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亡くなった祖父が教えてくれた、大切なこと。死ぬということは
気づけばもう9月ですね。早い!
夏好きな私は、今からちょっと切ないです……。
日差しはまだまだ鮮烈で熱いのに、
もう風は冷たくなって少しずつ秋の気配。
夏が終わってしまう……さ、さみしい。
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先日、夫とおしゃべりしていて思い出したことがあり、そのことを書きたくて久しぶりの投稿です。
もう10年以上前、私のおじいちゃんが亡くなった時のこと。いま思えば、私、すごく大切なことを教えてもらったなって。
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アイオナ島(スコットランド)、また行きたいな
私は生まれた頃から祖父・祖母・父・母・兄・姉と7人暮しでした。
祖父は私たち兄妹をとても可愛がってくれて、私も祖父が大好き。
学校から帰って、居間でゴロゴロしながら祖父とTV(主に水戸黄門・笑)を見る日課は、私が大学進学で上京するまで続きました。
就職を機にまた実家へ戻った時には、祖父は長い入院生活に入っており、一緒に暮らすことはできませんでした。
昔の人にしては背が高く、若い頃に鳶職や農作業をこなした立派な体格だった祖父。
が、入院でほぼ寝たきりの生活になり……。
初めて布団をまくって足を見せてくれた時、
その細さに愕然としたのを覚えています。
人間の身体って、使うことがなければこんなに衰えてしまうのか、と。
それから、私はできる限りたくさんお見舞いに行くようにしていました。
特に何をするでもないけれど、祖父と私の間には、居間で2人でのんびり過ごしていたような、いつもの雰囲気がありました。
てきとうにゴロゴロして、なんとなくお互い一緒に過ごすだけの、リラックスした家族の時間。
祖父がニコニコして小銭を渡しながら「自販機で飲み物を買ってきてくれ」と言う時なんて、まるで子供の頃に近所へお使いに出された時みたいで、懐かしかったです。
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「巨人の帽子」と言われていた岩石
しかし、入院生活も後半になる頃、少しずつ祖父の発言に被害妄想が出始めました。
大部屋の向かいのベッドのおじさんを指して
「アイツは○○党員で、オマエを勧誘しようと狙っている」とか(戦中派の妄想だ……! とビビりました)。
「動けなくなった自分を笑っている奴らがいる。
這いつくばってでも見返してやる」とか。
それから状態が少しずつ悪くなり、とうとう食事をとることも難しくなってきたある日、お医者さんに胃瘻(いろう)の提案がありました。
胃瘻は、胃に小さな穴をあけてお腹に管を取り付け、直接栄養を摂取する方法です。
ただ正直なところ、その為の手術をしたからといって、祖父の寿命がそう延びるわけではないということ。
他に炎症などのリスクもあることから、決断は本人やご家族にお任せします、という状況に。
私たち家族はてっきり「祖父はその選択をしないだろう」という気持ちでいました。
体調も精神状態も良くないなか、今から新しいことに取り組むのは苦しいのじゃないかと。
しかし、祖父の気持ちは違いました。
「私はここを出て、もう一度
自由に飛び回りたいんだ」
そう言って、胃瘻の手術を希望したんです。
横たわったままの祖父の、その口調の力強さ、願いの強さに驚かされました。
ですが、結局手術の日取りを決めることもなく……。
それから間もなく祖父は亡くなりました。
危篤の知らせを受け、自分の運転する車で病院へ向かっていると、ふっと身体が軽くなった感触がありました。
不思議なことにその時、静かな確信があったんです。
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ああ、おじいちゃん、願いを叶えたんだな。
「私はここを出て、もう一度
自由に飛び回りたいんだ」
その願いを叶えるために、もう今の肉体では
難しいから、去ることに決めたんだな、と。
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『良かったね』
その気持ちだけで、涙がこみ上げました。
もう会えない、声も聞けない、とてもさみしい。
だけど本当に、本当に、良かったね。
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私たちの肉体は古びていって、どうしても動かせる期間に限りがあって。
自分の想いを叶えることが難しくなる瞬間がやってきて。
だから『死ぬ』とはある意味で、本人の想い、願い……それらが叶う瞬間でもあるんじゃないか。
遺る人間としての悲しみはもちろんあるけれど、
何よりも「良かったね」、そう声を掛けてあげたいような。
大切なことを教わっていたこと、思い出せて本当に良かった。
改めて、おじいちゃん、本当にありがとう。
こうして文章にできたことも、嬉しいな♡
今、すごくこの曲の気分です。
亡くなった方へ、愛と賛辞を捧げる歌。
宇多田ヒカル、同時代に生きてくれていて本当にありがとう……!