【意志あるところに道はある】ケイイチ ちゃり旅20年の道のりVol.15 旅の道連れは手品①
2003年6月6日、ネパールに入国する。
中国とネパールの間には渓谷があり、橋がかかっていて、その橋の上に国境があった。
国境には竹の棒1本でできたゲート。
赤と白に塗られていた。
中国側のイミグレーションで出国スタンプをもらった後、ネパール側のイミグレーションに向かう。
ネパール側のイミグレーションは、掘立小屋のような小さな建物に、木の机と椅子が置かれているだけだった。
係の人にパスポートを見せると、入国カードを差し出してくれた。
それに記入して、パスポートにスタンプを貰って終わり。
とても簡単だ。
その後に、税関があったのだが、近江さんが、気づかずに通り過ぎてしまった。
まろさんと2人で顔を見合わせる。
係の人が声をかけても気づかず、国境の竹の棒のゲートを頭を低くしてくぐっていってしまった。
それでもお咎めなしで、ネパールに無事に入国。
ネパールには温泉があると聞いていたので、イミグレーションの人に訊いてみると、「4kmほど先、道を進んでいくとわかる」と言われた。
迷いようもない一本道だった。
視界に映る山々は隅の隅まで緑に覆われていた。
植物が育っている。
木が生い茂って森を作っている。
それは標高が下がっていることを示していた。
歌いながら坂道を登れるほどに、空気が濃かった。
湿度も高く、唇も喉も乾燥していなかった。
長袖が暑くなり、久しぶりにTシャツになる。
いくつかの村を通り過ぎた。
村と村の距離がとても近かった。
それでも、目的の温泉が見当たらない。
道ゆく人に「温泉はどこか?」と聞きたいが、ネパールの言葉がわからなかった。
ジェスチャーで説明しようとするが、それも通じない。
さらにしばらく進むと、「Hot Spring」と英語で書かれた看板を見つけた。
看板の付いている小屋に入ると、椅子に座ったおじさんがいて、入浴料16ルピーと案内された。
下に向かう階段をひたすら降りて行く。
自転車はおじさんにお願いして、見張ってもらった。
降りるに従って、川のような水音が近づいて来た。
それが、次第に滝の音に変わる。
湯気に囲まれた場所にあったのは温泉、、、というか打たせ湯だった。
現地の若者が海水パンツを履いて湯に打たれている。
ケイイチたちは海水パンツなど持っていないので、普通のパンツで浴びて行くことにした。
お湯に浸かれるのを想像していたので、少しがっかりしたものの、温度もちょうどよく、なかなか気持ちがよかった。
1時間くらいかけてチベットの垢を落とした。
きっと皮が3枚ぐらい剥がれただろう。
温泉から上がるとのぼせていることに気づき、心地よい気怠さに襲われる。
気持ちも新たに自転車に跨った。
ネパール最初の夜は、発電所の近くにテントを張った。
3人の旅も終わりが近づいている。
そんな気配を感じていた。
6月12日、ネパールの首都カトマンズに到着。
広場を見つけたので、そこにテントを張って寝ていると、早朝から数人にテントを囲まれてしまった。
広場ではサッカーの練習が始まっている。
モソモソとテントから出ると、矢継ぎ早に質問が飛んできた。
どこから来た?
ここで何をしている?
いつものやつだ。
日本人だけど、チベットから来て、自転車でインドを目指していることを説明する。
やりとりしている間に警察がやって来た。
早くテントを片付けろと命令される。
慌ててテントを片付けて、広場から出た。
カトマンズではチベットの疲れを癒すと言いながら、だらだらと時間を過ごしてしまった。
7月に入って、まろさんが、先に出発すると言い出した。
まずはインドに、そして、ヨーロッパを目指すと言う。
自転車を軽快に漕ぎ出すまろさんを見送る。
小さくなって行く背中に何度も手を振った。
5月14日に出会ってから、ほぼ2ヶ月、過酷なヒマラヤを一緒に超えた戦友だ。
旅をしていれば、またどこかで出会える。
別れることは寂しいが、また出会えると思うことで、前向きに送り出すことができた。
旅は出会いと別れの繰り返しだ。
まろさんに続いて、近江さんとも別れる時が来た。
日本に帰ることになったのだ。
近江さんは、ケイイチとの「冒険」を心から楽しんでくれ、心から感謝してくれていた。
あんなに過酷な体験を何度もしたのに、また、ネパールに戻って来て、次はヨーロッパを目指したいと言ってくれた。
別れの時、何度も握手を繰り返す。
一緒に過ごした2ヶ月間が流れていく。
「またどこかで!」
ケイイチは心からそう言って、近江さんを見送った。
日本に帰る人を見送るのは、少しばかり心が締め付けられた。