翠月瞳の考察【創作と生活】
今回の企画の目標、いくつかあるのだけれど
その内に「生活と創作の両立」があります。
ファシリテーターを務めてくれた佐々木明音さんも、
以前そんな話をしていました。
🍎明音さんが進行・まとめてくださった座談会のnote↓
演劇に関わる方は、皆一度は悩まれたのではないでしょうか。演劇だけでなくとも、「仕事と恋愛の両立」とか「結婚生活と育児の両立」とか「学校と放課後の両立」とか。
原作者である尾崎翠さんもきっと、形は違えど同じことに悩まれたと思います。
私も今、東京と実家との二重生活をしていて
どちらも楽しくて幸福なことばかりなのだけれど
そのスイッチの切り替えや、幸福にばかり身を委ねるあまり「創作」に時には必要な身を削るほどの集中との切り替えが難しいなと感じています。
【青色とも藍色とも違う色の孤独。】
(「アップルパイの午後」上演台本より。)
どんな作り手も、悩む壁に真っ向から向き合えることすら、幸福な証拠なのに。
うーん、難しい。
創作が生活に飲み込まれたり、生活が創作に飲み込まれたり、どの時代も作り手は悩むことだと思う。
私は決して、生活が揺らがされているわけではありません。
稽古場の雰囲気も仲間の優しさもあって、
健康的な創作活動をしていると思います。
それでも、悩むんです。
こうして悩んでみると、もう、とめどない!( 笑 )
自分の弱点と真っ向勝負をしているみたいです。
今ふとこのnoteを読んでくださっている方の中にも、
生み出すことを前にたじろいだり、揺らいだり、
街の明かりに遠さを覚え、悲しみを感じたりしている方がおられるのではないでしょうか。
慣れない東京の街。
沢山の刺激と憧れ。
肩がぶつかって冷たく去る人たちとその肩を優しく抱えてくれる優しい人たち。
缶詰ホテルと灯りのついた家。
きっと尾崎翠さんもと思うのは烏滸がましいでしょうか。
ビル群に囲まれながらこんな日記まがいの文章を書く私のことを、遠くから見ておられる気がしてきます。
【本当は、自分のことよりもずっと誰かのことを考えていたい】(「アップルパイの午後」上演台本より)
今回加筆した部分の台詞です。
「作る」ということ。
ひいては「生きる」ということ。
誰かのことを大切に考えながらも、自分にしっかり向き合うこと。
新しくものを書きながらも、買ったばかりの新刊を読むこと。
稽古でへとへとになりながらも、洗い物を済ませること。
仕事で嫌なことがあっても、お家に帰って笑い話にすること。
学校で一日勉強に疲れても、帰り道に友達とクレープを食べること。
必要なのは、考える「余裕」です。
あ、工事現場のおっちゃんが汗を拭きながら重い腰を上げた。遅くまで、お疲れさまです。
こんなふうに本当は自分のことよりもずっと誰かのことを考えていたい。
そんな思いやり一つで、世界は平和に近づくのになぁ。
こんなぼやきもうっちゃって。
東京での公演に向けて、「心悲しきとき」(尾崎翠『歩行』の一節)にひたすら向き合っています。
向き合い続けられるのは、
紛れもなく共に創作をしてくれている皆さまのおかげ。
恥ずかしながら未熟な私は、「余裕」なんて言っている暇もなくコーヒーをがぶ飲みしたりするのだけれど
稽古場のみんなは『瞳さん、やめてー!』と止めてくれます。
この場を借りて、いつも本当にありがとう。
今日はゆっくり休んでね。
どんな創作も、生活の上に成り立つもの。
私は今一度それを確かめることができました。
生活の中、明日からも台本をにらんで、困って、慰めて。
その暁をみんなと一緒に笑って「演劇」にしてみるのです。