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PS.ありがとう 6分の2話
PS.ありがとう
6分の1話
6分の2話
6分の3話
6分の4話
6分の5話
6分の6話(最終話)
本当に短い手紙だったが、最後にありがとうと書く瞬間、体を電気が走ったような気がした。ありがとう、なんていい言葉だろう。
「これからも感謝せえへんとな」
心のコップから喜びみたいなものがあふれ出てくる。明日も頑張ろう。そう思うと大きなあくびが出た。
背中を疲労感がべったりと覆っている気がした。
「たまにはいいだろう」
祐輔が帰宅する前に床に就いた。
週末の北町商店街は思った以上の大盛況だった。ゴールデンウィークが終わったばかりだというのに、その余韻を忘れたくないのか、毎年商店街主催で「五月まつり」と称したイベントが行われている。見慣れているはずの肉屋さんや魚屋さん、花屋さんがどこかの国の市場のようだ。旅行に来たみたいで心が躍る。
ここ数年で大体の出店はわかっていた。かといって日常を楽しまない手はない。美羽の愉しむ姿を見ていると子供に戻ったような気持ちになる。このご時世だというのに、毎年来場人数は増えているようだ。
人込みの中を行き交う人とぶつからないように晴香と美羽の手を握り歩く。すでに汗が噴き出ていて、シャツが肌に張り付いている。
「ママ、お腹減った」
金魚すくいや的当てをして、満喫した美羽がさっきなら空腹を訴えている。
「もうちょっと待てるかなあ、抽選がもうすぐ始まるからね、ほら、あそこだよ、いいものが当たるといいね」
多くの人がステージを取り囲んでいる。晴香と美羽を引っ張るように人込みの中を突き進む。
白いステージの上に赤や黄色ピンクの彩の風船がたくさん浮かんでいる。子供にとっては宝物箱のように見えているに違いない。大人でも心が弾む。
「あら瑤子ちゃん、瑤子ちゃんもくじ引き来たん?」
後ろにいたおじさんの話声に交じって呼びかけてきたのは晴香のお友達のお母さんだった。
お友達の名前を思い出すのに時間がかかった。お母さんの名前はすぐに出てきた。美智子さんだ。
「美智子さん、お久しぶり。ああ、優里ちゃんも、晴香ほら優里ちゃん来てるよ」
「知ってるよ、さっきからいるから」
ふてくされたように晴香が言葉を吐いた。
そうだった、少し肩の力が抜ける。この年代の子供たちは大人が思う以上に結束力が強い。晴香の顔をまじまじと見ていると
「美智子さん、私ねあの自転車がほしいんよ、旦那がね、絶対とって来いって、うちら夫婦そろってな自転車すきやんかあ、だからどうしても取りたいねん」
丸々と太った美智子さんが自転車に乗る姿はなかなか想像できなかった。
勢いに押されそうだ。ステージの上には景品がずらりと並んでいる。割と高そうなものばかりだ。
自転車、大画面テレビ、自動掃除機、布団乾燥機、電子レンジ、包丁、お皿のセット、主婦寄りの商品が多いのは、イベントの戦略なのだろう、そんなことくらいはわかる。
主婦が集まるなら、必然的に夫や子供が付いてくるからだ。夫が行きたいと言っても、ついてきたくない主婦は多いだろう。
うちはどうなのだろう。祐輔の顔がうかぶ。しばらく考えていたがどうしても実感がない。私はついていくかな、いや駄目かなあ、祐輔浮気しているし。今日はイベントを楽しもう、そう誓った。
「今日はね晴れましたからね、遠くまでよく見えるんです」
「えーーどのくらい見えるんですか」
「ちょっとハワイまで」
会場がどっと笑いに包まれる。抽選会場のステージの前は多くの女性と子供であふれている。まるでアイドルのライブでも始まりそうな勢いだ。
赤いジャケットに白のスラックス、黒縁眼鏡という、一昔前のバラエティ番組から飛び出してきたような男性が楽しそうにしゃべっている。顔は背の高いネズミ男といった感じだ。
