PS.ありがとう 6分の4話
PS.ありがとう
6分の1話
6分の2話
6分の3話
6分の4話
6分の5話
6分の6話(最終話)
「わかった、今からしとくよ。その農場さキタサンブラックに縁がある農場らしいから、まいいか、そんなことは。あ、それと今日は今から懇親会あるからさ、ご飯はいいから」
「りょーかい、あんまり遅くならないでね」
「はーい」
電話が切れた。どいうつもりなんだろう。どうせ浮気してるんでしょ、頭の中で半分ずつ祐輔の味方と敵がいる。祐輔のことを信じたいという味方と、浮気してるんでしょと言う敵だが、キタサンブラックに縁のある農場と知り合いなら味方になるしかない、そう思った自分に、嘘だろ、と突っ込みを入れた。
急いで食事を作った。もちろん届いた野菜を中心に、子供が食べられる料理だ。食事は子供に合わせるのが基本だ。
「まま、おいしい」
「ありがと、そうやって言ってくれるのは美羽だけだよ」
「お姉ちゃんは?」
「私もおいしいよ、ママ、えこひいき」
最近は大人みたいなことを言うようになった晴香を二度見した。
「わかってるよ、晴香は美味しいと思ってると思ってるから、美羽に言ったの。ありがとう晴香」
満足そうに晴香が笑った。
瑤子の胸の中で幸せが広がった。子供が悩む姿は見たくないのは当然のことだ。そして笑顔を見て幸せな気持ちにならない親はいないだろう。
体中に充満した幸せを感じながら野菜のことを思い出した。
「まさか、だよね」
「なーに?まさかって」
美羽の耳に入ったみたいだった。
「まさかね、こんなにおいしいとは思わなかったからね」
瑤子が慌ててとぼけた。
「そうだよ、ママの料理おいしい」と美羽。
「私もママの料理はおいしいと思う」
晴香が答えた。一人仲間外れになるのが嫌なのだろう。
「ありがとう、晴香と美羽がそう言ってくれると明日からまたおいしい料理つくろうかなって、思うよ。だからどんどんほめてね」
「いいよー」
今自分はとても幸せな時間を過ごしているはずだ。子供達との会話が明日への活力になる。
寝室で子供たちが寝入ったのを確認すると瑤子はリビングに戻り、パソコンを立ち上げた。テレビも電源を入れた。ボリュームを聞こえる範囲の限界まで下げた。すべてを手際よく行った。
こんなことあっていいのか、冷静になる方が無理だろう。もしキツネにつままれることがあるとしたら今がそうだろう、と瑤子は青い画面を見ながら思った。
願いをかなえてくれるという便せんに感謝の意を込めて手紙をかけば、願いが叶う。これはいけるという気持ちと、ただの偶然だという気持ちが交錯していた。
ペンをとり便せんを広げた。なんでもいい、もう一度確認しよう。
“ディズニー 入場券”と検索し画像を画面に映し出した。
今日は美里ちゃんママへの手紙だ。
“以前もらった抽選券で電子レンジが当たりました。ちょうど欲しいと思っていたから、とてもうれしかった。美羽ともどもこれからも仲良くしてね。”
簡単な手紙を書くのには慣れてきた。読み直す必要もないくらい短いがもう一度目を通す。フーッと大きなため息が出た。パソコンのモニターの中で笑っているミッキーマウスを確認しながら追加した。
“PS.ありがとう”
ディズニーランドなんていつぶりだろう。遠い記憶をたどる。園内を走る晴香の姿が浮かんだ。晴香がまだ幼児だったから5、6年ぶりだろう。きっとディズニーの入場券も手に入るだろう、瑤子には不思議と確信があった。
折りたたんだ手紙を両手で持つと、お祈りをするように手紙に向かって頭を下げた。瑤子は手紙をテーブルに置くと、パソコンのキーボードを叩いた。
“しわ伸ばしクリーム”
以前テレビショッピングで宣伝していたクリームだ。60歳代の女性が30代に見えた代物だ。最近、ほうれい線が気になり始めた。色々試してきたが、あのクリームは効果があると踏んでいた。そして同じく手紙の効果も間違いないだろう。
