18/9/21 「自業自得」の真意
ブッダの教えを突き詰めていくと、私たちがサッと思い浮かべる道徳的な善悪とか正義とかに絶対の価値はありません。善悪や正義はあくまで「作りもの」であって、時代ごとにコロコロ変わったりもしますし(戦争中は敵国に対する殺人行為が善になります)、正義を支持することで他人を悪質に攻撃することも可能です。
とはいえ、そうした危険性には熟知しつつ、だからと言って何をやってもいい訳ではありませんね。初期仏教において「一切の悪をなさないこと、善を具えること、自らの心を清めること、これが諸仏の教えである」と言われるように、私たちが避けるべき悪行とは、仏教ではたとえば以下のように示されます。
1、生き物を殺すこと
1、与えられないものを取ること(盗み)
1、性的快楽における誤った行為(配偶者以外との性行為)
1、虚言
1、中傷の言葉
1、粗暴な言葉
1、軽薄な駄弁
1、(放逸の原因となるような)飲酒をすること
などなど。逆に善行とは、これらの項目から離れることを指すそうです。何をするべきかではなく、何をしないべきかが決まっているんですね。時代の変化とともに一定の議論が必要な項目もあると思われますが、基本的に多くの人が納得できる内容かと思います。そしてまた多くの人が、これらの項目のいずれかを行ってしまった覚えがあるのではないでしょうか。
善いことをすれば善い結果、悪いことをすれば悪い結果をもたらすという「自業自得」は、現在では他者の責任を追求し、非難するために使われるようになりましたが、元々は自らの行いを自らが正すべく発された言葉であって、他者を非難するために使うのは本末転倒もいいところです。自分の行いを変えられるのは、最終的には自分しかいない。それに気づいたならば、日々淡々と、悪を避けるように努めてまいりましょう。