正義の執行者
「子どもを産まないという選択をする自分たちこそ子どものことを思いやっている」という旨の発言をする人を何度か見かけたことがある。
もしかしたら、「生きづらい世の中に人を生み出さない」という選択自体は(まだ生まれていない)命を尊重する優しさからくるものかもしれない。
しかし、その正しさ、優しさを根拠に「自分は正しいから何を言っても許されるような存在である」と信じ込んで他人に意見してしまうのは踏みとどまってほしい。
そもそもその正しさ優しさは反出生主義の価値観のもとでしか通用しないものである。
生まれていない命を尊重するのは分かるけど、今生きている人(誰かの親)を差別用語を創り出してまで罵るのは決して優しくなんてない。
ちょっと育児の辛さを吐き出しているだけの誰かの親に「そんなに嫌なら産まなければよかっただろ」「子どもが可哀想、生まれなければよかったのに」なんて声をかけてしまう人。少し考え直して。
「あなた」が生まれないことを望んだ他人の子の命は、親である「その人」にとっては大事な大事な我が子かもしれない。
その子にとって大事な存在ではないあなたの意見なんて決定力はないし、ただ親を不快にさせるだけ。親の自信を奪い努力をけなし親の心を消耗させても、その子にとっていい影響はない。悪い影響ならあるかもしれないが。
ネットの向こうの人間も感情を持った人間である。たとえ、壊滅的に価値観が違っていても、人間である以上何を言ってもいいわけではない。
加害欲からでなくほんとうに優しさが理由で悲しみが生まれるのを食い止めたいと思うのなら、産む選択をした親をなじるという方法は取らないはずだ。炎上商法のようなやり方で無理矢理認知度を上げるのも優しいやり方ではない。
自分に余裕のある人しか他人に優しくなどできない。どうか、「見ず知らずの家庭に誕生するかもしれない架空の命」などではなく、自分の人生を豊かにすることに熱を注いでいただきたい。他人の家庭の心配をするのはそこからだ。