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[掌篇集]日常奇譚 第44話 たまたま、ねこ

 今のアパートに引っ越したときの話をしよう。
 その当時は一時的に遠方に住んでいて、そして猫がいた。
 そこでまず荷物を先に貨物のコンテナ便で送り、その後、手荷物を持ち猫を連れて新幹線に乗って移動、と、そういう手順で引っ越すことにした。

 当日、新幹線の中では、猫は聴いたことがないようなものすごい大声でずっと鳴きわめき続けていて、なにか妙な生き物がいるとわざわざ覗きにくる人もいたりで、おかげで嫌な汗をかきどおしでえらく大変だったのだが、その話はともかく……
 怪獣のような声をあげている猫を連れたまま新幹線から在来線に乗り換えてまっすぐ不動産屋に直行した。まだ家の鍵も受け取っていなかったので、なによりまず不動産屋に行かなければならなかったのだった。
 駅を出てからは徒歩で移動したのだが、その頃にはさすがに猫はだいぶ静かになっていたように思う。

 大変な重さだった。猫自体もずっと持っていると重いが、猫と自分の身のまわりの荷物のほかに、猫用のトイレと猫砂も持っていた。猫砂はさすがに少量だったが。向こうを出る直前まで一応トイレは必要だし、移動中はずっと我慢させているので、到着したらやはりすぐトイレを設置しないといけないだろう、というわけで。
 そんなふうにたくさん荷物をかかえて、籠に入った猫を下げて、休み休み歩いているぼくは、人からどんなふうに見えただろう?

 やがて到着した不動産屋にも当然その状態で入っていったのだが、ドアを開けたとたんに若い女性たちの歓声があがった。きゃーというような。
 面食らうぼくに、従業員たちの視線が集まっている。
 そして、その中のひとりの女性がニコニコしながら言った。「いつも猫連れて歩いてるんですかー?」
 いや、そんなわけないだろう。
 というのは、今だから言える言葉だ。
 そのときは事態がよく飲みこめていなかった。
 要は、猫を連れて店内に入ってきたぼくを見て、いつも猫を連れて歩いている人だと思った、というだけの話だったのだが。たぶんぼくは本当にそういうふうに見えていたのだろう。
「あ、いや、引っ越しなんで」とかぼくは答えたと思うが、女性たちは満面の笑顔でニッコニコしたままだった。ぼくの言葉なんて明らかに聞き流している。はいはい、わかりましたわかりました、という声が聞こえてきそうだった。
 まあしかし、むきになって訂正するようなことでもなく、そのことはそのままにして鍵を受けとり、そこからはタクシーに乗って新しいアパートへと向かった。

 そしてそれからしばらく経ったある日。
 引っ越しはもちろんすっかり済んでいて、その日は、予防注射のため猫を病院に連れて行こうとしていた。
 しかしタイミング悪く、着いた病院はちょうど昼休みの時間に入ってしまっていた。確認しなかった自分がいけないのだが。いったん家に戻ろうかとも思ったがそれも面倒だ。それでなんとか時間をつぶそうとそのあたりをぶらぶら歩いていた。
 そのとき、向かいから歩いてきた人がいて、ぼくを見て、あーっ、と大きな声をあげた。何事かと顔を見返すとニッコニコしてぼくを見ている。その笑顔で思い出した。不動産屋のあの女性だった。
「やっぱりー」と彼女はうれしそうに指をさして言った。さしているのは、ぼくが下げている籠だ。猫が入った籠。
 なにが言いたいのかはすぐにわかった。
 やっぱりのあとに続く言葉。
 やっぱりいつも猫を連れて歩いているんですねー。

 いや……違うんだ。

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