アシスタントの女性は少し控えめな感じで、自分からしゃべるというより、男性MCがしゃべったことに対応しているという感じだ。長い髪が風になびいて清々しさを演出している。
「こんなに明るいとね、会場に来ている奥様達が良―く見えますねん、困りますわ」
「えーどうしてですかー」
打ち合わせをしたのかわからない。わかるのは女性も男性の話を楽しそうに聞いている、ということだ。
「まぶしすぎて目がやられてまう」
会場が一斉に笑顔で包まれた。嘘だとわかっていても女性はそういう言葉には弱い。
「ねえ、瑤子さんは何をねらってんの?」
美智子さんからそう言われると思い当たるものがなかった。もらった抽選券だからあまり想いがなかったかもしれない。美智子さんから言われて、ステージの端に置かれている商品を目を細めて確認する。
あった。毎晩祐輔の帰りを待つ間、恋焦がれていた魔男のような存在の、ちょっと怪しくも凛々しい姿を見つけたのだ。
「ちょうどねレンジが壊れたところやったんよ、電子レンジが当たるといいかな」
電子レンジを新調することイコール東京行きは終わり、だと思っていたので、無理に考えないようにしていたのかもしれない。こうなればどうでもいい、新しい電子レンジが欲しい。ステージの電子レンジが他のどの景品よりも光って見えた。
「では今から抽選を始めます、今回はねどうですか、豪華ですなー、どうこれこの自転車」
そう言ってねずみ男は電子レンジを手で軽くたたいた。会場が爆笑に包まれた。そんなに叩かないで、と、瑤子は笑いより心配の方が大きい。
「佐藤さん、それは自転車じゃなくて電子レンジ。こっちが本物の自転車ね」
女性MCはそう言って左手で大型テレビをさわった。
会場は笑いが止まらない。
「ええわーあれ欲しい」
横で美智子さんが思わず声を漏らした。その視線は自転車から離れない。
10分くらい商品の紹介が続いた。その間美智子さんから今まで乗り継いできた自転車の話を聞かされた。まるで自分の子供のことでも話すような美智子さんが少しかわいく見えた。
「では、いよいよいきましょか」
満面の笑顔を浮かべてねずみ男がアシスタントに振る。
「はい、では今回抽選していただくのはこちらの方です」
紹介があって会場の左端から走って出てきたのは、関西で今人気急上昇中の芸人、一等一番だった。
「はい、愛には愛を目には目を、あなたの心は僕に首ったけ、今日も元気な一等一番でーす」
会場が笑いに包まれる。一等一番が出てくると子供たちが最前列に走って行った。ジャージ姿にパンダの耳を頭につけたキャラが子供達には大人気のお笑い芸人だ。
一等一番はステージの真ん中にくると、持ちネタの「開け、気を付け、前にならい、直れ、では、休め」を披露した。一等一番が右足を出してやすめの姿勢をとると、テレビで見ているから知っているのだろう、号令に合わせてそこにいる子供たちが一斉に休めの姿勢をとった。
横から見ていてもほほえましい光景だった。
ただでさえ親の言うことを聞かない子供たちをここまで手なずけるとは、テレビの力は恐ろしいものだと改めて思った。
「今日はいつもに増して元気やなー」
MCのねずみ男が一等一番に振る。
「だってこの街は私の実家がありますからー」
会場から拍手が起きた。関西人には一等一番が大阪のとある町の出身だということは周知のことだ。
「では、一等一番さん、抽選をお願いします。会場の皆さん、先日商店街でもらった抽選権を手元にご準備ください。今から商品ごとに抽選していきます。では、一等一番さんこちらをどうぞ」
その言葉を合図に、横から2りがかりで、赤くて大きな箱がステージ中央に運び込まれた。箱は1メートル四方はあるだろう。いくらイベントを大きく見せたいといっても少し大きすぎるのではないかと思った。
「はい、一等一番ひかせていただきます」と一等一番。
「まずは冷蔵庫の当たりくじを引かせていただきます」
そういって女性MCが一等一番を箱の前に促した。
