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たった一つの子育て方針
(少しネタバレを含みます)
30代の後半、大手企業で働きながらも、とにかくまずい、楽しくない、このままではいけないというような焦燥感を毎日感じて過ごしてました。ほぼ毎日です。(なんと不毛な時間)
少しずつ大きくなってきて、話もできるようになってくる息子に、何かを諭してあげる話もするようになってきた時期とオーバーラップします。
私は息子に「毎日を磨き良い日にする」という意味の名をつけて、そうあって欲しいと願い、コミュニケーションをとっていましたが、前述のように毎日を不満足に、決して「今が楽しく、最善で最良である」と心の底から言えない暮らしをしていました。そこに背徳感があり、子どもを偉そうに諭しながら、自分は言行一致の態度になれてない後ろめたさがありました。
ちょうどその時、伊坂幸太郎さんの「チルドレン」という小説を読みました。
詳細は述べませんが、この本にでてくる陣内という男を中心に起こる伊坂小説にはお馴染みのプロットが一つになる過程ででてきた、「かっこいい大人がいれば、子どもはグレないんだよ。」というセリフに心がズキュンと撃ち抜かれました。
ああ、そうだ。
教育って言葉じゃない。
教育って自分の生き様であり、毎日がご機嫌で満足している自分を見せ続けることなんやと肝に命じ生きるようになりました。
その後、転職して働きはじめた私には焦燥感はいつのまにかなくなっていて、かっこいい大人としての態度(少なくとも今に卑屈になってない態度、言動と行動の不一致に悩むことのない態度、毎日を積極的に生きる態度)を貫きはじめることはできてるように思います。
転職した仕事がよかったというより、仕事も人生の一部にすぎず、仕事で思うようにいかなければまた探せばいいという覚悟が持てたからです。
以来私の子育て方針は
「かっこいい大人がいれば、子どもはグレないんだよ」
をベースに考えるようにしてます。
かっこいい大人に多く出会うこと、親である自分がそうあるために努力する姿をみせること、細かくいうといろいろあるのですが、大事なことはこの言葉に含まれている気がしてます。