【意志あるところに道はある】ケイイチ ちゃり旅20年の道のりVol.1 旅の始まりは新宿ホームレス生活①
人はなぜ仕事をしてお金を稼ぐのか?
お金がないとどうなるのだろうか?
イワサキ ケイイチ
「意志あるところに道はある」
そんな言葉を信条に、自転車で世界を旅している日本人がいる。
20年の間、一度も帰国せず、「労働による賃金」を得ずに、世界を旅している。
20年経ってなお、彼は旅半ばだ。
群馬県前橋市の町工場の家で生まれ育った彼は、必要な物は手に入る、「ごく普通の生活」をしていた。
中高の頃は、長期の休みになれば、家業を手伝って労働賃金を受け取っていた。
遊びたい盛りの思春期だった彼には、喜ばしいことではなかったが、それは当たり前の生活としてそこにあった。
彼が最初に違和感を覚えたのは、高校の友達を尋ねて、オーストラリアを訪れた時だった。
ケイイチ21歳。
久しぶりにあった友達はとてもたくましくなっていた
海外で生活することで、日本語の通じない土地で親と離れて暮らすことで、ここまで人は変わるのか。とても衝撃を受けたことを覚えている、と彼は言った。
それまでは興味のなかった海外の国。日本を出るということ。
その時は1ヶ月ほどホームステイをして、オーストラリア西海岸のパースに滞在していたが、生活の全てが日本とは違い、とても刺激的だった。
この時の滞在は、旅行だったので十分な旅費を持っていた。
お金があったので、食事をすることができた。
服を買うこともできた。
海外でもお金があれば生活はできる。でも、お金が無かったらどうなるなるのか。そんな疑問が浮かんだ。
帰国後、大学生活に戻ったケイイチは、親の仕送りで生活をしている自分がお金に依存していることに気づく。それまでそのことに考え及ばずにに生活ができていたことに感謝をしつつも、激しい違和感を覚えるようになった。
大学卒業が近づき、周囲が就職活動に奔走する中、ケイイチの中にあったのは、「人は何のために働くのか」という疑問だった。
この疑問の答えがわからず、「労働」に身を投じることは躊躇われた。逆に、答えさえわかれば、気持ちよく働くことができるのではないかと思った。
ケイイチは、自他共に認める真面目な性格だ。
だからこそ、「言われたことをただ淡々とこなす」未来が怖くなった。
友人たちが就職先を決めていく中、ケイイチが決めた新社会人生活は「ホームレス」だった。
25歳で大学を卒業した彼が、1998年4月1日、新社会人1日目に向かった先は「新宿」。
ホームレス生活と言えば新宿というイメージを持っていたので、先人を見習おうと思ったのだ。
持っていたお金は全部、花園神社の賽銭箱に入れた。
持ち物は歯ブラシ1本になった。
さあ、何をしようか。
結論から言えば、ホームレス生活は暇の連続だった。
することがないのではなく、できることがないのだ。
公園のベンチに座って、道ゆく人々を眺める。
夕方暗くなる頃に寝場所を探してうろつく。手には寝るときに下に敷くために拾った新聞紙。
食べれるものを求めてゴミを漁ることも覚えた。
食べれるものを見分ける味覚も育った。
道に落ちていた飴玉も食べた。
彼は、「お金がなくても生きることはできる」という事実を体験したのだ。
そして、この最初のホームレス生活は2週間であっけなく終了した。
どこかで世界青年の船の広告を見かけ、それに乗ろうと考えたからだ。
現在も内閣府が国際交流事業として行っている活動で、世界各地から若者を集め、1ヶ月ほどの間船の上で異文化交流、ディスカッションなどを行う。
それに応募するために、まず一度実家に帰ることにした。
新宿から前橋に帰るためには電車賃が必要だった。
ケイイチは、拾った雑誌を古本屋に持って行ってお金に換え、初乗り運賃の210円を手に入れた。
4月15日。電車に乗る。
地元の最寄駅で電話を借りて父親に連絡をすると、父は怒りながらも迎えにきてくれて、不足分の電車賃も払ってくれた。
気がつけば3年経っていた。
世界青年の船に乗り、実家で家業を手伝い、歳は28歳になっていた。30歳が近づいてきたことで、焦りを覚える。
「新宿に戻らなければ」
彼はホームレス生活に戻ることを考えていた。そして、戻るならば、3年前に新宿を離れた4月15日しかないと。
2001年4月15日。
ケイイチは再び新宿駅にいた。これが彼の長い長い旅の始まりの日だ。