箱の前に来た一等一番が箱を覗き込むと、最前列の子供たちが一斉に笑った。一等一番は箱に手をいれるが、箱が大きいために、中の紙を手に取るのに箱の上に体を乗せなければならない。一等一番が箱に乗る姿を見て、子供たちは大喜びだ。
ほとんど箱にすいこまれるような体勢で紙をぬきとると、その勢いで箱の後ろに倒れこんだ。その姿も爆笑に変わる。
「えーっと、Aの99833の方です」
会場の大人たちが一気にどよめく。
瑤子は、冷蔵庫でもあたると嬉しいなという気持ちと、ここで当たらないでという複雑な思いで抽選券を財布から取り出した。
良かったのかはわからないが外れだった。ほっとしながら、いったい自分は何がしたいんだろうと思った。
「では、次はこのテレビの抽選を行います」
女性アナウンサーが髪を風になびかせながらイベントを進行する。
「それテレビやったん?自転車かと思ったわ」
ねずみ男がそう言うと会場が大爆笑に包まれる。イベントだからか、ここにいる全員が浮かれている。それを見て、瑤子も楽しい波に乗っかろうと思った。気を許せる、というのはこういうことなのだろうか。今までそんなことを思ったことがなかったから、余計にこの時間を大切にしたいと思った。
いい思いに浸っていると後ろから肩を叩かれた。
「美羽ちゃんママ」
振り返るとレイナちゃんママだった。
胸のあたりが重くなる。この前祐輔の浮気疑惑を教えてくれたばかりだ。
「ちょっとええ?」
せっかく抽選を楽しんでいるのにという気持ちがあったが、レイナちゃんママとは結託していたい、瞬間的にそう思った。話は正直言って聞きたい。子供は楽しんでいるから美智子さんに預けようと思った。
「美智子さん、ちょっとだけ子供みといてくれへん」
「ええよ、ええよ、ここにおるから話しておいで」
美智子さんに頭を下げて晴香の肩に手をかけた。
「晴香、すぐ帰ってくるから、優里ちゃんのお母さんといっしょにいてくれる。美羽の手を離したらだめだからね」
「わかってるよ、大丈夫」
晴香が大きく見えた。最近美羽のことをすすんで見てくれるようになったのはとても助かる。姉としての自覚ができてきたのだろう。
振り返りレイナちゃんママの後を追う。ずいぶんと人が集まったものだ。自分たちの前にいる人より、後ろの人の方が明らかに多かった。知らない人の肩にぶつかりながらも隙間をぬって、やっと集団から抜け出した。
広場の入口を出て近くのベンチに二人腰かけた。座るとエサをもらえると思ったのか、ハトが一斉に寄ってきた。もちろんエサなどない。
「あのな」
そう言ってレイナちゃんママが瑤子の目を確認する。
「これ、決して告げ口と思わんといてほしいんやけど」
やはり祐輔のことだ。あえてこの時間はそのことだけは考えまいとしていたが、レイナちゃんママは本気で警告してくれていると思っているから、瑤子は素直に聞くことにした。
「ええよ、何でも言ってって言ったやろ。この前の件もありがたいと思ってるんよ」
ここ数ヵ月祐輔の様子がおかしいと思っていた。思っていても聞けないことがある。別に知らなくてもいい。知ると傷ついた心は二度と立ち直れないきがしていたからだ。だが、レイナちゃんママから女性と会っていたと聞いた時、思ったほどのショックはなかった。自分でも驚いた。
祐輔が東京に転勤になる。一緒に行きたいと言ったら反対された。浮気していることをネタに一緒についていく理由ができたとまで思った。
「あのな、実は昨日な、祐輔さん見たんよ」
「また来たん?お店に」
やはり浮気は確定だ。
「いやちがうねん、西町商店街のな不動産屋に入って行ってたわ」
「不動産?なんで?」
「そんなんわかるわけないやろ。でも、その女の部屋か一緒に暮らす部屋を探してるって思うのが普通やない?色んなこと想像してしまってな」
レイナちゃんママの語気が強くなった気がした。
