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神様を信じる人達は、自分の人生の中に「証」がある。

神の子を信じる人は、自分の内にこの証しがあり、神を信じない人は、
神が御子についてなさった証しを信じていないため、
神を偽り者にしてしまっています。

その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、
そして、この命が御子の内にあるということです。

御子と結ばれている人にはこの命があり、
神の子と結ばれていない人にはこの命がありません。
神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、
永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。

何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、
神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。

ヨハネの手紙一 5:10-

まず初めに遅くなってしまいましたが
明けましておめでとうございます。☀

去年の元旦には日本の能登地方で地震があり、
今年の年明けにはアメリカでの火災。

毎朝毎晩、神様に「大難を小難にしてください」と
お願いしても、どうしてもこうした天災は
生きている限り起きてしまう物のようです…。

でも私は耐えずこれからも平和を求めて
祈っていきたいと思います。

今年もどうぞ宜しくお願い致します。


あれだけ「信仰信仰」と
2019年からの5年間言ってきた私ですが、
実はまだ聖書を1周した事が有りません…

日々の忙しさに駆られて
中々読み切る事が出来なかったのですが
最近この個所に出会いました。

ヨハネと言うのは
キリストに洗礼を施した一人で
ヨハネとマグダラのマリアは一説によれば
同一人物では無いかと言われる事も有ります。

そんなヨハネが描いた
ヨハネの手紙の一節からの引用です。


私は神様という存在を確証していると
胸が熱くなるような、
そんな気がしています。

私の事を良く知らない人から見れば、

「神様を信じているなんて怖い」

と思われるかもしれませんが、私には
奇跡の体験と、信仰を告白出来る体験が
人生の中にいくつかあるのです。

と言っても私は牧師ではありません。
勇者というのも、また違うのかもしれません。

ただ、自分の感じる情熱に従って生きている
人の一人であり、自分を成長させたい、
周りに恩返しがしたい。

そういう気持が私の中にはあります。

話は逸れてしまいましたが、私の25年の
人生の中に、この節のように
神様の存在を証する出来事がいくつかあります。

最近も、とある方に

「キリスト教徒で、ペンテコステでしょ。
スピリチュアルすぎる。」

と言われたのですが、聖書では
聖なる生活を通して主を知る事が大切であり、
聖なる生活を通さずして主を知る事は出来ない

と書いてあります。(ヘブライ12章14節)

私はフィジーという国で宣教師の
ホームステイファザーの基、色々と
信仰生活について学びました。

当時は時々断食もしたり、朝から晩まで
教会に留まったり、青年隊の皆と祈りの生活を通して
聖書や信仰を学んだりしながら、

奇跡を色々と体験してきました。決して
誰かに強制されたから、信仰を決めた訳ではありません。

私もまだ神様の御子としての修行の身。

人生どうなるか分からないですが、
姑息にならない生活を
心掛けたいと思っています。

皆様にも平安の上に
神様による御祝福がありますように。

今回も最後までお読み頂き
ありがとうございました♪

光生 / Mitsuki.



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