“レイナちゃんママいつも気にかけてくれてありがとう。これを読んでる頃はきっと祐輔さんの不倫を確認できてるね。私もおかげで東京に同行できそうやわ。うまくいったら美味しいもの食べに行こうな。”
レストランで祐輔が女性といるところが浮かんだ。密談をしているところをスマホで隠し撮りしている自分もそこにいる。まるで探偵にでもなった気分だ。
そこさえ押さえておけば東京行きは確実なものになるだろう。胸の中で期待が膨らむ。目じりが下がるのが自分でもわかった。
“PS.ありがとう”
おまじないの一言を付け加えて手紙を折りたたんだ。この日は朝方まで頭が冴えまくって、深く眠れなかった。
レイナちゃんママに教えてもらいレストランの向かいにあるカフェでその時が来るまで時間をつぶすことにした。晩御飯は作ってある。お風呂はママが帰るまでは待つように晴香に伝えてある。
レイナちゃんママの指定する席に座り、こっそり祐輔の浮気現場を撮影する。それさえできればもうこっちのものだ。映像をもとに東京行きを直談判する。不倫のことは許すし、子供には黙っておくと言えば、祐輔なら仕方なく賛成してくれるだろう。
ワクワクが止まらない。夫の浮気を喜ぶなんてどうかしている、少し前ならそう思っていただろう。夫が浮気している事実を知って喜ぶ妻がこの世にはいるのだ、自分がそういう立場になってわかった。
自分の場合はまだましだろう。話しかければ冗談も返してくれるのだから。それでも不倫していたら仕方がない、そう思っている。なぜなら夫婦の関係はうまくいっているとは思えない。
夫婦の営みがない、というだけではない、子供のことには祐輔はノータッチに等しい。本当はもっとみんなと話をして関係性を持ってもらった方がいい。でも今は仕方がない部分もある。もともと大阪にあった本店を東京に移転させる、祐輔はその計画のプロジェクトリーダーという立場だ。今のところはさすがに、もっと家のことも見てよ、とは言いにくい。
だからと言って不倫を認めるわけではない。そしてこんなに忙しい時に不倫をしている、祐輔はそんな自分本位な人ではないと思っている。ある部分そうではないことを信じている自分がいる。
じゃあ自分は何をしたいのだろう。答えは明らかだ。たとえ事実ではなかったとしても東京行きを実現したいだけだ。例え勘違いだったということになっても、気持ちはわかってもらえる、そんな甘い気持ちも奥底にはある。よっぽど自分の方が小さくて汚い人間だ。それくらいはわかっていた。それでも東京に行きたい。
瑤子は祐輔に顔がばれないように、マスクにサングラス、ふちの大きな帽子をかぶっていた。まるで大物女優みたいだ。カフェの窓側の席に座りレストランの入り口を見ていた。6時50分位から見ているが祐輔の姿はいっこうに現れない。
時計は7時20分を過ぎている。7時には来るといっていたはずだ。約束がなくなったのか?不安になった瑤子はレイナちゃんママにラインを入れた。
「まだ来んよね。私が見逃しているってことないかな?」
レイナちゃんママからは5分位して返事が来た。
“まだ来んのよ。私の聞き間違いやないとええんやけど。もう少し待ってみて。私も来たらすぐにライン入れるから“
やはり来ていないのか。心が灰色になっていく。このまま来なければ東京行きが遠のく気がした。そう思ったところで、2人のカップルがレストランに入って行くのが見えた。時間は7時半をすぎたところだ。
スーツ姿の男は祐輔に間違いなかった。女性は白いブラウスに薄いピンクのスカーフを巻いている。上品な感じのする女性だった。
「私の方が魅力があると思うんだけどなあ」
独り言を言いながら席を立ち、レジで支払いを済ませると横断歩道を渡った。
「今入るの確認したから、今から行くわ」
レイナちゃんママは見る暇がないだろうと思いながらも、一応ラインを入れておいた。
