18/9/16 踊り念仏、稀有なドラマ
New踊り念仏探究会、時宗真光寺での法要当日。兵庫駅ではじめて降りる。まず、二祖真教上人の遠忌ということで本堂にて法話があった後、法要がはじまりました。お坊さんの衣にしろお経の節にしろ、浄土宗のかたちに忠実な印象です。同唱十念も一緒だけれど、ただし十念の唱え方がけっこう違いました。
その後は本堂の外に出て、いよいよ御廟所での踊り念仏に加わりました。今年から一般の参加をはじめて受け入れることにしたそうで、当寺の踊り念仏を担われている一遍会の皆さんの間々に、私たち探究会メンバーも入れていただく。事前稽古で確認した通り、前後左右にステップを踏みながら男女交互にお念仏を唱えるのですが、見ず知らずの人たちと、からだを動かしながら声を出すのが楽しいこと楽しいこと。先日も書いたように、踊り念仏には主体の輪郭が曖昧になって、場それ自体が立ち上がってくる作用があるように思うのですが、みんなで円になって声と動きを交える様は、なんともポジティブな明るい空気に満ちていました。
そして、たまたま私の隣に並んだ、一遍会のおばあさんの念仏のすさまじかったこと。かなりご高齢で、もちろん声は嗄れているし、か細くて弱々しいのです。お世辞にも良い声だとは言えません。しかし彼女が踊りながら念仏を歌うように唱えるだけで、隣にいるこちらが涙ぐんでしまうほどのドラマが見えてくるんですね。きっとご本人は意識されてなさそうですが、明らかに阿弥陀さんに全てをお任せしている、その生き様がこちらに伝わってくる。阿弥陀さんとともに長年歩んできた者にしか発せない、そういう種類の稀有なドラマでした。