【意志あるところに道はある】ケイイチ ちゃり旅20年の道のりVol.26 3つの0から始める挑戦③
灼熱のインドを北上する。
5月はとても暑く、空気はひたすら乾燥していた。
喉はいつでもカラカラだ。
パニ・ドゥと言うと、カメから水がもらえる
アゲ・ダバ・ヘイ?は、この先にダバはありますか?という意味のようだ。
ケイイチは誰に倣うわけでもなく、地元の人とコミュニュケーションを取りながら、現地の言葉を習得していた。
世界を旅する上で、言葉で意思疎通できるという事は、とても大きなアドバンテージになる。
簡単な挨拶はもとより、必要な情報を聞き出すための言葉を、ケイイチは必死に覚えた。
ある日、カルナタカ州の州都バンガロールという街で手品を披露していると、ムスリムと思われる男性が後ろから覗き込んでいる事に気付いた。
全部終わって片付けていると、その男性から矢継ぎ早に質問される。
「どこから来て、どこへ行くのか」
「なぜこんなことをしているのか」
ネパールを目指していることを伝えると、自分の家に来いと言う。
男性の家は、手品をしていた場所の、道の反対側だった。
銀の器からグラスに水を注いで、勧めてくれる。
不思議ととても美味しく感じられた。
そして、男性は50ルピー札を差し出してきた。
50ルピー。
インドでは大金だ。
1ルピーが2円か3円ぐらいなのだが、実際には100円ぐらいの価値がある。
50ルピーだと5000円ぐらいになる。
3日は食べるものに困らない金額だ。
日本だと、一度遠慮してという流れになるところだが、ここはインド。
ケイイチはありがたく受け取った。
これでまた先に進める。
何度も感謝を伝えて、男性と別れた。
田舎の人は本当に優しいと感じた。
デカン高原の坂をどんどんと進む。
とにかく暑く、日陰から日陰へと渡り歩いた。
夕方、ようやく少し涼しくなってきた頃に、屋台で有り金をはたいて夕飯を食べた。
その後、なんだか嫌な寒気がした。
テントを張る気力すらもなく、とりあえず新聞紙を引いて寝っ転がった。
ヤバイ予感がする。
身体全体をガタガタ揺らすほどの寒気と、吐き気に襲われる。
荷物の中から冬用の服を引っ張り出してモコモコに厚着したが、寒気は治らなかった。
原因不明で体調を崩すと、よくないことを考えてしまう。
マラリアや肝炎だったら、自己治癒しない。
病院に行かなくてはいけなくなる。
足止めだけで済めばいいが、それ以上の最悪の状況にだってなり得る。
朝になって、もっと悪化していたらどうする。
なんとか、眠りにつこうと思って目を閉じた。
寝よう。とにかく寝よう。
朝起きると、身体を動かす事ができた。
熱も下がったようだった。
自転車を漕ぐだけの体力もありそうだ。
生きている。
ありがたい。
また、これで進んでいける。
ケイイチは自転車に跨ると、ゆっくりと足に力を込めた。
ある日、アンドラ・プラデシュ州で、ダバに到着して、いつものように寝る準備をしていた。
すると、ダバの主人が寄ってきて、「靴に気を付けろ」と言った。
ケイイチの靴は、ここまでの旅を反映してかなりボロボロになっていた。
こんなボロボロの靴を誰が持っていくのか。
ケイイチはあまり気にせずに、ベッドの横に靴を脱いで、そのまま寝てしまった。
翌朝。
起きたら靴がなかった。
まさか、と思ってベッドの下を覗き込んで探してみたが、見つからなかった。
よく見ると、少し離れたところに、ケイイチが履いていたものよりも、さらにボロボロの靴が置かれていた。
「この靴は誰のですか?」と周囲の人に声をかけるが、皆、知らないと言う。
つまり、この靴の持ち主がケイイチの靴を履いて行ってしまったのだ。
さらにボロボロの靴を前に、ケイイチは方然とした。
インド、侮れない。
今更、である。
ウットラプラディシュ州に入ると、ネパールまであと少し。
思えば、最南端を目指している時は、ネパールからベナレスまでかなりの距離があったように感じたが、南から上がってくると、ネパールまであと少しのような気がするから不思議だ。
平地なことと、各地にむけて道路がつながっていることもあり、とても栄えている。
自転車を止めて手品をすると、人が一番集まるのもこのエリアだ。
みんなとても白熱して、ケイイチの手元に見入っていた。
中でも、新聞紙をお金に変える手品が人気があった。
何回もやって欲しいと要求される。
道に落ちている新聞紙を拾ってきて、お金に変えて欲しいと言うのだ。
手品を信じ切っている。
まるでサイババが本当の奇跡を起こすと信じているように、手品で新聞紙が本当にお金に変わると思っている。
ケイイチが困っていると、端っこで様子を見ていた男性が助け舟を出してくれた。
これは奇跡なんかじゃないと集まっていた人たちをなだめて、解散させてくれたのだ。
助かった。
ケイイチは胸を撫で下ろして、男性にお礼を言った。
すると男性は、物陰にケイイチを連れていくと、ポケットから新聞紙を取り出したのだ。
「俺のだけをお金に変えてくれ」
結局この男性も手品を奇跡だと信じていたのだ。
「お前もか。。。」
この後から、ケイイチは新しい言葉を覚えて使うようになった。
ナヒンジャドゥ 。
これは奇跡じゃない、という意味だ。
手品を始める前に「ナヒンジャドゥ」と言ってから始める。
「アートカサファイ」
手の技術なんだよ、と説明しないと、みんなの目が怖いほど真剣になってしまうのだ。
ベナレスは相変わらず人でごった返していた。
聖地であり、交通の要にもなっているので、とにかく人が各地が集まってくる。
ここでケイイチは一つの問題に直面していた。
ネパールに入るためのビザは20ドルだと言われた。
その他の出費も考えると、ネパール入国には30ドルは必要だ。
ベナレスで手品を続ければ、稼ぐことができるだろう。
ところが、インドのビザの期限が迫っている。
国境までの距離と日数を考えると、何日もベナレスで過ごすことはできない。
自転車で移動しながら30ドルを稼ぐのは難しい。
どうするか、と考えながら歩いていると、たまたま以前に会った日本人旅行者の方と再会した。
ダメもとだ、と30ドル貸してくれないか頼んでみる。
「絶対に会って返してくださいね」
そう約束して30ドルを借りることができた。
ありがたい。
本当に助かった。
これで、国境に向かうことができる。
何度もお礼を言って別れた。
そして、ネパール国境まで一緒に自転車旅をしたいと言う日本人にも出会った。
彼は、ベナレスでは簡単に手に入る大麻にどっぷりと浸かっていた。
ギアのない安い自転車を買って、一緒に走る。
最初は10km20km走ると倒れそうになっていた。
ケイイチは進まないといけないので、心配していられない。
とにかく励まして自転車を走らせる。
数日後には食欲も出て、肌艶もよくなり、かなり元気になったようだった。
ビザ期限の切れるちょうどその日に、インドを出国することができた。
2004年6月27日、ついにエベレストのあるネパールに入国する。