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齋藤愼爾氏を悼む
俳人・深夜叢書社社主の齋藤愼爾氏が、3月28日に亡くなった。
齋藤氏は今年初頭、第23回現代俳句大賞を受賞されていた。
俳句実作、俳句批評、俳句関連書の企画編集など、長年にわたる俳句界への多面的な貢献が高く評価されての授賞だった。
3月18日に開かれた現代俳句協会年度総会内で行われた授賞式にご本人が出席できるか否か、齋藤氏と周りの方々は最後まで検討されていた。しかし体調が整わずに当日は欠席され、「受賞の言葉」を代読という形になった。
その場に出席していた私は、齋藤氏を慕う方々に後で知らせてあげようと、小林貴子現代俳句協会副会長が読まれた次の言葉を記録していた。
受賞の言葉に代えて
私が俳句を始めたのは、高校時代です。私は初めから俳句を文学として選んでいました。周りを見ると、俳句は趣味でやるものだという雰囲気でした。そういう意識が作者本人にもあって、「文学としての俳句」というふうに考えている人はあまりいませんでした。また、俳句の世界では、師弟関係がはっきりしていました。その家元制度のような師匠と弟子との関係性は、文学からは非常に離れていると感じました。しかし、俳句というものは純然たる文学であるべきだ、という思いで私は俳句を始めたし、もしそうでないなら、そんな状況を変えていきたいという気持ちがずっとありました。今回、現代俳句大賞をいただいたことを、とても嬉しく思います。どうもありがとうございました。
2023年3月15日 談 齋藤愼爾
欠席を判断した、授賞式3日前に語られた言葉だろう。
今となっては齋藤氏の遺言になってしまった。
齋藤氏が俳句を始めてからこの世を去るまでの、俳句文学に対する一貫した態度が凝縮されている。
特徴的だと思うのは、周りの「雰囲気」と「作者本人の意識」を分けて考えているところだ。大多数により既に一つの雰囲気が生成されているとしても、作家個人の意識はそこから独立して存在しているべきだ。
齋藤氏は他者に対して厳しい批評を行ったようでいて、最も厳しく矛先が向いていたのは自己自身に対してだったのだろう。そして齋藤氏が醸し出す人としての温かみは、そのような孤独な内省の深奥から発せられていたように思う。
私の第一句集『青水草』(2022年5月)の帯文と帯裏の選句は齋藤愼爾氏に依頼し、引き受けていただいた。そのご恩は私にとって底知れない。
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齋藤愼爾氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。