遠望16
山を降り、町に入ると隣り合わせに座っているロバートと由季子が窓の外へ釘付けになった。バスに乗った時から手を握り続けている二人の姿が愛おしくて大筒は無口になって二人を見ている自分に気がついた。
「どうですか、十七年ぶりの町並みは。かなり変貌していると思いますが」
ロバートの肩に頬をつけて外を見ていた由季子が体を戻して大筒を見た。
「街の姿はね、テレビでよく見ているから変わったなぁとはあまり感じないんだけど、みんな背が高くなったわねぇ〜。康一や美貴はロバートの血が入っているから背が高いと思うんだけど、日本人も高い人が多くなったのね〜」
由季子の意外な感想に三宅は大筒を見た。
「いえ、大筒さんのようにずんぐりむっくりもまだまだ多く生息していますけど。それにしても景色を見ていらっしゃるのかと思っていましたが、人を見ていたんですか。そうか〜。人か〜」
「生息って」とつぶやく大筒にロバートが「僕はね」と言って、また窓の外を見て話しだしたがこれまでに聞いた事の無い悲しく響く声だった。
「僕はね、明るい時間に街にいるのが初めてだから。嬉しいなぁ。とっても嬉しいよ。だけどね、なんで僕は街に降りなかったんだろう、なんで僕は人前に出なかったんだろうって考えてたんだ。戦争が終わった後は山で隠れて暮らす必要はなかったのになんでだろうって。街に入ってからずっと考えてた。そして、さっきその理由が分かったんだ。アメリカが起こす次の戦争に絶対に参加したくない。戦争でも人を殺す事は絶対にしたくないという気持ちで僕は山を降りなかったけど、でも、もう一つ大きな理由があった。それに今、僕は気がついたんだ」
車窓に流れる雨が横に流れて行く様を追って行くとロバートの後ろ姿で止まる。手前の由季子がロバートの背中をさすっているのを見て大筒は胸が締め付けられそして緊張した。
「僕は、僕は由季子さんのお父さんが怖かったんだ。由季子さんのお父さんに僕の姿を見られるのがとっても怖かったんだ。僕を見たら由季子さんのお父さんは絶対に由季子さんを僕から奪っていったはずなんだ。だから僕は隠れたんだ。由季子さんのお父さんが死んだ後はもっと怖くなった。お父さんに隠れてきたことの全部を見られているかもと思うと怖くなった。僕は、由季子さんと離れたくなかったんだ。僕は一人ぼっちになりたくなかったんだ」
姫野が両手で顔を覆いながら泣いている姿が見えて大筒も涙があふれてきた。三宅は顔を上げてバスの天井を見上げている。
「お爺ちゃん、いいのよ。ずっと山にいてよかったのよ。お爺ちゃんとお婆ちゃんの二人がいたから越谷家のみんながいられたんだから。二人がお父さんを生んでくれたから正一お爺ちゃんと三恵子お婆ちゃんは、お父さんを育てる生き甲斐がうまれたんだもの。戦争でも人を殺さなかったお爺ちゃんだからこそ、お婆ちゃんを愛して守ってきたから私たちは胸を張って記者発表にのぞめるのよ。ずっと山にいてよかったのよ」
美貴の言葉に姫野が声を上げて泣いた。涙をこらえて上を向いていた三宅が姫野の手を取り、バスの中にいる全員に姫野への愛を伝えるかのように言葉を絞り出した。
「人を殺さないということは、人を愛するということと一緒なんですね。でも、どっちもロバートさんの覚悟する心はもの凄いです。それを世界へ向けて発信できるなんて放送人としてホントに僕たちは光栄です」
大筒はぼろぼろ泣きながら何度も何度も大きくうなづいた。
マイクロバスが康一の家に着き、広い敷地の前庭にそのまま入った。
傷む膝をさすりながら大筒が立ち上がり、
「いよいよ明日は全国への報道を開始します。我が社から一斉に国内、国外の報道機関へニュースを配信します。ただ、アメリカ大使館へは昨日連絡を入れました。明日の十一時に大使館の方が我が社へ来られますので十時頃にお迎えに参ります。日本語の堪能な方が来られるそうです」
「僕と美貴もいたほうがいいんですか?」
「はい、おられたほうがいいと思います。アメリカのスタンスが私たちも分かりませんので一緒にいて聞かれたほうがいいと思います」
「分かりました。ではまた明日。みなさん今日はありがとうございました。皆さんのお陰で十七年ぶりに家族が揃いました。明日からどうなるか分かりませんが今日だけは家族でゆっくりします」
美貴が「あ、正一お爺ちゃんと三恵子お婆ちゃんが出てきた」と言うとロバートと由季子が玄関を見て手を振った。
「みなさん、今晩の夕食に我が社から少しですが差し入れをさせて下さい。六時頃にお届けするようにお寿司を頼んでいますのでみなさんでつまんでいただけましたら嬉しいです」
ロバートが立ち上がり大筒に握手を求めて、
「わぁ、お寿司!お寿司久しぶりだよ〜。ありがとう。やったね〜、由季子さん。お寿司だってよ〜」
「お寿司はほんと久しぶりね〜。ありがとうございます」
