母子共依存 私の場合 その2「依存?毒親?」
※少し長くなり、まとまりのない書き方になってしまいました。それでも読んでいただけるなら、本当にありがたいです。
こんばんは、自分見つめ隊です。
前回は、実家での居心地が悪くて悩み始めたという内容でした。
家での「無感情」スイッチに慣れ始めていた頃、たまたま親友と久しぶりに再会することになりました。
彼女は心理学を専攻していたため、近況報告や他愛のない話が続いてしばらく経ってから、私の実家での気の重さについて打ち明けてみました。
「あなたに依存してるのかも」
え?親が子に依存?私の親が私に依存してる?
一瞬意外なことに感じましたが、改めて振り返ってみるとなんとなく、感覚的に、納得がいく気もしました。
親の生きがいが「私」になりすぎている?親が親自身の人生を私に頼りすぎている??みたいな???
そして、2人で親子の依存や思春期について自身の経験などを共感しあい、その日は別れました。
私は中高時代に思春期を経験していません。わかりやすい親への反抗などもってのほかだと思っていました。
社会人になってから、実家での居づらさを感じ始めるとともに、親に対して腹が立つことも増えていたため、今頃思春期来ちゃった?なんて冗談レベルで思っていたのですが、どうも冗談では済まないことのようです。
「いい子を演じていると後々悪い影響がある」という話は学生の頃から何となく知っていましたが、正直他人事でした。
「演じる」という感覚はなく、親の言うことに素直に従うことが自分にとって当たり前だったのです。
しかし、様々な人と出会い、経験を積んでいくうちに、親の言うことに疑問を感じたり、親の矛盾に腹が立つことが増えていきました。
親だって人間だから完ぺきではないことは分かっていても、つい腹が立ってしまうのです。
「私は今まで真面目にそれを守ってきたのに、なんでそれを教えた親自らできてないの?!」
と思っても、それを直接親にぶつける勇気はありませんでした。
もしぶつけたらどんな反応をされるかわからなくて怖いから。
結局自分がどこかで間違ってて怒られるんじゃないかと思うから。
親の顔色を悪くさせることは、私の中では最も避けたいことだったのです。
結局、怒りは日記に全てぶつけて、書きながらなんとか冷静を取り戻すことで心を保っていました。
親友の一言のおかげで、私はその後ネットで親子間の依存や、成人してからの思春期的な状態について調べ始めました。
具体的な体験談や知恵袋での悩み相談を見て、私が親に対して悩んでいることよりもっと大変な状況の人がたくさんいて、私の悩みなんて全然軽いものなのかと思う反面、やっぱり同じような悩みを抱えている人もいるのかと少し安堵しました。
そして「毒親」というキーワードに出会いました。
どんな親が毒親なのか、はっきりとした定義にはまだ出会えていないのですが、子どもに対する身体的暴力や暴言だけにとどまらず、一見しつけのように思えるものも、間違えれば毒親のする行動に当てはまるようです。
私が今のところ一番しっくり来ているのは、メンタリストDaiGoさんの「ネガティブな感情で子どもをコントロールする」といった説明でした。
恐怖、脅しといった感情。
「死ね」「気持ち悪い」などの、ある意味わかりやすい暴言は言われたことはないけれど、「声の調子」や「言葉選び」によって恐怖や脅しを感じるという意味では、私にも当てはまるなと思いました。
また、毒親には「悪気がない」という特徴もあるようです。
親自身が自覚なく、子どもに悪影響を与えているということ。
例えば、「あなたのためを思って」の言葉や行動。
もちろん、家庭ごとに事情は様々なので、毒親かどうかの判断は簡単ではないと思います。
ただ、セクハラが「された側がそう思ったら成立する」とよく言われているように、子ども側が恐怖を感じていたら毒親ではないとは言い切れない気がします。あくまで私の考えですが・・・
そこで仮に子どもが「恐怖を感じている」と親に何らかの方法で伝えられたら、状況が好転することもありそう、とも思います。
私の場合は、それができませんでした。
私が親にそういうことを言わせることをしてしまったと思っていたから。
恐怖は感じていたけれど、そういうことを言われて当たり前だと思っていたから。
わかりやすく親に反抗していたら、いろいろ変わっていたかもしれないなと思います。
しばらく就寝前の毒親リサーチが続いていたある晩、私はある決意をします。
「カウンセリングを受けよう」
次回は、実際にカウンセリングを受け、それによって私の中で起こった親子関係の捉え方の変化について書いていきます。
それでは、今夜はこの辺で。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。