瑤子がレストランに入るとレイナちゃんママが駆け寄ってきた。
「いらっしゃいませ」
そう言いながらレイナちゃんママが目配せをした。
「ついてきて」
レイナちゃんママは小声でそう言いながら店の奥に進んでいく。瑤子は黙って後を追った。レストランはとても広く、祐輔は店の角に当たる席に座っていた。祐輔たちの横を右に曲がりさらに奥に進んだ。さすがに横を通るときは顔を伏せた。
レイナちゃんママが案内してくれたのは、祐輔の背中側から3席奥の4人掛けの席だった。後ろには二席しかない。
「祐輔さんが気が付くといかんから、背中側の方がええかと思って」
メニューを手渡しながらレイナちゃんママが話しかけてくる。
「私もその方がいいと思う。ありがとう、あ、それとこれね」
前日にしたためていた手紙を手渡した。
「ご飯は食べてきたから、アイスコーヒーをお願いね」
「アイスコーヒーを一つですね」
レイナちゃんママが仕事用の顔に戻ったのがマスク越しにわかった。
じっと見てるのも変だから、持ってきた雑誌を読むふりをしながら、祐輔たちをうかがう。長髪の女性はきれいな二重の目に鼻筋がすっとのび、とてもきれいな顔立ちをしていた。
「私の方がきれいよ、泥棒猫」
使ったことのない言葉がすらすら出てくる。ふと女性と目が合った気がした。女性がじっと瑤子を見ているようだ。祐輔も背後を気にし始めた様子だ。
まずい、思わず雑誌を立てて顔を隠した。少しずつ雑誌を降ろす。2人は元の姿勢に戻り談笑しているようだ。何がそんなに楽しいかね、心の先端が針のように尖っているのが自分でもわかる。
「アイスコーヒーをお持ちしました」
レイナちゃんママとは違うウエイトレスが、アイスコーヒーを瑤子の前に置いた。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか」
「はい大丈夫です」
ウエイトレスがいなくなり、ふと考えた。これをどうやって飲もうか。万が一のことを考えると帽子もサングラスもとりたくない。当然マスクもだ。
仕方がないので、マスクを着けたまま口の下の隙間からストローを差し込んだ。ふと道路側を見ると、ガラスに自分の姿が映っていた。何かに追われている人にしか見えない。お店とは全くミスマッチの自分の姿に、思わずアイスコーヒーを吹き出しそうになった。
目を上げると、窓に気を取られている間に女性と祐輔がこちらを向いて何かを話していた。
なるべく顔が見えないように雑誌を立て、雑誌の上から様子を見る。明らかにこちらを見ながら話をしている。緊張に大粒の汗が額を流れ落ちる。
祐輔が立ち上がってこちらに向かってきた。思わず雑誌を立て顔を伏せる。横まで来る。足元を見るとテーブルの横で立ち止まっているのが確認できた。この格好で気が付かれないからいいのであって、店内でもマスクとサングラスと帽子を身に着けている状態でばれたとすれば、目も当てられない。
心臓の音が店中に聞こえている気がする。バレたら東京行きの説得もあったものじゃない。いや、逆に開き直って修羅場を演じるか。そんな考えは一瞬で消え失せる。自分にはそこまでする勇気もないことくらい知っている。ここで騒げば東京行きも祐輔への信頼も全てなくなるのだろう。下手すりゃ離婚も考えなければならないかもしれない。
腕の先からお尻まで緊張が走る。なかなか顔を上げられない。前方では女性がテーブルに着いたままこちらを指している。祐輔の足が進んだ。
サングラスの下から祐輔の足元を追う。祐輔はそのまま進み、店の端にあるトイレに入って行った。
トイレの場所を探していたのか。瑤子の後方をさらに右に曲がったところにトイレのマークが見えた。今まで来た時は使わなかったのだろうか。
見つかったわけではなかった。瑤子の体を支えていた支柱が一気に奪われたた気がした。一瞬で体中の力が抜ける。思わずため息がでた。あおむけになる体勢でソファに体を静めた。顔を上げて天井を見つめる。レストランの照明の柔らかさが心地よい。冷めた心を温めてくれる気がした。