由季子の笑顔に大筒も笑った。姫野が由季子の手を取りバスの外へ誘導すると三恵子が抱きついてきた。
「お姉さん、お久しぶり〜。お元気で良かったわ〜」
「あなたもお元気そうね。嬉しいわぁ〜」
続いて降りてきたロバートにも三恵子は抱きついた。
越谷家の十七年ぶりの再会に三宅が、
「みなさん、記念写真撮りましょう。十七年ぶりにご家族が揃ったのですから。カメラマンがいないので僕のスマホで」
大筒も姫野も自身のスマホを取り出すと、
「私のスマホでも撮って下さい」
と、美貴が三宅に預けた。
何枚も写真を撮った後に大筒が三宅と姫野に目で合図をして、
「では、私たちはこれで失礼致します。みなさん、今晩はお邪魔しませんので家族水入らずの時間をお過ごし下さい」
三人は手を振りながらバスに乗り込んだ。
マイクロバスが越谷家を出て県道へ入ると三宅が自身のスマホを見ながら、
「みんないい顔してるなぁ。やっぱりなにかがふっきれたんでしょうね」
「そうだろうなぁ。この二千十四年において,第二次世界大戦が終わった一九四五年とある意味同時期に生きて来られた家族だからなぁ。そんなことって、世界中であの七人だけなんだから。今晩は時の中に凍結され封印された時間がたった一晩で溶けていくんだろう。ホントはその時をカメラに収めたいけど、最後の静かな夜になるかも知れないんだ。それは想像するだけにしておこう」
スマホの写真を見ていた姫野が大筒の言葉に顔を上げた。
「山を下りる時に三宅さんが【君たちが担いでいる籠は現代に帰ってくるタイムカプセルかも知れない】って言っていましたけど、さきほどあのご家族の再会を見ていたらホントに一九四五年から二千十四年に戻ってくるタイムカプセルやタイムマシーンでここへ来られたんだと思いました。あのご家族は戦争が終わった一九四五年をずっと胸の中に抱えて生きて来られたんだと思います。二十歳の美貴ちゃんでさえ」
「うん、そのとおりだな。三宅、うまいこと言うな。明後日の記者発表で使わせてもらおうかな」
「いいですよ。その代わり五ですよ。五生ジョッキですよ」
「お前の、そのなんでもかんでもビールに換算するその考え……オレは好きだ」
「イェ〜イ」
二人が拳で乾杯する姿に姫野はやんちゃな子供をみるような目で笑った。
翌日越谷家へ向かっていると、歩いているロバートと由季子をドライバーが見つけて止まった。大筒が車から降りて、
「おはようございます。お二人ともこんなところでどうされたんですか?ここからだとお家まで歩くと三十分以上かかりますよ」
「あら、大筒さん。良かったわぁ。ロバートとお散歩にでかけたら帰り道が分からなくなっちゃって。そろそろ皆さんが来られる時間だなと思っていたんですがタクシーが見つからないし、まぁ見つかってもお金もっていないから乗れないんですけどね。でも、偶然ねぇ。良かったわぁ」
屈託なく笑う由季子とロバートが可愛く見えて大筒は、続いて降りてきた三宅と姫野に首をすくめ両手を拡げておどけてみせた。
二人は早めの朝食をすませて八時前に散歩に出たと言うから二時間近く歩いていたことになる。
「人目を気にせずぶらぶら散歩ができる開放感を味わっていたらどこにいるのか分からなくなっちゃったのよ〜。そしたらね何人かの方に、さっき朝のテレビで見ましたよ〜。六十九年間も山で暮らしていたんですってね、大変でしたねぇって。もうニュースになってるんですね。早いわぁ」
車が走り出しても由季子は笑いながら話し続けていた。
康一と美貴をピックアップして群馬放送局へ向かうと、
「お爺ちゃん、お婆ちゃん。さっきね朝のニュースでやってたのよ。もうフラフラしてたら大変よ!」
由季子に代わり姫野がもうすでに声をかけられていた事を話すと、
「わっ!早っ!で、どうだったのお婆ちゃん」
「別にどうってことないわよ。ロバートもおはようございますって、普通に挨拶してね」
「うん。みんないい感じだったよ。頑張って下さいって言うから、何をですか?って聞いたらエヘヘって笑ってた」
日本人は、とりあえず頑張ってくださいって言うんですよと三宅が解説のようなことを話すとロバートが、
「そうなの?じゃ美貴ちゃん頑張ってね!」
「何をよ!」
と返して車内は笑いに包まれた。
十一時十分前に群馬放送局のゲストルームに入るとアメリカ大使館の参事官と一等書記官の二人が待っていた。
二人は立ち上がり四人に握手を求めたが、背は二人ともロバートより少し低かった。一等書記官が日本語が堪能で、
「ロバートさん、初めまして。私はピートです。彼は私の上司でウィリアムです。日本語と英語とどちらで話しますか?」
「ここには僕のファミリーと、テレビ局のスタッフもみんないるので日本語にして下さい。彼らもいていいでしょう?英語はフランクな言葉しか覚えてないから」
