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[掌篇集]日常奇譚 第33話 高速エスカレーター

 とある田舎町に住んでいたときの話である。町の名前は一応伏せるが、ニュースで流れたこともあるので知っている人もいるかもしれない。
 エスカレーターの話だ。

 最近でもそうだが、その頃からエスカレーターについてのマナーが一部では問題になっていた。エスカレーターに乗るときは、急ぐ人のために片側をあけなければならないというマナー。
「気を利かせている」とでも言いたげな暗黙のマナーだが、動いている狭い通路(エスカレーター)の片側をどかどか駆け降りて(あるいは駆け上がって)行くのは危険だし、メーカー自体が禁止事項・危険行為としている。
 にもかかわらず、これはまるで正規のマナーのように広まっていて、片側をあけていない「マナー違反」の人がいると咎め立てしかねないような勢いである。

 その田舎町でも、人口は少ないとはいえ、それでも通勤・通学時間帯には混雑がひどく、エスカレーターで立ちどまっていようものなら罵声を浴びせられるような状態だった。
 もはや片側をあけるだのということですらない。近くに高校があるせいと、乗り換え駅であったということもある。
 混雑した場所で急ぐなら階段を使うべきなのだが、ほとんどの人はエスカレーターを使いたがる。それもわからないわけではないが。
 ともかくそんなありさまなものだから、ちょっとした事故が起こることもあった。突き飛ばされたり。足をすべらせたり。

 ぼくが我慢の限界にきたのも、足を引っかけられて危うく転げ落ちそうになったからだった。
 腹を立てたぼくは駅長に進言した。投書である。

 急ぐ人間と、安全にゆっくり歩きたい人間を分けるべきだ、とぼくは書いた。いわば高速道路と一般道路のようなものだ。性質が違うものを一緒に扱おうとするから事故が発生する。速度の違うエスカレーターを設置して住み分けをするのが妥当だろうが、設置費用の問題はあるだろう。工事にも時間がかかる。それなら、そう、とりあえず滑り台でも設置すればいいのではないか? 下りに限るが、おそらくエスカレーターよりも早い。それに安全だ。子供の遊具なのだから。ひょっとしたら少しストレス解消にもなるかもしれない。駅で滑り台で滑れるなんて。ちょっとした評判にもなるかもしれない。

 もしかしたらぼくの書き方が案外よかったのかもしれないと思っている。
 駅長が、あるいは関係者たちが、なにをどう考え、どういう経緯があったのかは知らない。
 知っているのは、それから少し経ったある日、駅の階段の半分になめらかなステンレスの板が覆いかぶせられ、大きな滑り台が出現した、ということだ。

 ぼくが見たとき、すでに楽しそうに滑っている人たちがいた。
 スーツを着た会社員も滑り降りていく。公園にあるものよりもはるかに幅が広いせいか、滑りながら体勢を崩してくるくる回りながら滑り降りていく人もたくさんいる。歓声をあげながら滑る人も多い。

 やがてラッシュアワーがやってきた。いつものように怒涛のように人の波が押し寄せてくる。滑り台をいち早く見つけた人々は一瞬ひるみながらも利用し始めた。歓声をあげながら。くるくる回りながら。滑り終わってさっと立ちあがって颯爽と歩いていく人もいるが、ほどなく滞り始める。下のほうから。起きあがれないのだ。すぐに悲鳴があがりはじめた。じたばたもがく人が多数現れている。そこにどんどん上から人が滑り降りてくる。歓声をあげながら。くるくる回りながら。どんどんどんどん積み重なっていく。歓声をあげながら。くるくる回りながら。

 事件からしばらく経って少しほとぼりが冷めた頃に、「消防署などで使われている、階を貫いて一気に滑り降りられる滑り棒」を設置してはどうかと投書してみたが、今のところまだ採用されたという話は耳にしていない。

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