【意志あるところに道はある】ケイイチ ちゃり旅20年の道のりVol.38 近江さんとの別れ
ケイイチの長い旅の中には掛け替えのない登場人物が何人もいる。
その中でも近江さんの存在は特別だった。
最初に会ったときは、ずいぶん横柄な人だな、と思った。
それは、エベレスト登頂から遡って、2年前の5月。
中国の雲南省を2ヶ月かけて走り抜け、ラサに辿り着いたケイイチは、久しぶりのインターネットを求めて、インターネットカフェを訪れた
そこで、店員に向かって日本語で文句を言っていたのが近江さんだった。
「日本語で言っても通じませんよ」と声をかけると、「英語が喋れないんですよ」と偉そうに返してきたのだ。
今までの罪を清めたいと言って、カイラス山に向かった近江さんは、許可証を持っておらず、結局、カイラス山には行けずにラサに戻ってきた。
その落ち込んだ様子に、ケイイチは、「自転車で一緒にカトマンズまで行きませんか」と誘ったのだ。
そこから、旅の仲間となって、過酷なヒマラヤ越えが始まった。
折り畳み自転車、13インチ。
ギアなし。
後ろに荷物がパンパンに乗ったリアカーを引く。
60歳。
半端じゃない、と思った。
しかし、走り初めて、2日目。
近江さんの顔はすでに疲れ切っていた。
雨が降ってきて、レインコートを着て走る。
もうすでに近江さんの体力は限界を迎えているような気がした。
草も生えないような、空気の薄い高地を自転車で走ることが、どれだけキツイか。
60歳の近江さんの後姿を追いかけながら、ずっと心配をしていた。
それなのに、近江さんは絶対に弱音を吐かなかった。
前に進むことを止めようとしなかった。
まだ20代だったケイイチですら息絶え絶えになることもあった。
根性があった。
負けず嫌いだった。
そんな近江さんが、ついに倒れた。
前にも後ろにも荒野しかない場所で。
「動けません」と言うか細い声がケイイチを不安にさせた。
刺さるような炎天下の中で辛うじて息をしている近江さんのために、必死で車を止める。
車が一台も通らず、6時間かけて、やっと乗せてもらえる車を捕まえることができた。
それまでは、本当に生きた心地がしなかった。
チベットでの脱水。
カトマンズでの転倒、額を7針縫う。
インド南部で転倒、肋骨骨折。
原因不明の全身痙攣、入院1日。
それでも近江さんは逃げださなかった。
「投げ出すのはいつでもできる。続けるのが難しいんです」
近江さんはいつもそう言っていた。
肋骨を骨折していても、入院の翌日でも、近江さんは走っていた。
あのリアカーを引いて。
近江さんと約束していた目的地のゴアに着いて、数日の間、浜辺で野宿をしていた。
近江さんはいつも日本の料理を作って楽しませてくれた。
お酒の厳しいインドでも、どこからかお酒を調達してきて、毎日のように一緒に飲んだ。
飲んで、倒れて、浜辺に寝転んで、笑った。
いつの間にか日本人の旅行者が集まるようになった。
近江さんがいなければ出会えなかった人たちだ。
たくさんの仲間と楽しい時間を過ごした。
しかし、時間は無限ではなかった。
近江さんは、タクシーに乗ってインドの最南端に向かうと言った。
見送るために、タクシー乗り場まで一緒に行く。
「また、世界のどこかで」
近江さんがそう言った。
それが、近江さんを見た最後になった。
自転車でインド最南端に到着し、エベレスト登山を目指したケイイチは、ネパールに戻り、カトマンズで久しぶりに日本人の経営するカレー屋さんを訪れた。
そこで、店主のカズさんから、「近江さんからお金を預かっているよ」と告げられた。
聞くと、「ケイちゃんお金を持っていないから」と言って、ここに来たら渡して欲しいと頼まれたと言う。
涙が出るほど嬉しかった。
お金が、じゃない。
近江さんのその優しさが、だ。
あんなに偏屈なオヤジだったのに。
言い争いもたくさんした。
くそオヤジと何度も思った。
胸ぐらを掴み合って喧嘩もした。
その近江さんが、ケイイチのために、優しさを置いて行ってくれた。
近江さんとはEmailで連絡を取った。
お金の事のお礼をいい、そして、エベレストに登ると伝えた。
「2月にまたカトマンズへ行きますから、その時に話しましょう。
必ず駆けつけます。
ポーターとしてベースキャンプまで雇ってください。
懐かしいネパールにまた行きたい。
旅の終着点を自分のゲストハウスにしてくれたら嬉しいです」
そんなことが書かれたEmailが返ってきた。
それが7月だった。
10月頃から近江さんと連絡が取れなくなった。
札幌のゲストハウスのHPも閉鎖になったと聞いて、心配はしていたが、エベレストのことで頭がいっぱいで連絡ができずにいた。
登山の準備や訓練をしながら、いつも、心の片隅で、近江さんはどうしているかなと思っていた。
5月31日、ケイイチはついにエベレストの山頂に立った。
山頂では、お世話になった人たちの名前を書いたボードを手に写真を撮った。
その中には、もちろん近江さんの名前もあった。
6月14日、カトマンズに戻って、また、カレー屋さんを訪れた。
そこで、近江さんが4月2日に亡くなっていたことを聞いた。
登頂したことを報告したかった。
きっと心のそこから喜んでくれただろう。
連れて行って欲しかったと、僻んだかもしれない。
美味しいお酒で乾杯をして、また、ふらふらになるまで飲み明かしたかった。
でも、近江さんは、もうこの世にいなかった。
あの近江さんが、自ら人生を終える決断をした。
それがどれほどのことか、人生のほんの少しの時間を共有しただけのケイイチにも感じることができた。
そんなに悩んでいたのか。
そんなに苦しんでいたのか。
溢れる出る涙を止めることができなかった。
いつも近江さんが言っていた言葉が思い出された。
「投げることはいつでもできる。続けることが難しいんです」
ケイイチはカトマンズの青い空を見上げた。
白い雲がゆっくりと流れている。
近江さん。
生きるってそう言うことじゃないのか?
生きていれば、地上にいれば、駆けつけて会うことができるのに。
どこにいても必ず駆けつけるのに。
死んでしまったら、それができないじゃないか。
僕がそちらに行くのはまだ少し先になります。
先に一杯やっていて下さい。
近江さんの大好きだった、ネパールのカトマンズより、ご冥福をお祈りしています。
近江さんの旅友として、ケイイチは日記にそう書き記した。
それは、近江さんがケイイチと共にした、紛れもない冒険の証だ。