花を飾るということ。
先日久し振りに生花を買ってきました。ひと束買って少しずつ分け、家のあちこちに飾ってあります。
急ごしらえだったので花瓶が足りず、自室以外は空いていたお酒の瓶で代用しています。
それでも、生花があるだけでその場の空気がパッと変わる気がしますね。(今度の平安蚤の市で、何か素敵な花瓶見繕ってきたいです)
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僕は花を飾るとは「心にゆとりと豊かさを持とう」ということの表現だと思っています。
適度に葉を落とし、水を替え、萎れてきた花を摘みとり....
少し手間をかけてあげることで、より長いあいだ自宅をささやかに彩ってくれます。
ですが、どれだけ手をかけても生花はそのうち枯れてしまいます。
しかしそれもまた、生花の良さだと思います。
今回はどれを飾ろうかと選ぶ楽しみ。
新しい花を買って帰る気分のよさ。
ふと視界に入る花を見て感じる充足感。
少しの手間が感じさせてくれる、日々動く自分の心。
お気に入りの花が萎れてしまう、残念に思う気持ち。
そして残念ながらも、数日間のありがとう......。
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いざ生花を買ってみると、綺麗に飾ってあげたいと思えば意外とたくさんの花瓶を持つ必要があることに気づきます。
「今度はこんな形の花瓶を探そう」とか「この花をあの花瓶に生けたら素敵かな」なんて考える時間も楽しいものです。
毎回同じ花屋さんに通って、店員さんと仲良くなれるとまた素敵な会話を楽しめますね。
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生花を飾ることを習慣にすると、日々にささやかな彩り、小さな楽しみが見つかります。
これって、自分で意識的に「心にゆとりと豊かさを持とう」とすることなのかな、と思うんです。
ちなみに僕は、割とミニマリストだし、仕事も生き方も効率を重視する方です。
でも効率化って、こういう無駄を楽しむためにするものではないでしょうか?
忙しなく、ゆとりを持ちにくい現代だからこそ。
造花とはまったく似て非なるもので、生花はなかなか良いものですよ。
ー 2020.12.30. 充紀