【意志あるところに道はある】ケイイチ ちゃり旅20年の道のりVol.33 エベレスト頂上を前に、天候に翻弄される
高度順応が終わり、いよいよエベレスト登頂へのアタックが始まる。
頂上へのアタックには、最短で6日かかる。
まず、ベースキャンプからキャンプ2まで一気に登り1泊。
2日目にキャンプ3まで登ってまた1泊。
3日目にキャンプ4まで登って、4日目のまだ暗いうちに頂上へのアタックへ向けて出発する。
その後、ベースキャンプまで2日かけて降りてくるので、全部で6日の行程になるのだ。
もちろん、毎日が天候に恵まれるわけではないので、天候待ちの日もある。
ケイイチたちが、休養を終えてベースキャンプに戻った頃には5月の半ばになっていた。
急がなければ6月になってしまう。
6月になったら、気温が上がって雪崩の危険が増すため、登山ができなくなってしまう。
そうなったら今期のアタックを諦めなければいけない。
気持ちは早るが、天気予報に耳を傾けるしかないのだ。
実は、ベースキャンプには各国の天気予報が入ってくる。
それぞれの隊が、それぞれ自分の国の天気予報を信じている。
ケイイチはもちろん、日本のチームが衛星電話でキャッチしている日本の天気予報を参考にしていた。
シェルパ達は、空を見上げて雲の流れを見ていた。
何度もエベレストに登っているシェルパ達は、雲を見て天候の移り変わりがわかるようだ。
各国から気象情報が入ってくると、もちろん揉める。
交錯する天気予報から推測して、5月19日から23日がどうやら晴天が続きそうだと知らせが入った。
ベースキャンプを出発する日が決まったのだ。
19日を待って気力と体力を整えていると、天気が一変した。
1日早まったのだ。
ベースキャンプ全体がざわつく。
いくつかの隊が、「今日中に出発しなくては」と言って出てしまった。
ケイイチ達は準備が間に合わず、予定通り19日の出発になった。
焦った。
頂上まで行けないかもしれない。
ベースキャンプで長い夜を過ごした。
外からは、相変わらず、ドーンドーンと雪の塊が落ちる音がしていた。
5月19日。
ベースキャンプを出発。
一気にキャンプ2まで登った。
翌日、キャンプ3まで移動する。
高度順応で一度来ているので、酸素不足になることはわかっていた。
音が聞こえるほどに心臓がドキドキした。
自分の身体のどこに心臓が入っているのかが明らかだった。
足に力を込めなければは、身体を持ち上げられない。
数歩進むだけで、100mを全力疾走したかのように息が上がった。
キャンプ3に着くと、疲労に見舞われ、テントの中で倒れるように寝た。
就寝するときに酸素を吸引する。
味も何もしない気体が、身体の中を満たしていくのがわかった。
酸素を吸うと、身体が温まった。
指先までポカポカとする。
無酸素で登頂に挑戦すると、凍傷になりやすいと言われているのだ。
さらに、呼吸が楽になると思考が安定する。
心も穏やかになって、気持ちまで安らいだ。
ふと、1日早く出発した隊のことが気になり始めた。
今頃、キャンプ4に到着して、今夜、頂上に向けて出発するはずだ。
もし、その後に天候が崩れたら、ケイイチ達の隊は頂上まで行けないかもしれない。
とても歯痒い。
出遅れてしまったことを、とても後悔していた。
一緒に出発できていたら、今頃、出発の機会を伺っていたかも知れないのに。
翌朝、シェルパが、無線を使って誰かと話していた。
その後ケイイチ達に、昨夜のアタックは失敗に終わった、と教えてくれた。
ケイイチが、「なぜ?」と聞き返すと、「風のせいだ」と言った。
頂上手前、8000mの辺りは風がとても強いらしい。
アタックを断念するしかなかったそうだ。
天候が崩れ始めている。
ケイイチ達の隊も、キャンプ4への移動は中止にして、一度、キャンプ2に戻ることになった。
キャンプ2まで戻ると、先行していた隊も戻ってきた。
彼らは、頂上へアタックするチャンスを失った。
一度、キャンプ4まで上がると、もう一度挑戦することはできない。
所有する酸素が足りないからだ。
基本的に、1回のアタックに使う分の酸素しか持っていない。
もう、次の分がないのだ。
一緒に出ていたら、ケイイチ達も同じように終わっていた。
昨日の夜はあんなに後悔していたのに。
出遅れたおかげで、まだアタックのチャンスが残されていた。
登山では誰も正しい判断はできない。
特に、天候に置いては、運に任せるしかない。
だからこそ、シェルパ達は神に祈るのだ。
ケイイチも、祈りたい気持ちになった。
もう、残された期間は後少しだ。