「はっきりさせた方がいいんちゃうかなって、思ってね。でも別れるっていう意味じゃないんよ。きちんと謝罪させて、二度とその女と会わんて約束させる。私、今、バツイチだし、母子家庭やんかあ、色々大変やし、でもな、一番かわいそうなのは子供なんよ。自分のことなら我慢できるけどな、子供の気持ち考えるとつらいんよ。この前も言ったけど美羽ママ、離婚は反対やからね」
レイナちゃんママの目が赤くにじんだ気がした。
「わかっとるよ、ありがとうね、そこまで心配してくれて」
会場の方から爆笑する声が聞こえた。お笑い芸人がドカンと受けた時の表現をするが、爆笑している声が聞こえた時に、本当にドカンと爆発した気がした。
「大丈夫、私は離婚する気はないから、何とか白状させてな東京に行こうって思ってるんよ」
「東京?」
充血した目が大きく開いた。
「祐輔さんがな東京に転勤になってん。私な、東京で生活したくて大学も就職も東京を選んだんよ。祐輔さんもそう、最初は東京で就職したんよ。こっちは転勤で来た。本社が大阪やったし、東京支店から大阪いうたら栄転やからね。でもまた東京に戻れるって思うと、一緒に行きたくてな」
日頃思っていても誰にも言えないことがすらすらと出てきた。ずっと誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。
「そうなん、初耳やわ。そうなんか、いなくなったら寂しくなるけど、美羽ちゃんママがそれを望むんならそれでいいと思うわ。とにかく離婚だけはせんでな」
話が落ち着いたところで急いで美羽たちの元に戻る。会場内は相変わらずの盛り上がりだった。灰色の気持ちが急に明るくなる。次は電子レンジの抽選だった。
「瑤子さん、間に合ってよかったわ、今から電子レンジの抽選よ。あ、この子たちええ子やったよ、、ずっとここから離れへんかったわ」
美智子さんが興奮気味に状況を教えてくれた。晴香と美羽が優里ちゃんといっしょに手をつないでいた。退屈なはずなのに、楽しそうに話をしている。
「優里ちゃん晴香、ありがとうね、美羽の面倒みてくれて」
優里ちゃんと晴香が同時に笑った。
ステージの上では一等一番がこの環境にすっかりなじんだ様子で、マイクを手にしている。
「電子レンジの番号はCの30981です」
一等一番が笑顔で発表した。
抽選権の番号はCではなかったから瑤子は見なくても自分ではないとわかった。電子レンジが当たらなかったってことは東京に行けってことね、勝手にいいように考えた。
「ちょっと瑤子さん、これ見て」
美智子さんが抽選券を差し出してきた。美智子さんの抽選券に書かれていたのは電子レンジのあたり番号だった。
「ちょっと、申し訳ないわ、瑤子さんが欲しがっていたレンジやもんね。でももらわないともったいないから、もらってくるわね」
「ええよ、気にせんで」
電子レンジを逃した。これからは東京行きに力を注いだ方がいいようだ。今まで重く閉じていたカーテンが急に開いた気がした。
東京には祐輔が単身赴任でいくと言っている。たぶん会社でもその段取りがすすんでいるはずだ。
でも、こっちには最後の砦がある、浮気を原因にして東京行を迫ろう。この気持ちだけは揺るがない、とっさにそう誓った。
「お名前を教えていただいてもいいですか?」
ステージ上で電子レンジの授与が行われている。
「小林です」
緊張しているのか、想像以上に美智子さんは言葉が少ない。
「電子レンジは希望されていたんですか?」
「いいえ、私は自転車が欲しかったんですよー」
会場が爆笑に包まれる。ねずみ男も笑っている。
「それが自転車やろー」
会場の誰かが言った言葉でさらに会場が笑いに包まれた。この笑いはきらいではない。もし東京に行って後悔するとしたら、関西のこのノリの良さと直接接することができなくなることだろう。関西も楽しかったなあ。瑤子は勝手に東京行が決まったような気になっていた。
「高級電子レンジですからね、とにかくおめでとうございます。では手続きがありますので、小林さんは裏にどうぞ」
MC二人は早々に美智子さんをステージ端に促した。
PS.ありがとう 6分の3話へつづく