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Danke, Jürgen. Tschüss.

リヴァプールを観る喜びを定義したボス、ユルゲン・クロップ

ブレンダン・ロジャース政権末期の閉そく感、新時代だと信じた彼が2015年の春先から萎んでいく様は、キング・ケニーに恥をかかせるような悪夢の11/12シーズンとも違う苦しみをもたらしたと今でも思い出します。

スアレスが去っても、代わりに多くがやってきたこのスカッドならより高い場所へ向かえるんじゃないかという期待がCLを始めとした無様な戦いで散る。

ジェラードがシーズンをもってリバプールを離れることを公表してからは、Make us dreamを掲げ、チームの士気もアゲアゲ。ヘンドの腕章も様になってくる。

こんなにもリヴァプールに尽くして尽くし尽くした彼に最高のエンディングを飾らせようという夢が近づいてきたと思えば、アンフィールドでの大一番でマタの華麗なバイシクルシュートが夢を砕く。ミニョレは見送るだけ。CL圏の望みが断たれる。

最後の望み、FAカップ優勝を意気込み臨んだウェンブリーでの準決勝は、ジャック・グリーリッシュとかいうデビューほやほやの小僧にメッタメタにされ、これから歩む輝かしいキャリアの序章になるであろう活躍を披露されて逆転負け。

ジェラードという心の拠り所は去り、未来だったはずのスターリングはファンとの関係悪化を経ながらリバプールに三行半を突き付け夏にシティへ移籍。

コウチーニョのカットインからのシュートに願いを込め、スタリッジの一刻も早い復帰を願い、あとはヘンダーソンのハッスルくらいしか見どころのないチームに何ができるのか。

BIG4も今は昔、シティがいよいよイングランドを超えヨーロッパ制覇を現実的な目標に定めだす傍ら、本格的に立場が失われ、蓋をされた気分になる。

そんな閉そく感の中でやってきたのがユルゲン・クロップ。

いまでも、あのメッセージをどこで聞いたか、鮮明に覚えています。

「リバプールファンへのメッセージだ。疑う者から信じる者へ、今、変わらなくてはいけない。」

2015.10.8、LFCTVの初インタビューにて

その後、彼の率いたチームが何を成したかはご存知のとおりで、それはもうとにかく夢のような時間でした。熱狂に次ぐ熱狂。乱高下しながら決勝をいくつも戦い、CL出場権を手にし、優勝を争い、優勝する。

あのリバプールが、こんなにも強くなるだなんて、夢を生きていると常々思っていましたし、それがこんなに続くだなんて。

実際に成されたことを振り返れば、想像すら上回りましたが、未だに夢を見ているような気がします。

タイトル獲得数が、とかそういう目に見える成功もうれしいですが、彼が指揮するリヴァプールは、自分が傷つかないために予防線を張り、自虐的でいることを不要としてくれました。

斜に構えて、まぁこんなもんだよねと、ハイハイ知ってましたよどうせこうなるってと、分かってたことだから落ち込む必要がないと言い聞かせることが、大体乗り越えてしまうので、無意味になりました。

別に見どころを見出さずとも、向かう先どんな相手でもそこそこやれるはずという信頼があり、そもそもリヴァプールを観てさえいれば楽しい。

そんな時間を当たり前にもう何年も過ごしてしまったのです。

今シーズンの終わりが近づくにつれて感じるのは、一時代が終わる何かというよりも、学生のころ、昼から遊び倒して暗くなり、いよいよ友達と別れ家路につく夕暮れのようなあの感覚を思い出します。

未来を思う

数シーズン前から、クロップには戦術がないから退くべきだという論調は散見され、少なくないファンが感じていたことだと思います。

アトレティコに負けを重ねたり、危うくビジャレアルに歴史的アップセットを食らいかけたり、理路整然とビルドアップをしてチャンスを作るきれいで綿密なプレーをするライバルたちや対戦相手に力負けするたびに、個人の閃きを3コンボしてゴールになるかどうかも怪しいチャンスメイクを繰り返すリヴァプール、そこへのいら立ち。

負けが込めば、負けた理由探し。無能の連呼。

私がここ数季、自分がリヴァプールを観続ける中で一番堪えがたかったのは、よそのファンからとやかく言われることではなく、リヴァプールファンのコミュニティ内で、クロップでも誰でもいいですが、有能・無能や、要否を測るような話題が急速に増えたことだったと思います。

ひねくれた性格なので、そういった声が大きくなるほど、応援に力が入りました。

ここまで連れてきてくれた選手たちなら、導いてくれたボスなら、このまま終わるはずがない。

少々意地悪ですが、そういった色々、外だけでなく内側へかましてくれたことが今季はとにかく痛快でした。

過信、妄信かもしれませんが、クロップがリヴァプールの一員として発したあの言葉は、チームが勝利を追求していない、本気でないなどといった疑いは決して抱くな、このクラブに携わる人間をこのチームのファンが舐めるな、というメッセージなのだと思っています。

今後も、上手くいこうがいかまいが、その点だけは信じる者でいようと思います。
シュヴァーベンの賢人、ユルゲンがそう宣ったのですから。

この9年間はもうとにかく楽しかったとしかいえません。

次の監督は誰が来ようとも、その比較、成績よりも、ファンがシンパシーを感じられるかという点には苦労するでしょうが、いずれやってくるまだ名も知らぬ彼(間違いなくアルネ・スロット氏でしょうが)のことも同じく信じたいと思います。

これから、他のクラブの多くがそうであるように、リバプールも2〜3年の周期で監督や選手が入れ替わっては手を変え品を変えで頂を目指す、そういうクラブへと変わっていくのでしょう。

そこに悲しさを少し感じますが、勝つことを知ってしまった以上、勝ち続けたいのでこれには逆らえないでしょう。

Adidasに、成績と見合ってない、契約が割に合わないと言われた頃が懐かしくなるくらい、いまやリヴァプールは世界でも稼ぎまくっているフットボールクラブの一つです。それをやれるだけの体力も身に着けたのです。そのAdidasも、どの面下げてと感じますが、戻ってきますしね。

この9年で身についたのは、信じなきゃ始まらないし、そのほうが多分楽しいという、楽観的にチームを見ることで感じられるフットボールの楽しさです。

また、ひよことして社会に飛び込むと同時にやってきた彼が、自分の価値観へ与えた影響は計り知れません。

世の為人の為のフットボールという信念が滲み出ていた彼の言動がとにかく大好きでした。

彼からは、多感な駆け出しの青二歳には刺激的で意欲のわく言葉の数々が放たれ、何よりも模範としたい大人のひとつの姿を見せてくれたのです。

最終節、どんな気持ちで見守るかといえば、それはジェラードが去る時の無常感ではなく、大きな歴史の区切りに立ち会えた光栄さ、リヴァプール、アンフィールドを再定義してみせた我らがボスを晴れやかな気持ちで見送ることができる、安堵に近いものがあります。

フットボールを見る熱狂を、真剣さを、安堵を、誇りをもたらしてくれて、ありがとう。彼の率いたリヴァプールと共に時間を過ごしたこと、いくつもの瞬間を目にしたこと、アンフィールドで彼のフィスト・パンプに乗ったことは生涯の勲章です。

ユルゲン・クロップとリヴァプールがまた交わる日がありますように。

<了>

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