「はい、分かりました。大丈夫です。六十九年間お疲れ様でした。飛行機が撃墜されても生きていたというのはホントに奇跡です。アメリカ人としてあなたを誇りに思います。でもなぜウォレスさんと一緒にアメリカへ帰らなかったのか、それがとても残念です。ウォレスさんはあなたが生きていると知ってとても興奮していましたが、親友だからやっぱり連れて帰ってくれば良かったと言っていましたよ。ロバートさん、アメリカは戦争ばかりしている国ではありません。それはあなたの誤解です」
「ウォレスが生きている!ウォレスは生きているの?彼と話したの?」
ロバートは飛び跳ねるように立ち上がり、みるみると顔が真っ赤になっていった。
「はい、生きています。あなたに会いたいと言っていました。二人の時間を越えた友情を考えると是非会わせてあげたいと思いますが今は約束できません。死亡したことになっているあなたの国籍をどうするか。そしてこれが最も大事な事ですがアメリカ国民があなたを歓迎するのか、それがまだ分かりません」
興奮で赤くなった顔を両手でごしごしこすりながら座り直して、
「歓迎はされなくてもいいけど、もっと分かりやすく話してください。あなた達はどう思っているの?」
ピートが隣の上司に英語で説明をすると、彼はストレートに話しなさいと指示した。
「パラシュートで降りた山からウォレスさんと一緒にアメリカへ戻らなかったあなたは逃亡したという見方も出来るのです」
「僕は脱走兵じゃないよ!」
ロバートの顔はまた一気に真っ赤になっていった。
「君たちは僕が六十九年間、山に籠っていて何も知らないベイビーと思っているんだね。アフガニスタンやイラクは……」
ロバートは数十年ぶりに興奮している自分がおかしくなり、冷静になっていった。
「僕は戦争でも誰も傷つけなかった。国の意思があるというなら僕の意思もある。もちろん僕の意思が上にある。なぜ、一度も話したことがない人を銃撃できるんだ?なぜ、会ったことも無い人の頭の上に爆弾を落とせるんだ。僕はアメリカを愛している。僕の故郷だしね。僕はアメリカが大好きだ。ディズニーは世界中の子供達を笑顔にした。ハリウッドは世界中の人々に夢を見せてくれた。アメリカのミュージシャンたちは世界中の人たちに幸せや、時には勇気をくれている。アメリカには昔から今までずっと、世界中の人たちが憧れ続けている文化がある。戦争をしなくても圧倒的な明るさや豊かさで世界をリードしていけるはずなのに、そのポジティブな世界をごまかしてネガティブなところに人々を誘導しようとする連中から僕は自由になったんだ。君たちもそこから自由になればハッピーになれ、尊敬されるのに」
ロバートの口調は穏やかで二人のアメリカ人をさとすような語り口になっていた。
「ロバートさん、あなたがアメリカを愛していることは充分に分かりました。その気持ちはとっても嬉しく思います。私たちはあなたに愛国心があるのかを知りたかったのです。明日の記者発表でそのことがアメリカ国民にも伝わることを願います」
後日連絡するからと康一の携帯番号を聞いて二人は帰っていった。玄関まで見送った三宅が戻ってきて、ウォレスさんの連絡先はアメリカへ行くことになったら伝えますとのことでしたと報告するとロバートは、
「アメリカへ行けるかどうかわからないけど、ウォレスの声は聞きたかったなぁ」
とつぶやき、それを聞いて大筒が急に外へ飛び出していった。
「お爺ちゃん、大丈夫よ。アメリカに行かなくても連絡先教えてくれるわよ。そんなに悪い人じゃない感じだったもの」
「悪い人じゃない感じって、なんだそれ!」
康一が美貴の言葉を繰り返すと三宅が、
「いえ、とっても言い当てていると思います。アメリカの利益を優先する彼らの仕事柄でしょうけれど、悪い人ではないという印象を僕も持ちました」
玄関ロビーに降りると大勢の社員達が待ち受けていて拍手で迎えられ、外から戻った大筒もその輪に入ってきた。玄関へ誘導しながら明日の記者発表は十時からなので八時に迎えに行きます、三宅と姫野も明日の準備があるのでここで失礼しますと頭を下げ、車に乗り込むロバートたちを見送った。
「お婆ちゃん、運転手さんに頼んでどこか寄り道して帰る?」
「ううん。朝ね、二時間以上も歩いたから疲れているの。帰りましょう」
「僕も疲れたなぁ」
「そうね。じゃぁ帰ってお昼ご飯のお手伝いしようっと。明日は明日の風が吹く、よねお父さん」
「そうそう。帰ってから何人かの仲の良い友人達に連絡入れよう。今まで話していなかったからね。美貴もそうしなさい。明日の記者発表で知る前に連絡しておいた方が良いからね」
「うん、そうする」
なんとなく抱いていた不安な気持ちや緊張感がみんなからなぜかすっかり消えているのを美貴は感じて一人、笑った。