【意志あるところに道はある】ケイイチ ちゃり旅20年の道のりVol.14 標高3000m越えの荒野⑥
2005年6月5日、まろさんと2人でニャラムに到着。
思いのほか、観光地っぽい雰囲気に、ケイイチは辺りを見渡した。
看板なども英語の表記のものと、ネパール語の表記のものとがある。
チベットのこれまでの街とはかなり雰囲気が違った。
ニャラムで会いましょうと言っていた近江さんは、見つけられなかった。
仕方なく街を出発すると、道端の標石が目に入った。
不自然に置かれた丸い石が載っていたのだ。
近寄ってみると「6月3日午前9時半、ジャンムまで32kmです。近江」と黒いマジックで書かれていた。
近江さんからの石の手紙だ!
近江さんが2日前に通っていたのだ。
しかも、石の手紙を置いていけると言うことは、自転車で動いている。
もしかしたら、すぐに追いつけるかもしれない。
ジャンムまでの道の途中、5kmごとに、標石の上に石の手紙が載っていた。
「天空の道も終わりが近づいて来ましたね」などと書かれていて、それを探すのが楽しみになった。
近江さんも自転車の旅を楽しんでくれているようで、それも嬉しかった。
そして、3人で旅を始めた時に、まろさんと2人、5km進むごとに近江さんを待っていたのを思い出させてくれた。
角を曲がると、斜面に家屋が張り付いた街が見えた。
国境の街ジャンムだ。
家が藤壺のようだな、とケイイチは思った。
日本では見ることのできない景色に、また出会えた。
まだ見てない景色が沢山ある。
出会っていない人がまだまだいる。
そう思うと、旅の終わりは果てしなく遠いようにも感じた。
街の入り口近くに、また石の手紙が置かれていた。
「6月6日午前10時まではこの街にいます。近江」
近江さんのことだから、何かわかりやすい目印を置いておいてくれるだろう。
まろさんと2人でジャンムの街に入り、散策をする。
と、銀色の垂れ幕のようなものが目に入った。
よく見ると、キャンプで夜寝るときに、寝袋の下に敷くマットが、宿の2階の窓から下がっていたのだった。
こんなことをするのは近江さんしかいない。
ケイイチは確信していた。
宿に入って、「日本人はいるか?」と訊くと、いると言って部屋を教えてくれた。
ドアをノックすると、聴き馴染みのある声。
近江さんだった。
その日の夜は、近江さんの好意で、同じ宿に泊めさせてもらった。
3人揃って中国最後の夜に乾杯する。
遠い道のりだったように思う。
でも、あっという間だったようにも思う。
坂道を自転車を押して必死で登った。
峠にはためくタルチョを最高の気分で眺めた。
自然を相手に己の無力を思い知らされた日々だった。
コップいっぱいの水すらも自力では得られない。
自転車や服は誰かの仕事の成果で、誰かが働いてくれているから、使うことができている。
働くということ。
自分は何もできなくても、周りの人が働いてくれることで、助けられている、生きていられる。
働くとはそういうことかもしれない。
大学の時から追い求めている問題の、一つの答えが見えそうな気がしていた。
まずは目的地まで行こう。
インドはもう目と鼻の先だ。