをみて泣いたのは初めてだった。
こういうことだったのか。
あの頃、新生モーニング娘。と、うたっていた意味。
そして、彼女がもたらした歴史の変化。赤色の花。
大きな遠回りをして、わたしはついに鞘師里保に出会うことができた。
出会いと同時に、わたしは鞘師里保ロスを経験した。
ダンス留学としてグループを卒業した彼女の情報は、どこを探しても見つからなかった。
時々、鞘師なのでは!とSNSであがった動画はあったけれど、本人からの発信はなかった。
追い討ちをかけるように、2018年の11月、彼女がアップフロントプロモーションとの契約を終了するニュースが飛び込んできた。
わたしはただただ、過去を追うしかなかった。
ダンスで魅せる鞘師。歌い、強い眼差しをみせる鞘師。天使のような鞘師。儚い視線をみせる鞘師。メンバーとじゃれたり、可愛がられる鞘師、ご飯を食べる鞘師、何もないところで転ぶ鞘師……
次々に新しい彼女をみるたびに、ますます愛おしくなる。
なぜ、あのときに知らなかったのか。
わたしは、こうやって追うことしかできないのか。
こんなに大好きなのに。
誰にもいえない後悔。
ひとつだけ希望が持てたのは、彼女の帰りを、ずっとずっと待っているファンのひとたちがたくさんいたことだった。
SNSで検索するたびに、鞘師への思いを綴るつぶやきをみかけた。
卒業してもう3年も経っているのに。
出会ったばかりのわたしでさえ、こんなにも切ないのに、
ずっと前から鞘師に魅せられたひとたちは、どれだけの寂しさを乗り越えてきたのだろうか。
永遠のような長い時間を、ひたすらに待ち続けるファンの存在は、
「きっと、絶対、帰ってきてくれる」と、わずかな期待を持たせてくれた。
そのニュースは、流れ星のように突然やってきた。
「ひなフェス2019のゲストに、鞘師里保出演」
この日の自分は、パニックになるほど舞い上がった。
同じように、待ち続けた多くのファンが歓喜した。
チケット争奪戦には参加出来なかったけれど、オンラインで、わたしはついに、いまの彼女を観ることができた。
あのときの歓声と、真っ赤に染まった赤色の会場と、鞘師をみたときの感動は、今でも忘れられない。
存在に震えたというのはこういうことか、というぐらい、心臓がドクンと波うった。
そして、鞘師を待ち続けたファンのひとたちの歓声が、あの現場にいた誰もが口を揃えていうくらい、凄まじかった。
https://youtu.be/rfC31ZLwAuc
(20:10〜)
「愛しの君へ」と、彼女は歌った。
湧き上がる会場の熱に、わたしは涙した。
鞘師里保というひとは、どれだけ多くのひとたちの希望だったのか。
奇跡のような1日がすぎたあと、つぎの鞘師が動くまで、約3ヶ月もかかった。
BABYMETALのサポートダンサー、アベンジャーズのひとりとして、鞘師が参加したことである。
事前公表はなく、ニュースの記事にはなっているけれど、現在でもこの出来事は、本人からも、BABYMETALの事務所からも、正式な発表には至っていない。
けれど、SNSにあがっている彼女は、間違いなくわたしの大好きな鞘師里保であった。
https://youtu.be/HaJUWRziDQc
この話題は彼女のファンだけでなく、BABYMETALのファンの方たちにも、少しずつ広まっていく。彼らは以前、大切なメンバーであるYUIMETALの卒業を経験していた。彼女が唯一無二の存在であるのは明らかで、きっとその場所は、誰にも代えられない確かな3人の絆があるだろう。けれど、そこにサポートダンサーとして加わる鞘師のことを、多くのひとが受け入れてくれた。「救世主」と呟いてくれたひともいた。鞘師をはじめて知り、好きになってくれたひともいた。感動で胸がいっぱいだった。
わたしも、BABYMETALのことを知り、カラオケで歌うくらい、新しい世界を知ることが出来た。
誰から語られなくても、わたしには、あの温かい奇跡が紛れもない事実であり、彼女たちには本当に感謝している。
季節は流れ、2020年の5月。
また鞘師はわたしたちを驚かせた。
公式Instagramの開設である。
夜中におきたこの衝撃的な出来事は、わたしをいつもより2時間もはやく目覚めさせ、その日の仕事は寝不足気味で過ごした。
次の日には、インスタライブをしてくれた。
あの頃と変わらず、照れながら左右に揺れ、たどたどしく手を振る。可愛らしい天使のような彼女がいた。
本人からの供給に、目眩がした。あんなにも待ち望んでいた鞘師が、動き出しているのだ。
心臓がうるさかった。夢みたいだ、と、何度つぶやいたことか。
鞘師が戻ってきた。
諦めかけた夢は、ちゃんと花を開いて、待つ人々のもとに、帰ってきてくれた。
いま、彼女は、2020年9月よりジャパン・ミュージックエンターテインメントの所属を発表、正式な芸能界復帰をし、10月には個人ファンクラブ「さやしい人たち」を開設した。この場所には、鞘師のことが大好きなひとたちが集う、憩いの場になっている。
復帰後、さっそく彼女は舞台の出演を決め、わたしは彼女の作品に触れることができた。
なんと表現していいかわからないが、マネージャーのマネティさんの言葉を借りるとするなら、「鞘師が鞘師である」ということだ。
わたしはやはり、彼女のパフォーマンスが大好きだ。
何かから開放された彼女は、ダンスが好きで、歌うことが好きな、可愛い女の子だった。
こうしてわたしは、鞘師里保の再開した旅路を、一緒に歩くことができるようになった。過去を追うだけの時間は、ようやく報われた。
こんな未来が待っていたなんて。
いままで異性しかファンになったことがない自分が唯一目を奪われたひと。
新しく咲いた花は、何色になるかはわからないけれど。
ただひとつだけ。
どうかいつまでも鞘師は鞘師でいてほしい。
きみが楽しそうに笑っていてくれれば、それだけで救われるひとたちが、たくさんいるから。
mitsu໒꒱