しばらくして、祐輔がトイレから帰ってきて元の席に戻ったのを確認したら急に涙がこぼれてきた。いったい自分は何をしているのだろう。こんなことをして楽しいのか、ここまでしないと東京行きのことを祐輔に言えないのか。もはや夫婦関係は崩壊しているのか。色々な疑問が頭を渦巻いていた。疑問が感情になって胸の中で暴れている。
目を上げるとレイナちゃんママが心配そうにこちらを見ていた。目が合うと優しく笑って頷いてくれた。ここまでこれたのも奇跡に近い。レイナちゃんママの協力があるからだ。レイナちゃんママは私たちのことを考えてスパイみたいなことをしてくれている。やはりここは計画通り進めるべきだ、もう一度気持ちを持ち直した。
どのシーンで動画を撮ろうか。そう考えたらまた次の問題が発生した。怪しい自分はどのようにして2人にカメラを向けるのだろうか。勇み足でここまで来たのはいいが、バレないように証拠を押さえるのは難儀なことだというのが、今になってわかる。スクープ写真を撮っている人たちの苦労が身に染みて分かった気がした。
2人がウエイトレスを呼んでいるのが見えた。レイナちゃんママがあわてて2人のテーブルに駆け寄った。追加でオーダーしているようだ。今だ、瑤子は机の上に置いていたスマホを持つとカメラを立ち上げた。
雑誌の上からレンズの部分だけを出して、オーダーをしている2人を映す。何度も確認する祐輔の横顔もしっかり捕らえた。レンズの向こう側が週刊誌の1ページのようだ。
瑤子は数分撮るとテーブルにスマホを置いて動画を確認した。撮れた映像は納得のいくものだった。急いでアイスコーヒーを飲み干し、瑤子はレジに向かった。2人の席の横を通り過ぎる際はやはり顔を伏せた。帰って子供たちをお風呂に入れなければならない、晴香と美羽の顔が急に目の前に現れる。気持ちはすぐに切り替わっていた。
レジで支払いをしているとレイナちゃんママがきて、レジ打ちしている女性の横に並んだ。ウインクをしてくれている。ありがとう、そう心の中でつぶやいた。この世に味方がいるのはいいものだと思った。
自宅に帰ると二人がソファに寝転がってじゃれていた。
「ごめんねー、ちょっと遅くなったね。晴香だいじょうぶだった?」
「まかせて、美羽も寂しくなかったよね」
「うん、お姉ちゃんと留守番できるもん、今度は一人でも大丈夫だよ」
子供たちの笑顔が体中を駆け巡る。仕事をしている父親はこういうのにいやされるのだろう、甘い思いが笑顔といっしょに体に浸透していた。
子供たちが寝静まったのを確認すると瑤子はスマホの動画を再び確認していた。せっかく証拠が手に入っていたのに気持ちは重かった。一番気に障るのは女性が思っていた以上にきれいだったことだ。多少、ぶさいくであれば笑って済ませる気がした。
自分の方がきれいなはずだ、胸の中でもやもやしたものが大きくなる。
「祐輔のやろう」
思ってもない言葉が漏れる。思い返してみると、この半年は夫婦の営みもない。最後にしたのはいつだろう。体の温もりの記憶はたどっても蘇らなかった。祐輔を誘ってみたらどんな反応をするだろうか。あの女性とは男女の関係を持ったのだろうか。女性と抱き合っている祐輔を想像して気分がわるくなった。
果たして彼女とは男女の関係になったのだろうか。明確な理由はないが、それはないような気がする。
不倫現場を抑えたとは言っても食事に来ているだけだと言われれば、それで終わってしまうだろう。そんなちっぽけなネタしかつかんでいないことに気付かされる。
ただ祐輔のことだから実際に不倫していれば食事の現場を抑えられただけでも正直に白状するだろう、それくらいの誠実さは持っている人間のはずだ、気持ちだけは。果たして体はどうなのだろうか。
