『世紀末覇王』第五楽章〜ミッキーロケット〜
浪人時代の思い出がふたつあります。
ひとつはダンガンロンパ3の舞台。
そしてもうひとつが第59回宝塚記念。
……そんなことしてるから第一志望落ちたんだぞお前。
大学見学に関西に行ったついでに、たまたま宝塚記念とぶつかったため阪神競馬場に立ち寄ったぼくは、その日「競馬」に対してこれまでに無いほどのドラマへの感動を見出すことになりました。
〜グランドオペラ『世紀末覇王』〜
時は遡って2000年。恐怖の大王が来ることなく迎えた世紀末、史上初にして唯一のグランドスラムを達成した馬が現れた!
※グランドスラム……中長距離の古馬GIを完全制覇(当時は春天、宝塚、秋天、ジャパンカップ、有馬記念)
その名は
「テイエムオペラオー」
年間無敗。今なおキタサンブラックが失敗したため越えられない壁の一角と名高い日本中央競馬界のレジェンドである。
当時はまだペーペーだった和田竜二を背中に、最強の二番手メイショウドトウと共にその他すべてを蹂躙し、多くの馬を絶望させた栗毛の覇王。
ちなみにぼくが、初めて口にした固有名詞が「テイエムオペラオー」だったという逸話がある。母談。ほんまかいな。
和田竜二はこの馬に跨って一躍GIジョッキーになったわけだが、オペラオーの引退後は中々GIを勝てず、実際は地方GIは何度か勝ってるけどこの後の展開をドラマチックにするために無かったことにされ、「いつかGIを勝ってまた会いに来る」とオペラオーに約束してからまもなく16年が経とうとしていた……
ミッキーロケット
父:キングカメハメハ
母:マネーキャントバイミーラヴ(母父:ピヴォタル)
生涯戦績24戦5勝
獲得賞金422,478,000円
それはまさに「晴天の霹靂」でした。2018年5月。和田竜二の中央GI制覇を見ることなく、テイエムオペラオーが死亡。生きている間に約束を果たせなかった和田竜は多分悲しみから回復できないまま宝塚記念を迎えました。
彼が乗るのはミッキーロケット。雑草扱いされて2勝もすれば元が取れたオペラオーと違って1億近い大金で落札された良血馬でした。しかし、この頃のGIはキタサンブラックだのサトノダイヤモンドだのサトノクラウンだのバケモノたちが二足歩行になれなかった他の馬たちを嘲笑うかのように荒らし回っており、ミッキーロケットは決して弱くは無いものの、掲示板がやっとという戦績でありました。
当日は不倶戴天キタサンブラックが消えた今、文句無しの現役最強馬となっていたサトノダイヤモンドが1番人気。
2番人気は後年に三冠馬たち相手にツインターボをかます和田竜二ともやがて縁深い関係になる菊花賞馬キセキ。
さらに香港の最強馬ワーザーも参戦する中、ミッキーロケットは7番人気でした。
前述の通り、和田竜二はオペラオー以降一度も中央でのGIに勝てず、私自身「GIで和田竜二の単勝なんか買ってはいけない」というイメージを持っていました。え?この頃まだ未成年なので馬券は買ってませんよ?本当ですよ?
最終直線に向かってきて、いつも通り豪腕追いをかます和田竜二。あーあー、どーせ沈むのにまたやってるよ竜二。観客の視線は中団から競りかけてくるサトノダイヤモンドに向いていました。
さあ、差し切れサトノダイヤモンド!
残り3馬身!2馬身!2馬身!3馬身!
……あれ?
残り200mを切った辺りで、観客たちも、そして私も、なんかとんでもないことになりつつあることに気付き始めました。
大外から差してくるワーザー。
しかし和田の手は止まらない。
ミッキーの脚も止まらない。
これがグランドオペラ『世紀末覇王』の続きだと言わんばかりに、鬼の形相で追い続ける和田竜二。
ぼくには阪神競馬場に和田竜二の叫びが響き渡ったように聞こえましたが、それは__
和田竜!!粘れ!!!
拳を握り締め、全力で彼の名を呼んだぼく自身の叫び声でした。勉強しろよ。
迫るワーザー。それでも和田は、ミッキーロケットは止まりませんでした。
ワーザーとの距離は残り3馬身、2馬身、1馬身、そして__ゴールを超えた瞬間、前にいたのはミッキーロケットでした。
……何が起きた?
今の和田竜二か?
センター試験よりも異様な雰囲気を纏った阪神競馬場のあの空気は今でも忘れられません。
ついにやった。
ゴーグルを外す漢、和田竜二の涙に、私は生涯で初めて、スポーツ観戦で涙を流しました。
その後の勝利者インタビューで
「オペラオーが背中を押してくれた」
と語った和田竜二。キングヘイローの時の福永と言い、背中押してもらうの好きだな。
これは後になって知ったのですが、奇妙な事にこの日はテイエムオペラオーがメイショウドトウに負けた宝塚記念と同じ日付で、ミッキーロケットはあの日のメイショウドトウと同じゲートに入っていたそうです。
「競馬にはドラマがある」とはよく言いますが、これだけで映画一本作れそうなこの宝塚記念は、中央競馬の歴史に深く刻まれた一戦だったのではないかと思います。