【意志あるところに道はある】ケイイチ ちゃり旅20年の道のりVol.5 疾走アジア編③
内戦状態からの復興に向けて、カンボジアの国は荒れていた。
武器を持っている人たちがいるので、危ないから暗くなったら出歩くなと言われた。
移動を明るいうちに制限すると、進みがゆっくりになる。
さらに気温も高く、日の高いうちは休み休みでしか進めなくなった。
その分、人との交流が増えた。
木陰で休憩していると、近寄ってくる人がいた。
外国人が珍しいようだった。
話を聞くと、英語学校を開いていると言う。
この頃、カンボジア国内のあちこちにNPO法人の学校があった。
たくさんの教育者が虐殺にあったカンボジアで、国の復興を目指している志のある若者達が立ち上げ、運営していたのだ。
ぜひ、学校に来て、英語で子供達と話して欲しいと言う。
言われるがままに、辛うじて屋根がついているだけの、小さな掘建て小屋のような学校を訪れて、子供達と時間を過ごした。
それだけで喜ばれた。
夜はそのまま学校に泊めてもらった。
若い先生達もそこに泊まり込んでいた。
学費をお金でもらうことができず、農作物などで受け取っていたためだ。
この後、ケイイチは、同じようなNPO法人の学校を巡りながらカンボジアを移動した。
カンボジアを良くしていこうという若者たちの熱い思いに触れて、ケイイチもパワーをもらうことができた。
これらの日々の中で、ケイイチは「お金との向き合い方」をより一層考えるようになっていった。
2002年9月24日、タイ入国。
それまでのデコボコした道路とは打って変わって、タイの道路は舗装されていて走りやすかった。
カンボジアの道は洗濯板のようだったな、と思うと笑えてくる。
直面した苦難や大変なことも、通り過ぎれば笑えるようになる。
スムーズな道を走っていると、思考もスムーズになるようだった。
タイでは、まず首都のバンコクを目指す。
インド大使館に行ってビザを取得するためだ。
そこから先をどうするかケイイチは考えていた。
2002年当時は、ミャンマーを陸路で抜けることはできなかった。
そのため、一度中国に戻り、チベットとネパールを通ってインドに入国するか、マレーシアを通ってシンガポールに出て船でインドに渡るか、だ。
季節が冬に向かうことを考えると、ネパール、すなわちヒマラヤ山脈を越えて行くのは避けたかった。
そこで、引き続き南下して行くことにする。
タイ国内の移動中は、ガソリンスタンドに泊めてもらうのが日常になっていた。
物陰に薄いマットを敷いて寝る。
雨が降ってくれば事務所の中で寝ていいよ、と言ってもらえた。
店員さんに食べ物や飲み水を頂くこともあった。
バケツをひっくり返すような水シャワーもあったので、体を洗うことができた。
どうやら、長距離トラックドライバーが泊まるための設備のようだ。
バンコクではビザ取得までの2週間ほどを滞在した。
バックパッカーの聖地と言われるカオサン通りに行くと、同じように旅をする人々からたくさんの情報を手に入れることができた。
シンガポールからの船の情報が欲しくて旅行代理店を訪れると、キット・ブットさんと言う人と出会えた。
シンガポールからインドへは旅客船は出ていないと言う。
貨物船はたくさん出ているが、乗せてはもらえないだろうと言う。
普通はそうだろうな、と思う。
これまでも何度も同じようなことを言われた。
だけど、ケイイチはその言葉をことごとく跳ね除けてきた。
挑戦してみなければわからない。
その思いだけで、シンガポールへ向かう決意が固まった。
インドのビザを受け取ると、インド入国まで90日間と言う期限ができた。
移動を開始しなければいけない。
ケイイチは自転車に跨った。