
最適化社会の終わりについて考える
オムロンの創業者である立石一真氏は、1970年にSINIC理論という理論の中で、情報化社会、そしてその先にある最適化社会の到来について予測していました。
SINIC理論というのは、次の3つの要素をベースにしており、技術、社会、科学の相互作用により未来は作られていくという考え方です。
・Seed-Innovation:革新の種
・Need-Impetus:刺激の必要性
・Cyclic Evolution:円環の発展
この中で西暦2033年を到達点として、社会の発展を11段階に区分しています。
2024年の今は最適化社会にあたり、2025年から自律社会、2033年の自然社会へと変遷していくと予測されています。
私の社会人である期間がほぼ最適化社会の期間であったため、リアルにその変遷を観測してきましたが、組織の中で生きるという生き方から、個人の生き方が尊重されて、ライフスタイルも変わっていくまさに「自律」に向かって社会が変わっていく様子を目の前でみてきました。日本でもジョブ型組織やティール組織というキーワードが流行り、官僚的なコントロール、統治から、個人に自律を前提とする能力•結果主義にゆるやかに変化してきたように思います。スキルは細分化されて、専門性の幅や深さが爆発的に増加した時代のようにも感じます。
そんな中でも私の長年の疑問は、最適化社会がなぜ終わるのかということでした。
あるモデルのパフォーマンスが最大になるように構成要素がギリギリまでチューニングされる、それはなくなりようがないのではないかという疑問です。
自律へのシフトはわかる。だがなぜ最適化は終わるのかと。
生まれた瞬間から陳腐化するモデル
そんな最適化にまつわる疑問が最近ようやく整理できてきました。
最近急激に進化しているLLMなどのAI技術の中でZero shot learningというエポックメイキングな技術があります。詳しくは調べてもらえたらと思いますが、学習していないクラスでも推論することができる、簡単に言うとそれを可能にしてくれる技術です。もちろん完璧ではないのですが、プロンプトチューニングと呼ばれる性能を向上させる仕組みで識別率を上げることができるのです。
あんまり、AIのことを言ってると専門家の人に突っ込まれそうなので、やめときますが、この学習してないものを識別できる仕組みが破壊的にAIを進展させたように思えます。
現在はまさに哲学者ジョン•サールの言う弱いAIから現在まだ存在していない強いAIへの変遷を遂げている渦中なのだと感じます。しかも最新のAI自身が再起的に使われながら急速に発展している。
このように考えると、最適化社会がなぜ終焉していくのかが理解できます。
つまり、基底となるモデルが常に塗り変わっているため、あるモデルに最適化している最中に、新しいより優れたモデルが現れて、最適化を完了させないのです。この爆発的に発展し続けている技術は、あらゆる産業で利用されており、仕事のやり方を変えています。良いやり方が常に発明されてはアップデートされ続けているのです。
もう一つ重要な要素として、シェアがあります。
SNSやシェアのプラットフォームにより、私たちは良いアイデアが発明されると、すぐにリーチすることができます。なので、良いアイデアを低コストで模倣することが可能になるのです。
スタートアップが徐々に拡大していることも関係していると思います。何かを革新•アップデートすることそのものが、スタートアップの使命ですので、必然10→100にするというより、0→1にしたり、1→10にしたりという動きが多くなりその多くは不確実な環境の中での思考錯誤であり、最適化ではありません。
社会が最適化社会から自律社会になるとは、社会の最適化対象であったモノリシックな概念、システムの価値観が多様化することで、マイクロシステムのように細かい概念や価値観に分かれて進化•運営されていくということではないでしょうか。
ということで、気になっていた最適化社会ではなぜなくなるのか、自律社会とは何かということが自分なりに整理できたので良かったです。
ではまた。