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「大人になる」って何だろう? 幸せになるにはオトナになる必要があるの?

僕は昔から「大人になれよ」とか「 あいつは大人だなあ」などの言葉が嫌いでした。何となく、自分に「大人になれていない」という意識があったからに、違いありません。

でも、いま一度考えてみると、もし誰かに「大人になれよ」って言われたとしても、今ならさほど嫌な気分にはならないような気がしています。

そう思うのは何でなんだろう?

いま一度考えてみたいと思います。そしてこの記事を通して

「おとなとは何なのか?」
「おとなになることは幸せに生きるために必要なのか?」

考えていきたいと思います。

大人 = 「?」

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とりあえず、まずは辞書を引いてみます。手元にある『大辞林』をめくってみると、次のように書いてありました。

① 十分に成長して、一人前になった人。成人。(⇄こども)
② 考え方や態度が一人前であること。青少年が老成していること。
③ 元服をすませた人。成人。
ー 三省堂 大辞林 第三版

つまり、この文脈で言う「大人」とは、②の「考え方や態度が一人前である」ことだと言えそうです。

では、「一人前の考え方」「一人前の態度」とは何なのでしょうか? 「一人前」も大辞林で調べてみましょう。(文脈に関係ない部分は省いて引用します)

②(イ) 所属する社会で、正規の構成員と認められること。
③ 技芸などがその道の人間として通用するほどになっていること。
ー 三省堂 大辞林 第三版(一部抜粋)

なるほど、まずは「所属している社会で、正規の構成員と認められること」これはなかなか面白いですね。

つまり、一人前かどうかは自分ではなく他人の評価によって決められるものだと言うことになります。

また、③の考え方も当てはめると、スキルや能力が十分にありさえすれば、他人の評価とは無関係に一人前になれると言うことも見えてきます。

つまり、辞書的な意味でいう「大人になる」とは、

(1) 自分が所属している環境の中で、周りの人達から立派な仲間だと認められる
(2) 自分が生きる道において、スキルや能力を十分に持っていて通用する

のどちらかを満たせば良い、と言うことになりますね!

環境に依存する「オトナ」の在り方

(1) で示される「大人」の在り方って、まさに僕が昔嫌っていた「大人になれよ」「大人な考えだね」の文脈で使われる「大人」の定義です。

ここからは、区別のために(1)を「オトナ」、(2)を「大人」、(1)と(2)の意味を合わせて「おとな」と書くことにします。

この定義によると、自分が「オトナ」かどうか決めるのは他人であり、環境です。自分の身の周りにある社会が「オトナ」を規定するのです。

周りの人達が「自分たちの仲間として立派になった」と認めてくれたらオトナになれるのです。つまりは、この場合のオトナがどんな人物を指すかは、その人が身を置いている環境に左右されます

田舎町の質素な家庭で育つのか、教育熱心なエリート階級の家庭で育つのかでオトナが示す姿は大きく変わりそうです。家庭だけではなく、付き合う友人や、進学した学校、就職した会社によってもかなり違いがあるでしょう。

何にしても、今身を置いている環境の中で、周囲の人達から「立派な仲間になった」と認めてもらえたらオトナになれるのです。

環境に依存しない「大人」の在り方

しかし、「おとな」になる方法はもう一つありました。そう、

「自分が生きる道において、スキルや能力を十分に持っていて通用する」

人間になるという方法です。こちらの意味でいう「大人」なら、自分が生きる道において通用するだけのスキルや能力さえ身に付ければ、他人の評価に依存せず大人になれるようです。

確かに、実社会でも十分すぎる能力を身につければ、他人も認めざるを得なくなって干渉してこなくなる、ということが見られます。

やはり、辞書の定義というのは侮れません。確かにその通りだと感じますね!

では、「自分が生きる道」とは?

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前置きが長くなりましたが、ここからが本番です。
それでは、「自分が生きる道」って何を指しているのでしょうか?

これを紐解くことこそ、「大人」になるために必要なことなのだと思います。

僕は、この「自分が生きる道」という言葉が指す内容は、単に業界や職種、社会的地位などに限定すべきでないと思います。

「自分が生きる道」とは、「自分はこうありたい、自分はこう生きていくと自分で決めた、人生の在り方」である。そう主張したいです。

自分の人生は自分で決める。だからこそ…

つまりは、僕がいま考える大人とは、

「自分はこう生きていく」と自分で決めた人生の中で、それを実践するために必要なスキルや能力を身につけていて、社会の中で通用していること

だということです。いくら「自分はこう生きていく」と主張したところで、それを貫くのに必要なスキルや能力が足りなければ、大人にはなれません。社会の中で通用していなければ、大人ではありません。

つまり、

スキルや能力が必要なのです!!
それを使って、社会の中で通用しないといけないんです!!

