プロフェッショナルの在り方と「美」。美容業から学んだこと。
美容室は「今よりもっと好きな自分と出会う場所」であり「新しい自分に出会う場所」である。
ぼくはそう思っているし、そうであって欲しいと思っている。
いっときではあるが、美容業界に身を置いた者として。
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美容業は、誰かの「特別な瞬間」に携わる職業だ。
成人式、七五三、結婚式。
夏祭りのヘアアレンジや浴衣の着付。
初デートの前に可愛くなりたい女の子。
我が子の入学式を前にしたお母さん。
そんな、誰かの特別な瞬間に触れて、人に笑顔を与えるのが「美容師」の仕事だ。
それと同時に、人の生活に溶け込む職業でもある。
仕事に育児に頑張る女性にとって、いつもの役割を脱ぎ捨てて「自分の為だけに贅沢な時間を過ごす場所」になる。
毎日仕事に勤しむ男性にとっては、同僚とも友達とも違うだれかと取り留めのない会話を楽しむ「サードプレイス」に。
ときには、嫌なことがあった誰かの「迷いや悲しみを断ち切るための場所」になることも。
美容師が「教師」や「医師」と同じ、国家資格を要する「士業」のひとつに数えられているのは、「人が文化的な生活を送るためには欠かせない大切な職業」であるからだ、とぼくは思っている。
(もちろん、「薬品を取り扱うから」「感染症予防などの知識が必要だから」などの法律的側面があることは理解している)
ところで、美容師は髪の毛をカットし、パーマやカラーを施す「髪の毛のプロ」であるはずなのだが、その名前は「美髪師」でも「整髪師」でもなく「美容師」だ。
つまり、美容師とは「美」のプロであり、「美容」のプロであるということだ。というより、そうであって欲しいと思う。
「美容師」は『美しい容(かたち)の先生であり、それを創り上げる技術者』なのだ。
「美容」という言葉を「美」と「容」に分けて考えてみよう。
「美」とは、人の外見・容姿のみを表す言葉ではない。「美」は人類がもともと持ち合わせている根源的な感覚であり、厳密に定義するのは難しい。内在的で包括的な概念だ。
季節の移ろい、広大な空の青さ、生命の神秘......。
感性光る芸術や音楽、文化や伝統を今に伝える職人芸、細部まで考え抜かれたプロダクト......。
あるいは、知性溢れた人の立ち振る舞い、泥臭く努力する誰かの姿、まだ何者にも染まっていない無垢な子供たち......。
人は、あらゆる物の中からそれぞれの「美」を見出す。
(ただし、「美」に魅入られすぎると、側から見たらもはや「醜い姿」になってしまうことすらある。
それはつまり「美」から「ある一面」だけを切り抜いてしまった結果である。「美」はそれだけ強いものであり、このようなこともなり得ることを忘れてはならない。)
「容(かたち)」とは「容れ物」。つまりは器だ。
人の寛容さを表すのに「器が大きい」「器が小さい」と言われることもあるように、器は人の内面を表す。
それと同時に、器とは何かを中に入れるためのものだ。
であれば、「美容師」とは、「美」を入れるための「器」を提供し、そのお手本となる「師」であるはずだ。それが本来、美容師に求められる姿であろう。
もちろん、「美」という壮大なテーマで師になるなんて、容易なことではない。しかしそれを、仕事を通じた人生の目標と掲げ、追求しようとする姿はまさに「美しい」ものではないだろうか。
また、「髪の毛を扱い、人を綺麗にする」という基本的な職務はまさに、人に「美の器」を提供するのに適したものだ。
容姿は人の美しさを決めるものではないが、容姿の変化が人の感情を動かし、内面にまでプラスの影響を与える力を持つのは言うまでもない。
であるからには、求められるのはプロとしての魂や情熱。つまりは、ただ注文された通りに施術するのでなく、お客さまの思いや理想を汲み取り、プロならではの提案をして、より高いレベルでお客さまの理想を実現することであろう。
あるいは、お客さまに感動を与えるにはどうするのが最善なのか、一人ひとりのお客様と向き合ってど真剣に考え続けることであろう。
時には、たとえお客さまが満足していても「もっと良い施術ができたはずだ、もっと感動させてあげられたはずだ」と悔やみ、次回に向けて夜な夜な反省することもあるはずだ。
美容師とは人々の生活に溶け込んで、お客さんに笑顔や自信を与え、美しい人たちを増やすお仕事だ。
ときに誰かの人生の節目に触れ、かけがえのない思い出を作る手助けをする。単に、髪を扱うだけの仕事ではないのだ。
美容師は、普通の技術職とも接客業とも異なる。
髪の毛というのは千差万別。そのうえ、科学的に解明されていないことが多い。そんな中で、カット・カラー・パーマ・ヘアケア等あらゆる専門知識・スキルを身につける事が求められる。
それでいて、極めて高い接客レベルまで求められる。パーマやカラーをすれば1時間以上もの長い間、美容師はお客様と同じ時間を過ごす。しかも、お客さまの肌や髪の毛に直接触れる職業だ。こんなにお客様との距離が近い職業は他にどれだけあるのだろう?
気を遣うし大変な職業であるのだが、それだけお客様に寄り添うチャンスがあるとも言える。
技術だけではなく、会話や接客を通したコミュニケーションでもお客様の心や生活に触れ、アプローチできる職業なのだ。
ぼく自身は美容業界から離れてはしまったが、この業界に身を置けたことは今でも誇りに思っている。また、この世界で学んだことはこれからどんな仕事をしても生きるものだと確信している。
また違った形で、「美」に触れ、「美」を伝えていきたいと思う。
(追記)なぜ辞めたのか、その一端はこちらの記事で書きました。
日本では現在、美容室の数は飽和している。店舗数はコンビニやポストの数よりもはるかに多い。当然、美容師の技術・知識も考え方も、千差万別だ。
今となっては業界の外にいるぼくが言うのは勝手なものだが、ぼくは美容業界に「自分の仕事に誇りを持った、美のプロフェッショナル」または「そんなプロフェッショナルを目指す人たち」が増えて欲しいと願っている。
そしてまた、美容室という場所が多くの人たちにとって
「今よりもっと好きな自分と出会う場所」
「月に一度、新しい自分と出会う場所」
「肩の荷を降ろし、気軽にくつろげるサードプレイス」
となって欲しい。そう願っている。
この記事では、美容室FEERIE代表であり、ぼくが最も尊敬する美容師・新井唯夫さんのヘアショーを見に行った際に撮影した写真を使わせて頂きました。最後に、新井唯夫さんがショーの中で残した言葉を一つ紹介して結びにします。
"技術や感性を身につけることも
人や心を感じることも
容(かたち)を想像することも
本質は同じ
全ては核となるところの 心の中心を磨き
負けないで実行することである"
― 2021.1.13. 充紀