18/9/13 神仏という「外部」

 友人の櫨畑敦子さんの著作『ふつうの非婚出産』出版記念で、櫨畑さんと釈徹宗先生のトークイベント@スタンダードブックストアに。宗教から家族まで、釈先生の博識から色んな話題が引き出される楽しい時間でした。

 私も20代半ばくらいまで、神とか仏と関わりを持たない方が自分らしく生きられるはずだと、宗教を信じることは自己を放棄することだと思っていたんですけど、お坊さんになってみて実感するのはむしろ逆で、仏と関わりを持つことでだんだん自分らしく生きられるように感じているということです。『ふつうの非婚出産』を読んでも、彼女がキリスト教の洗礼を受けるまでの記述が特に印象的で、個人的な経験からしても共感するのでした。

 なぜ自分らしく生きるのに、神仏のような「外部」が必要なのか。それはあらゆる人間が実は大方「外部」によって動かされているからで(たとえば言語とか習慣がそうですが)、しかし半ば自動的に動かされているのを、「わたしの意志」や「本当のわたし」に依る生き方であるとすり替える、すり替えさせられる状況を強制されているからだと考えます。神仏と関わりを持つことで「外部」から現実を相対化して見る、その軸を立ち上げるということは、一周して現実をありのままに見ることに近いのかもしれません。

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