最近にしては珍しく、瑤子は祐輔の帰りを待つことにした。試してみよう。夫婦だ、試せば他の女性と体を重ねたかどうか位はわかるはずだ。
祐輔は終電の時間に帰ってきた。食事を済ませたことはラインで連絡が来ていた。仕事の打ち合わせだそうだ。当然現場を見ているから食事が終わっていることは知っている。どんな人といっしょに食べたのかも。あいにく名前まではわからないが。
祐輔が風呂に入るというので、先に寝室で待つことにした。久しぶりにセックスをするとなると、少し気持ちが高ぶった。心臓が高鳴るのがわかる。初めて男性とベッドを共にした時の気持ちに戻った気がした。瑤子は体が熱くなるのを感じた。思わず手が体のあらゆるところに触れていた。そんなことをしているうちに風呂上がりの祐輔が隣のベッドに入ったのがわかった。すっかり準備は整っていた。
すかさず瑤子が祐輔の横に滑り込む。
「わあ、びっくりするじゃん、起きてたの?」
祐輔が驚いて大きな声を出した。
「うん」
そう言って瑤子は祐輔の後ろから抱き着き、股間に手を伸ばした。そして思い切り祐輔の背中に胸を押し当てた。じわっと男性の背中を感じる。暗闇の中でこの場所だけがくっきりと切り取られた感覚になる。
自分たちだけの世界、これから何回経験できるのだろう。そう多くはないことは確かな気がする。訪れたチャンスを堪能しておくべきだ。
「たまにはいいでしょ?」
思い切り甘えた声で誘ってみた。十分に熱を持った体を処理するには、ここを押し切るしかない。
「あーだめだ、瑤子、最近疲れてるから、眠いんよ、今度たっぷりするからな、今日のところは許してくれ」
さっきまで他の女といたくせに、よく言うわ。瑤子は祐輔の冗談みたいに断るところもむかついた。思い切りお尻を叩くとすぐに自分の布団に戻った。
「いてー、おい憎しみがこもってるぞ」
「知ーらない、自分の胸に手を当てて考えてみて」
「何を言ってるのかよくわからんけど、まあいいや、今日は寝る」
本当に眠かったのか、祐輔はすぐに寝息を立て始めた。何事もないようにすやすや眠っている祐輔を見ると余計に腹が立ってきた。絶対に東京に行ってやる、瑤子は固く誓った。
手紙の効果はすぐに出た。美羽が美里ちゃんがくれたと言ってディズニーランドの招待券を持って帰った。封筒には手紙が入っていた。
“これ、たまたま主人が会社でもらったんだけどうち、この期間夏休みで実家に帰ってるから行けそうになくて。良かったらもらってください。”
確認すると8月1日から8月10日までの期間が印字されていた。この期間ならうちはいけるだろう。
美羽だけじゃなくて晴香ももらいものをしていた。
「優里ちゃんのお母さんがママに渡してって」
開封すると欲しかったしわ取りクリームが入っていた。手紙にはこう書いてあった。
“この前は自転車と交換してくれてありがとう。このクリームな、申し込んだら2つセットやったから1つ使ってくれる。私はもう一個のエクストラタイプじゃないと効果ないみたいやから、そっち申し込もうと思ってるんよ。だからお試しは一つで十分やわ。瑤子さんならもともときれいやからこれでいけると思うけど、使わんなら他の人にあげてもいいからね”
よっしゃ、瑤子は思わずガッツポーズをした。しわ取りクリームにではない、手紙の効果にだ。やっぱりこの便せんは不思議な力を持っている。便せんは本物だ。
こっちの世界とあっちの世界がつながった気がした。偶然でも不思議なことは都合のいいように考えてしまう。
便せんを手に取り眺める。
「素晴らしい友よ、いいね君」
便せん相手に話しかけてみた。もっと夢をかなえたいと思ったが、残り1枚だということにおととい気が付いた。記憶をたどったが、どこで買ってきたのかさえも忘れている。ネットで探したが、同じものはどこにもなかった。
あと1枚でこの思いもすることがなくなるのか。そう思うと少し寂しい気がしたが、この運命に頼るのも都合がよすぎるとも思っていた。
