【意志あるところに道はある】ケイイチ ちゃり旅20年の道のりVol.34 決断する勇気と2人との別れ
頂上へのアタックを延期することにして、一度キャンプ2に戻った。
改めて各国の気象情報を集めると、次に天候が改善するのは27日だと言う。
順調に頂上までアタックできるとして4日掛かるので、ギリギリ5月中に登れそうだが、登山は登るだけではない。
下山の2日を考えると、6月に入ってしまう。
これまでのエベレストの登頂記録を見ても、その全てが5月中だ。
気温の上昇は雪を溶かし、アイスフォールの氷塊が崩れやすくなる。
長年エベレスト登山を経験しているシェルパ達でさえ、6月にアイスフォールに入るのは嫌がるのだ。
5月27日という日付に、隊全体に落胆のムードが漂った。
頂上へ登れるチャンスは僅かだ。
そして、それは危険を伴う。
アメリカ人のスティーブが、「僕は危険を犯したくない」と呟いた。
その言葉の意味を、ケイイチは聞くことができなかった。
天候待ちをするために、ベースキャンプまで戻る。
5月24日。
もう6月はすぐそこだ。
どんよりとした灰色の空を見ていると絶望感に包まれた。
「これ以上の危険が付き纏うなら、僕は降りる」
スティーブが、ケイイチを真剣に見つめて、そう言った。
下山する。
つまり、今期の登頂を諦める、ということだ。
あまりの呆気なさに、ケイイチは愕然とした。
誰にも止める権利はない。
スティーブにはスティーブの引き際がある。
山に対する思いがあり、考えがある。
撤退するには勇気がいる、と言うが、葛藤が伴うのだ。
それに打ち勝ったものだけが、撤退できる。
自分もその決断をする時が来るのだろうか。
ケイイチは、ベースキャンプを後にするスティーブの背中を見ながらしみじみと思った。
27日の好天に合わせて、キャンプ2に移動することになった。
これが今期最後のチャンスになるので、みんなが同時に移動していた。
そのため、アイスフォールで見たことのない渋滞が起きていた。
いつ崩れるかわからない氷塊の下で順番を待つのは、生きた心地がしなかった。
もう、何度も登ったり降りたりしているアイスフォール。
クレパスの巨大化が、誰の目にも明らかだった。
氷塊が移動しているのも見える。
氷は溶け始めていた。
キャンプ2に到着した翌朝、「下山する」という人を見かけた。
シェルパ達が、気象状況がまた変わった、と噂していた。
詳しく聞くと、31日まで晴れはないと言う。
それではアタックはできない。
ケイイチはかなりのショックを受けた。
ガッカリしながら、日本人のチームのテントを訪ねる。
彼らも、衛星電話を使って、日本の天気予報を確認しているところだった。
すると、「明日になると風が弱まり、3、4日は大丈夫」だと言うのだ。
ケイイチは飛び上がった。
まさに、最後の希望だ。
慌てて自分の隊に戻り、ジョセフに伝える。
ジョセフは怪訝な顔をした。
そして、自分が信頼するドイツの気象情報を確認する、と言ったのだ。
自分で持ってきていた衛生電話で、ドイツの友人に連絡をとる。
その電話を切って、深くため息を吐き、首を横に振った。
「今年のチャレンジはもう終わりだ」
決心の固い顔。
「ここまで来たんだから、明日まで待てば良いじゃないか」と勧めてみたが、考えは変わらないようだった。
スティーブに続いて、ジョセフも下山を決めたのだ。
スティーブの時と同様、ケイイチには引き止める権利はない。
この日、同じように下山を決めたメンバーは多かった。
17人いたメンバーが、それぞれの思いで下山を決めていく。
キャンプ2に残るのは、ケイイチを入れてわずか3人。
夕飯時、胸がいっぱいで食欲がなかった。
翌朝、風の冷たい早朝にジョセフが下山した。