【意志あるところに道はある】ケイイチ ちゃり旅20年の道のりVol.25 3つの0から始める挑戦②
兎にも角にも、エベレストに近づかなくてはならない。
そのために、インドを縦断することからはじめることにした。
とりあえず、観光地でもあるカニャクマリで手品を披露する。
第一歩としては、食べ物を買うためのお金が必要だ。
人が集まり、手品を見てくれる。
終わった後に、手の中には6ルピー、日本円で15円ほどがあった。
決して多くはないが、インドではお茶を飲み、パンを食べることができる。
お腹を満たして、前に進むことができる。
ケイイチは自転車に跨った。
目指すのはエベレスト。
北を目指して、自転車を漕ぎ出した。
旅する中で、食べ物よりも必要なもの。
それは水だ。
チベットでの経験から、水がいかに人体になくてはならないものなのかを、ケイイチは知っていた。
水道の普及していないインドでは、井戸やカメにためた水を分けてもらって飲んだ。
決して透明ではない。
でも、地元の人は普通に飲んでいる。
飲めない水ではないのだ。
もちろん、毒も入っていない。
藻が生えているようなため池の水も飲んだ。
井戸水には味がある。
その土壌の味がする。
ゴミ捨て場の近くではゴミが染み出した味がするのだ。
よく、生水には気を付けろ、と言われるが、そんなことは言っていられない。
飲める時に飲まなければ、死ぬ。
分けていただいた水を、命をつなぐことができると思って、ありがたく飲んだ。
ペットボトルの水を買うような旅はしていない。
幸いにも、ケイイチはお腹を壊すことなく旅を続けられている。
非常にラッキーなことだった。
最南端、コモリン岬のあるタミルナード州を出ると、ケララ州に入る。
インドの中でも識字率が一番高く、英語が普及している地域だ。
教育が行き届いているせいなのか、アグレッシブさがなかった。
旅行者が通っても興味を示してくれない。
もちろん、声もかけてくれない。
声をかけてくれないということは、チャイもご飯も奢ってくれないし、泊めてくれたりもしなかった。
インドの南側にはダバもなかったので、野宿を続ける。
雨が凌げそうな屋根のある場所にマットを広げて寝ていた。
身体を洗う場所もないので、日に日に、汗でドロドロになっていった。
手品で得られるコインでは、その日の食べものを買うのが精一杯なので、いつもお金がなかった。
お金がないということは、ぼったくりにあう心配がない。
騙されないし、買わされないし、値段交渉の心配もない。
心配がないので、100パーセント安心して、相手を信用することができた。
お金を手放すことで手に入る、素晴らしい世界だ。
気温が50度を超えるような灼熱の中、平らな道だと100kmぐらい進むことができた。
アップダウンがあると60kmぐらいだ。
カラカラで、雨もほとんど降らなかった。
路上に自転車を止めて、いつものように手品をしていると、熱心にケイイチを観察している男性がいた。
ルンギと呼ばれるインドの民族衣装である男性用の巻きスカートを履いている。
一通り終わって、片付けようとすると、話しかけられた。
どうやら、TVのディレクターらしい。
日本人で、自転車で旅をしていること。
ネパールに向かっていて、エベレストを目指していることなどを訊かれるままに答えていたら、ついて来いと言われた。
着いた場所は、何かのスタジオのようだった。
でもTV局のというよりは、田舎の写真館のそれだ。
「ここで1週間ほどかけて、ドキュメンタリー番組を撮ろう」と男性が言う。
1週間。。。
ビザの期間が心配だった。
天候や何かの条件で進めない日もあるかも知れない。
できるだけ、時間に余裕を持って進みたかった。
気持ちはありがたかったし、面白い話だと思ったが、断るしかなかった。
男性は、とても熱心で、「それなら手品のシーンだけでも」と言った。
2,3時間と言うので、それならと言うことで、撮影に応じることにした。
インドの文化なのか、男性の好みなのか、薔薇の花を咥えて登場するなど、ちょっと面白い演出の撮影だった。
この後、この動画がどこかで放映されたかどうかは全くわからないが、いい経験にはなったと思う。
そして、撮影後に食事をご馳走になった。
ミールスと言って、バナナの葉の上にカレーとか惣菜、ご飯がてんこ盛りに盛られていた。
しかも、15ルピー(30円くらい)で、一度注文すると、無限におかわり出来るというのだ。
この後ケイイチは、ミールスを見かけると注文して、お腹を膨らませるようにした。