逆に言えば、それさえできていれば自分の人生は自分で決められる、他人に依存しない大人になれるのです。

大人になるために必要な「スキルや能力」

スキルや能力、と言ったらやはり仕事で必要とされるものを想像してしまいます。業界によってそれは全く異なります。

例えばプログラミングのスキル、例えばライティング力、またあるところではコミュニケーション力や、マネジメント力などかも知れません。

企画力であったり、営業スキルであることもあるでしょう。技術職であれば、ヘアカットのスキルになったり、現場監督の能力になることもあるでしょう。作曲の能力やセンスなどになることもあると思います。

専業主婦の方なら、家事や育児の能力がそれにあたるでしょう。

もちろん、これらのようなスキル・能力も必須です。お金を稼いで最低限の生活すら確保できなくては、大人にはなれないでしょう。

でも、そのようなものだけが「自分で決めた人生を生きるために必要なスキル・能力」だとは思えません

というか、もっともっと重要なスキル・能力があると思うんです。

それは、例えば

・理想とする生き方・ライフスタイル・やりたいことを持っていること
・根本にあるブレない信念・自分の価値観を理解していること
・自分のことは自分で何とかしようとする意思、それができる責任能力を持っていること

などがそれにあたると思うのです!

つまりは、「自分のことを自分で理解していること」そして「自分の人生の責任を自分で取れること」ということです。

もっと端的に言えば「自己理解」と「責任能力」です。

大人になるために必要なのって、この2つのこと、それだけだと思うのです。

「おとな」になるとは?

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「おとな」になるためには、2つの方法があります。
「オトナ」になるか、「大人」になるかです。つまりは、

・自分が身をおく環境に順応し、社会の立派な一員となり、社会のみんなと共に生きる
・「自分の生きる道」を自分で定めて、それを貫くのに必要なスキル・能力を身につけ、社会の中で自分の責任を果たしていく

のどちらかです。これは、どちらが良いとか、どちらが正しいとかではありません

どちらも十分に成長していて、考え方や態度が一人前になった、立派な「おとな」なのです!!

「おとな」でさえあれば、幸せに生きることは可能

そして、「オトナ」の生き方と「大人」の生き方、どちらを選んでも幸せに生きることは可能です。両者に優劣は存在しないし、どちらを選ぶかと「幸せ・不幸せ」に直接の関係はないのです。

ただし、「オトナ」か「大人」か、そのどちらかではあること、つまり「おとな」であることは、幸せに生きるための必要条件だとは思います。

「環境に順応できない、だけど自分の力では社会で通用しない」これはどう考えても苦しいに決まっています。

(というか、昔の自分はまさにこれでした。)

「おとな」になることは、幸せに生きるために最低限クリアすべき条件なのです。

「オトナの生き方」と「大人の生き方」は単なる価値観の違い

「オトナ」の方から見たら、自分と価値観の合わない「大人」の方が「こども」に見えることがあるかも知れません。逆も然りです。

でも、それってもはや気にする必要なくないですか?

自分はいま幸せに生きている、相手も幸せに生きてるらしい。それなら、何も困ることはないはずです。

それなのにもし、どうしても誰かを「こども」だと批判したくなったり、自分は「おとな」じゃないって悩んだりするのなら、それは 自分自身が「オトナ」にも「大人」にもなれておらず、まだ「こども」だからなのかも知れません。

または、「オトナ」である自分が幸せでないからかも知れません。それか、「大人」であることが苦しいのかも知れません。

いずれにせよ、どれかに当てはまるのなら、自分にあった「おとな」の形を目指していく必要があるはずです。

自分のことを知り、自分に正直に生きる。

結局、自分のことを知ること、自分に正直に生きることが、幸せに生きるためのベースなんです。前の記事で書いた通りです。

僕は、残念ながら「オトナ」にはなれませんでした。努力してきたつもりですが、オトナにはなろうとしてもなれませんでした。常に違和感があり、楽しくなかったのです。

でも今、自分でも気づかないうちに「大人」にはなれてきたのかも知れません。だから今、誰かに「おとなになれよ」って言われたとしても、軽く受け流せると思うのでしょう。

結局、自分を知って、自分にあった生き方をしていれば、なんだかんだ楽しく生きることができると思うんです。

そりゃあどんな生き方をしてたって嫌なこともたくさんあります。でも、ベースさえ固まっていれば何とかやり過ごせるものです。

「幸せ」を支える両輪

まとめると、「幸せ」は

・「おとな」になること
・自分を知り、自分の気持ちに正直に生きること

この2つが両輪となって支えられていると思うのです。

「幸せ」の形って、本当に人それぞれです。

だから、まずは自分が求める幸せの形、価値観を知らないといけません。そして、それを作り上げ、守っていくために「おとな」になる必要があります。

オトナになるか、大人になるかに、優劣はありません。
自分に合っていて、違和感が少ない方を選べば正解です。

どちらにせよ、自分の生き方に納得し、満足することが大切なんです。そして、そんな人って、周りからみても魅力的でかっこいいものです

だから、言い換えれば誰かから「かっこいい」「魅力的」だと思われる人がおとななのかも知れませんね。

どんな生き方でも、どんな仕事をしていても、自分らしさを発揮している人って、何かしらの魅力を持ってるものですから。

僕もこれから、もっともっとかっこいい大人になっていきたいものです。

ー 2020.11.07 充紀

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