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ハイヒール

密かに憧れながらも遠ざけているもののひとつにハイヒールがある。
履いているひとの立ち姿をすらりとして見せ、尖りつつも甘さがあり、歩くたびにコツコツと軽快に響かせながらどこかちょっと神経質そうに聞こえる音。憧れる。憧れるけれど、でもどうしても履けない。自分の足の形にあわない。いや、悲しいことに大抵の靴が足にあわない。なにせ偏平足。そして幅広。靴擦れもよく起こす。なにより、一日の歩数が8000~10000歩の人間にとって、ハイヒールどころか3センチ程度のヒールですら厳しい。どちらかといえば、ちょっとの重さはありつつも動きやすく、雨風や歩数の多さに簡単にはへたれない柔らかい革靴の方があっている。よくわかっている。

ハイヒールに憧れを持った理由は、三浦春馬がミュージカルで真っ赤なキンキーブーツを履くドラァグクイーンを演じている姿を何かの映像でみたからだ。あんなにも妖艶で迫力があり、なおかつ舞台の端から端まで歌って踊る力強さ。ほんの一場面しかない映像でもあんなに魅入られるなんて思いもしなかった。どれほど血の滲むような努力をされたのか計り知れない。とにかく、その颯爽とした『迷いのない女ぶり』と、その象徴たるキンキーブーツにすっかりと心を奪われた。しかし実際に履くことは無理で、履いたとて生まれたての小鹿よろしく、歩くのはおろか立ち上がることすらままならないのは想像に難くない。こちとら3センチのヒールにですら生まれたての小鹿ぞ。

そんな状況にも関わらず、着物の羽織と洋装を合わせるという邪道な服ーー自分では邪道だと思っていないけれど伝統的な和装を心から愛する方にはちょっと苦い顔をされるーーの組み合わせを眺め、色合いと服のバランス的にヒールの方がより良いという結論に達し、血迷った一瞬で3センチよりもはるかに高い7センチのヒールを買ってしまった。鮮やかなレモンカラー。それだけでも可愛い。とても可愛い。見ているだけでも満足するくらいには。

服に合わせて買ったのだから見ているだけではなくちゃんと履けと自分の中の自分が突っ込んだので実際に履いた。おそるおそる。案の定、立ち上がる動作が情けない。壁に手をついて這いながら立っている。ぜんぜん颯爽としていない。堂々ともしていない。迫力に欠ける。立つだけでぷるぷるするなんて哀れにも程がある。生まれたての小鹿ですら数分も経てば野を駆け回るというのに。

それでも頑張って近くの公園まで歩いてみたけれど、これもまた案の定靴擦れを起こしてしまった。見事に腫れた指先と踵に軟膏を塗りながら、レモンカラーのヒールは吐き潰されることもなく、うつくしい形を保ったまま靴箱の中にしまわれることになったのだった。

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