私のセクシュアリティーの変遷。

と言ってもKOREDA!!みたいな確信がその都度あったわけではなく、ずっとどうやら「普通」ではなさそうな自分のセクシュアリティが気になっていて、時には片手間に、時にはのめり込んで色んなネット上の情報を集めるなか、何となく近いかも、、、って思った界隈を漂ってきた次第であります。

まず第一に。私がセクシュアリティという言葉を知り、その長い長い自分探しの旅路の一歩を踏み出すきっかけになったのは、人様の彼氏に手を出そうとしているときのことでした。

語弊がありますね。手を出そうとしてたわけではなく、いつの間にか手が出ていた、とでもいえばいいのでしょうか。怖いのが、友人から「ほんとにやめな」とガチのお叱りをうけるまで、正直悪いことをしている自覚は無かったんです。

でもそんな感じでひと悶着ありまして、私はやっと、あ、私の恋愛観って「普通」ではないのかもしれない、と思い至り、じゃあ一体何なんだ、と各種LGBTQ関連サイトをしらみつぶしに見て回る日が一週間ほど続きました。

まず私が初めにであったのは「リスセクシュアル」
自身は性的欲求があり他者に対して性的な感情を抱くこともあるが、他の人から性的な感情を持たれたくないセクシュアリティのことです。

まあ思い当たる節はいくつかありますが、今思うとこれは私の鬱っぽさも影響してた気がします。自分で自分が愛せない状態だったので、人から向けられる好意が全般得体のしれないものに見えていました。それが性的欲求にもなるとそれこそ身体目当てでしかないだろうと思う他ありませんでした。

だからそもそもそういうことに対する嫌悪感が強くて、「アセクシュアル」、他者に対して性的欲求を抱くことが少ない、またはまったく抱くことがないセクシャリティというものにも少なからず納得している自分がいました。

そして同時期に、というかその人の彼氏を取ろうとしたひと悶着で気づかされたのが私の「デミロマンティック」っぽい性質です。強い感情的な絆や、信頼関係が築かれている関係の人に対してのみ、稀に恋愛感情を抱くセクシュアリティのことなのですが、小学生の時以来一切恋愛をしてこなかった理由はこれか!とかなり納得した覚えがあります。

また、いい子ぶってるだけかもしれませんが、私普通なら人の彼氏に手を出すとかしないんですよ。でも自覚は無くてもしちゃってて、それは何でかな、って考えたときに、私はその人に恋愛感情を抱いてたんだってことにすると合点がいったんですね。正直恋愛感情とかは分かってなかったけど、この執着がそれなのかもって思うと、すべてに説明がつく気がしたんです。

まあそういうわけで、自分のセクシュアリティってこんなにも色んな名前をつけられるんだなって興奮を、私は勢いで同性の友人にしゃべり散らかしちゃったんですよ。今思うと結構ハードル高いことをしてるなって思うんですけど。まあでもいい友人なので、思いのほかセクシュアリティについての話が盛り上がって友人の価値観とか嗜好とかも色々聞けた訳ですよ。

そしたらですね、その友人との比較でまた新たな自分のセクシュアリティが顕わになってきたんですよ。それが「レズビアン」です。細かい説明は省かせて頂きますが、え、男の身体って興奮するもんなの?!触れるなら女性の体一択じゃないの?!っていうカルチャーショック(?)を受けました。

ただですね、この辺から自分の中で色々矛盾してくるようになったんですよ。あれ、女性の体も対象にしていいなら私アセクシュアルではないよな?なんならデミロマンティックでもないかも、、、。あれ、でもレズビアンというと、人の彼氏を奪いそうになってたあれはなんだったんだ?ってな具合ですね。カオスもカオス。その後も「パンロマンティック」性別を問わず誰かを好きになる恋愛感情を持つセクシュアリティ、「グレーロマンティック」恋愛・性愛感情をほとんど抱かない(ごくまれに抱く)性質。などなど、色々調べましたがどれもなんか少し違う。

そんな時に私の前に現れた救世主が「クエスチョニング」です。自身の性自認(自分の抱く性)・性指向(好きになる性)が決まっていないセクシュアリティのことですね。

自分のセクシュアリティに名前が付けれることを知って、でも調べれば調べるほどいろんな言葉が出てくるから、その中でなんとかぴったり当てはまる言葉を、、、!と半分躍起になっていた自分の前に現れた、すべてを包括する圧倒的な概念。クエスチョニング。

このおかげで私のカオス続きだったセクシュアリティ探求の旅もひとまず休憩ということになりました。

そして半年~一年ほどたった今。ひょんなことから私は少なくとも今の自分を完璧に表現する言葉に出会ったのです。「クワセクシュアル」。自分が他者にいだく好意が恋愛感情か否か、また自分が他者に感じる魅力が性的魅力か否か判断できない/しないセクシュアリティだそうです。

できない/しない、とありますが私はこの、しない、に当てはまりそうな気がします。どんな人であれ好きな人は好き、っていうのが一番単純で、でも実は一番私の気持ちを上手く表した言葉だったんです。

そこに性愛はあってもいいし、なくてもいいし。でもあなたへの好きを性愛だけだと思ってほしくない。とはいえプラトニックな関係に固執したいわけじゃない。好きだから触れたいし、好きだから触れなくてもいい。あなたへの好きを恋愛感情だとすると、私がこれまでに感じてた友情はそれより劣っていたということ?恋愛感情じゃないのなら、恋愛感情で成り立ってる人々に遠慮しながら生きていかなきゃいけないの?

そういうことじゃないはずだよな、とは心のどこかで思いながら、肯定できないでいた私の一部が「クワセクシュアル」という言葉で掬い挙げられた気がする。

好きなもんは好き。でもその好きが友情か恋愛か性愛かなんて知らなくていいし、区別をつけられるものでもない、というのが私の感覚。そしてそれを現状一番簡潔に表してくれるのが「クワセクシュアル」という私の新しいラベル。

友人でも、恋人でも、どんな関係であっても別にいい。
ただ願わくばその人の人生に、
少しでも長く、
何らかの形で関わっていたい。

やっと、自分の好きの形が分かった気がします。
長かったなあ(笑)

まあまた変わる可能性はいつだって秘めているのですが。それがセクシュアリティってものなのでね。とりあえずにしか過ぎないですけど、まとめられてなんか達成感。

凄くプライベートなこの話をnoteに書いて公開しても良いものか、公開することに意味はあるのか、なんて思いましたけど。もしいつかの私と同じように、自分探しの旅の途中で露頭に迷われてる方いたのなら、このnoteが道しるべ、、、になることを期待するのはちょっとやり過ぎですが、どこからか聞こえてくる応援歌くらいにはならないかな、とか思って投稿します。

皆までいうのカッコ悪いですね。ですが今に始まったことではないので大丈夫です。無敵の人です。

それでは以上!
おやすみなさい。


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