いっそのこと東京行きも便せんにしたためてみれば全てOKだ。そう考えた時もあったが、祐輔の不倫疑惑を解決したい。同時進行だ。
「ママ、今日もパパは遅いの?」
「そうねえ、パパはね仕事を頑張ってるから、遅いの」
そう言いながらもレストランで知らない女性と談笑している祐輔の横顔が浮かぶ。膨らんだ疑念で胸が爆発しそうだ。
「美羽、美羽とお姉ちゃんがちゃんとご飯食べていけるように、パパは仕事して、お金をもらってるからね、それだけ大変なんだよ」
吐き気がした。
「そうか、パパに感謝しないとね」
「そうだよー、ちゃんとパパにありがとうって言ってね」
そろそろ本当に吐きそうだ。
「わかった、今度会ったときね」
そう言うと美羽は寝息を立て始めた。
子供たちが寝入ったのを確認し、トイレに走った。人差し指をのどまで入れたが実際には吐かなかった。手足が体と切り離されて、ばらばらになったようだ。感情が体に影響するのは間違いない。
リビングに戻りパソコンを立ち上げた。寝静まってからは自分の時間だ。はたして、動画をつきつけるべきか。
「これは誰?どういう関係」
口にするが、何となく芝居じみている。食事の現場を抑えたことは悪いものではないが、仕事上の食事だと言われれば一巻の終わりだ。やはりホテルかマンションから手をつなぎながら出てきた、みたいな現場を抑えないと証拠にはならない。祐輔の性格からして、食事の場でも証拠を見せられれば嘘の上乗りをするような人間ではない。そう信じてきた。ここは彼の生真面目さに期待したいが、果たしてどうだろう、どうなるかはわからない。逃げられた場合はやっかいだ。
1つだけきっかけがあるとすれば7月1日だ。その日は瑤子の誕生日だ。東京行きは7月の下旬だから、誕生日をどう過ごすかを確認することはできる。あと数週間、別の意味で楽しみが増えた。
誕生日くらいは家にいるだろう。帰りが遅くなるようであれば不倫確定だ。そんな勝手なルールはないとも思いながら、東京行きのきっかけにはもってこいの理由になるとも思った。
そんなことを考えていると祐輔が帰ってきた。
「ただいま」
「お帰り、今日も忙しかったの?」
「ああ、東京行きまでもうあとひと月もないからな」
祐輔がリビングに入ると同時に、空気の色が変わる。
「今日はごはんあるからね」
食べてきたというのか。
「ああ、おなか減った。お、今日はカレーだな」
「あたり」
そんな無邪気な祐輔に自分がとても卑しく感じた。
「そういえばさ、祐輔、私と子供も一緒に東京に行って生活できないかな」
心臓が飛び出てきそうだった。なるべく長引かせたい質問だった。結論を先延ばしにして否定されないことをずっと祈っていたかったからだ。
だが、こっちにはいくばかりかの証拠がある。少し強気に出たつもりだ。
「どれくらい行きたいの?子供の学校も向こうにするの?」
「そ、そうね全て東京での生活にしたい」
「そか、もう単身赴任で話がすすんでるからなあ、とりあえず聞いてみるけど期待しないで。行けたら瑤子は幸せなのかな」
「もちろん、あ、でも無理しなくていいから」
想定外の優しい回答に少し戸惑ったのは確かだ。
「わかった」
祐輔がカレーを口に運ぶ。
わかったは、どれくらいのわかったなのか、聞きたかったがやめた。これ以上祐輔と会話をするのが無駄なような気がした。確実にダメになるのも怖かった。それに今はすっきりした返事はもらえそうにない。自分の気持ちも同時にすっきりしないままの状態が続くだけだ。我慢比べをしているようだ。
次は2人を尾行するか、数ヵ月前まではこんな探偵ごっこみたいなことをするなんて、夢にも思わなかった。夫が浮気をしているとなるとみんなこんなものなのだろうか。
PS.ありがとう 6分の5話へつづく
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