【意志あるところに道はある】ケイイチ ちゃり旅20年の道のりVol.23 インド最南端から見える景色③
インドの最終ゴールとしてケイイチが決めていたのが、最南端にあるコモリン岬だった。
地図上で、はっきりとわかる一点を目指していた。
その最終地点に、ケイイチはついに到着した。
2004年、4月30日。
日本を出て、2年と2ヶ月。
我ながら波乱万丈な旅になったと思う。
ヒッチハイクで移動しようと思っていたのに、中国で自転車を手に入れて、シンガポールでは貨物船に乗せてもらえず、チベットの峠を必死で越えた。
10km手前から、1kmの標石を通り過ぎるごとにカウントダウンをしながら進んでいく。
辛かったことほど思い出された。
一体、どれだけの人にお世話になったのか。
その人々の顔が次々と浮かんでくる。
坂を上り切ると、視界が一気に開けた。
目の前に水平線が広がった。
アラビア海、インド洋、ベンガル湾の3つの海が交わるヒンドゥー教の聖地・カニャクマリ。
緩やかな下り坂を自転車を押して歩く。
舗装された道路が終わり、砂利になり、砂になった。
人生で一度は訪れたい場所と言われる聖地なだけあって、人が多い。
土産物屋もひしめき合っていた。
自転車を止めて、砂浜を歩く。
海の向こう側に銅像が立っているのが見えた。
階段を降り、海水に触れる。
生暖かい外気に比べて、水は冷たかった。
ゴールだ。
ケイイチの内側から、様々な感情がこみ上げてくる。
1日1日を思い出せるほどの、鮮明な日々だった。
よくやったと、自分に言おう。
3年前はホームレスだった自分がここにいる。
長い、過酷な旅をへて、目的の場所へ辿りついた。
この旅に協力してくれた全ての人に感謝を伝えたい。
心の底からそう思った。
意志の力を証明するために始めた旅。
強固な意志を持っていたとしても、それだけではたどり着けなかった。
それは肝に命じなければならない。
1人の人間の意志など、小さい。
それでも、強い意志は様々なことに影響を与える。
インドを目指すと決めてから、周りの人々の反応が変わった。
ホームレスのままの自分だったら、ここまで人々の暖かさに触れることはなかっただろう。
お金がなかったからこそ、強い意志が必要だった。
強い意志は人種や文化を越えて、たくさんの人に受け入れられた。
決して裕福ではない、アジアの国の人たちが協力させて欲しいと言ってくれた。
食べるものや、寝る場所を与えてくれた。
意志は、誰でも手に入れることができる心の力だ。
優しさには受ける側と与える側がる。
誰もが、その両方になれる。
見ず知らずの人に与えることができる人にたくさん出会った。
人間とは、必ずしも利己的ではないのだ。
人を思いやることができる。
そう考えると、人類の未来が明るいと思えた。
生活環境が苦しい場所ほど、協力的であり、部外者にも優しく振る舞えるように感じた。
1人の人間の力はとても小さい。
小さいからこそ、協力し合い、共に豊かに暮らすことを目指していけるのだ。
労働することに疑問を持ち、日本を飛び出したが、働きたくても仕事がない国もあることを知った。
インドでは、カースト制度の名残もあり、自分で職業を選ぶことができない人もいる。
チベットの峠では、危険な崖で子供までもが道路工事の作業をしていた。
働くことも、職業さえも、自分で選ぶことができる日本は、それだけでとても恵まれていた
贅沢な悩みだったと反省するしかなかった。
その一方で、手品をして稼ぐことができたのは、とても充実感があった。
目の前の人が喜んでくれる。
驚いて目を丸くするその様を見ると、自然と口元が綻ぶ。
そしてそれが収入へと繋がった。
とても幸せなことだった。
2年2ヶ月。
目的地に着いた。
同時に帰路が待っている。
達成感が大きな自信になっていた。
近江さんの「止めることはいつでもできる」と言う言葉が心に残っていた。
そして、ケイイチの脳裏に浮かんでいたのは、チベットの峠を越えながら見た、エベレストの山影だった。
あの、世界最高峰の頂きから見る景色はどんなものなんだろうか。
そこに行くことは可能なんだろうか。
全てが未知だった。
未知だったからこそ、挑戦したかった。
ホームレスだった自分が、ここまで到達できた。
それなら、ここからエベレスト山頂までも行けるのではないか。
そんな気がしてならなかった。
帰路にはいつでもつける。
一つの旅の終点は新たな旅の始まりなのだ。